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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和55年(ワ)117号 判決 1985年3月25日

《目次》

当事者の表示

主文

〔凡例〕

事実

第一編当事者の求めた裁判

第二編当事者の主張

第一章請求の原因

第一 当事者

第二 各作業における粉じんの発生及び粉じん曝露

第三 被告の健康保持義務

第四 健康保持義務の不履行

第五 原告ら元従業員のじん肺罹患

第六 損害

第七 結語

第二章請求の原因に対する認否及び反論<省略>

第三章抗弁

第一 帰責事由の不存在

第二 消滅時効

第三 他粉じん職歴等

第四 過失相殺

第五 損益相殺

第四章抗弁に対する認否及び反論<省略>

第五章再抗弁

第六章再抗弁に対する認否<省略>第三編証拠関係《省略》

理由

第一当事者

第二本件各坑の概要

第三本件各坑における各種作業の概要と粉じんの発生

第四被告の安全配慮義務及びその内容

第五安全配慮義務の不履行

第六因果関係

第七有責性

第八消滅時効

第九損害

第一〇相続

第一一他粉じん職歴等による減額について

第一二過失相殺について

第一三損益相殺について

第一四結論

別紙

[判決]

原告番号第一次事件一番

阿曽末治

外一五六名

右原告ら訴訟代理人

浅井敞

石井精二

小野正章

金子寛道

小西武夫

熊谷悟郎

塩塚節夫

高尾實

中村尚達

森永正

山田富康

山元昭則

横山茂樹

鴨川裕司

河西龍太郎

杉光健治

本多俊之

諫山博

稲村晴夫

岩城邦治

江上武幸

角銅立身

椛島敏雅

下田泰

立木豊地

谷川宮太郎

津留雅昭

馬奈木昭雄

三浦久

村井正昭

吉田孝美

鍬田万喜雄

千場茂勝

小堀清直

小野寺利孝

安田寿朗

友光健七

(以上第一次ないし第四次事件関係)

古原進

(以上第一次事件原告番号五、八、一一(但し、高富慎吾を除く。以下同じ)、一四、一八

(但し、中薗優を除く。以下同じ)、二一、二六、二七(但し、松永一男を除く。以下同じ)番、

第二次事件原告番号三、四番の原告並びに第三、第四次事件関係)

福崎博孝

筒井丈夫

(以上第一次事件原告番号五、八、一一、一四、一八、二一、二六、二七番、

第二次事件原告番号三、四番の原告並びに第四次事件関係)

龍田紘一朗

(以上第四次事件関係)

山本一行

小林清隆

(以上第一次事件原告番号五、八、一一、一四、一八、二一、二六、二七番、

第二次事件原告番号三、四番並びに第四次事件原告番号二番の原告関係)

右横山茂樹訴訟復代理人

豊田誠

(以上第一次事件関係)

野上佳世子

福崎博孝

(以上第一、二次事件関係)

筒井丈夫

龍田紘一朗

(以上第一ないし第三次事件関係)

山本一行

小林清隆

宮原貞喜

猪狩康代

(以上第一ないし第四次事件関係)

被告

日鉄鉱業株式会社

右代表者

北嶋千代吉

右被告訴訟代理人

松井正道

苑田美穀

山口定男

城戸勉

主文

一  被告は、別紙4原告別認容金額一覧表「原告氏名」欄記載の各原告らに対し、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する同表末尾記載の各遅延損害金起算日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  前項記載の原告らのその余の請求を棄却する。

三  その余の原告らの各請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告に生じた三分の一と主文第三項記載の原告らに生じた費用を同原告らの負担とし、被告に生じたその余の費用と主文第一項記載の原告らに生じた費用との合計額を一〇分し、その八を被告、その二を同原告らの負担とする。

五  この判決は第一項記載の認容金額につき各二分の一の限度において、仮に執行することができる。

〔凡例〕

以下次のとおり略称する。

第一次事件=本件昭和五四年(ワ)第一七二号事件

第二次事件=本件昭和五五年(ワ)第一一七号事件

第三次事件=本件昭和五六年(ワ)第八二号事件

第四次事件=本件昭和五七年(ワ)第五号事件

死亡従業員=原告目録中の第一次事件原告番号五、八、一一、一四、一八、二一、二六、二七番、第二次事件原告番号三、四番及び第四次事件原告番号二番の本件各提訴後死亡した元原告並びに原告目録中の第一次事件原告番号三三ないし四五番及び第二次事件原告番号九、一〇番の各原告の被相続人

遺族原告=右死亡従業員の相続人で本件原告である者

原告ら元従業員=被告に元雇傭されていた者で生存中の各原告及び右死亡従業員の全員

本件各坑=①鹿町鉱西坑、②同鉱東坑、③同鉱本ケ浦坑、④同鉱南坑、⑤同鉱小佐々坑、⑥矢岳鉱矢岳坑、⑦神田鉱神田坑、⑧御橋鉱一、二坑、⑨柚木事務所柚木坑、⑩伊王島鉱業所伊王島坑の合計一〇坑

他粉じん職歴=本件各坑以外における職歴

けい特法=けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法(昭和三〇年七月二九日法律第九一号)

けい臨措法=けい肺及び外傷性せき髄障害の療養等に関する臨時措置法(昭和三三年五月七日法律第一四三号)

旧じん肺法=じん肺法(昭和三五年三月三一日法律第三〇号)

改正じん肺法=労働安全衛生法及びじん肺法の一部を改正する法律(昭和五二年七月一日法律第七六号)によつて改正されたじん肺法

鉱警則=鉱業警察規則(昭和四年一二月一六日商工省令第二一号)

炭則=石炭鉱山保安規則(昭和二四年八月一二日通商産業省令第三四号)

労災法=労働者災害補償保険法(昭和二二年四月七日法律第五〇号)

厚生年金法=厚生年金保険法(昭和二九年五月一九日法律第一一五号)

事実

第一編 当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は別表5原告別請求金額一覧表記載の原告らに対し、それぞれ同表「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する同表「遅延損害金起算日」欄記載の各日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行宣言。

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決及び担保条件の仮執行免脱宣言。

第二編 当事者の主張

第一章請求の原因

第一当事者

一被告

被告は、石炭・鉄鉱石・石灰石等の製鉄用原料の総合開発並びに確保を目的として昭和一四年五月二〇日設立された株式会社である。

被告は、昭和九年二月国策会社として設立された日本製鉄株式会社(以下「日本製鉄」という。)の採掘部門が独立したものである。従つて、被告の生産品はほとんど日本製鉄に供給されたのみならず、内外製鉄資源の調査開発や一般民間事業の保護援助等において、国策会社としての性格も持つていた。

被告は創立直後の昭和一四年八月一〇日、北松鉱業所を設け、以後、加勢・鹿町・池野・神田・御橋・矢岳・神林などの各炭鉱を開発経営してきた。

二原告ら

1  原告ら元従業員は被告と労働契約を締結して労務に従業した者であり、各人の就労期間、就労場所、職種は別紙9の各原告の主張一欄記載のとおりである。

2  遺族原告らはそれぞれ死亡従業員と別紙6記載の身分関係にある者であり、死亡従業員はそれぞれ右同別紙記載の日に死亡した。

第二各作業における粉じんの発生及び粉じん曝露

本件各坑における作業(職種)には、掘進、採炭、仕繰等の坑内作業とチップラー操作、選炭等の坑外作業があるが、これらの各作業における粉じんの発生及び粉じん曝露の状況は次のとおりである。

一掘進作業における粉じんの発生とその曝露

1  掘進作業は、主要坑道(本卸・運卸)の掘進と片盤坑道の掘進を行う作業であるが、岩盤(主として砂岩・頁岩)を掘進する場合を岩石(断層)掘進と言い、着炭後、炭層に沿つて掘進する場合を沿層掘進と呼んでいた。

本件各坑では岩層が薄層であつたため沿層掘進は必然的に炭層だけでなく、その上下にある岩石をも掘進しなければならなかつた。

各坑道の幅・高さは、炭礦の規模、掘進技術の時代的変遷等によつて、各坑毎に相違があつたが、主要坑道がおおむね幅約五メートル、高さ3.5〜4.0メートル、片盤坑道がおおむね幅3.0〜3.2メートル、高さ2.2〜2.5メートル程度であつた。

2  掘進作業は、昭和一八年頃までは、所謂手掘作業が中心であつた。これはノミセット、石刀、突きのみ(セーラン)等を用いて人力で岩盤にさく孔を行い、これにダイナマイトを装填して破砕掘進を行うというものであつた。

そこで、さく孔作業は、一本のさく孔についてセーランの場合二時間程度の時間を要し、その作業自体からは短時間に粉じんが多量に発生することはなかつた。

本件各坑でさく岩機が一般的に使用されるようになつたのは各坑によつて違いがあるが、おおむね昭和二三年頃からである。

さく岩機の使用に伴つて、さく孔に要する時間は大幅に短縮され、一本当たり七分程度となつた。その結果、従前の手掘さく孔と比較すると短時間に極めて多量の粉じんが発生することとなり、したがつて労働者が粉じんに曝露する程度も飛躍的に増大した。

3  当時さく孔作業に用いられていたさく岩機は乾式さく岩機であり、その重量は二五キログラム程度であり、圧縮空気を動力源として先端に装着されていた。長さ約1.0〜1.5メートルののみを回転させながら岩盤を打撃し、直径三五ミリメートル、長さ約1.0〜1.5メートルの内面の平滑な穴をくりぬいていた。

このさく岩機の操作には、通常二人〜三人の作業者が必要であり、さく孔の方向、角度等発破効率に係る事項を指示する先山一名とこれに従つて作業を行う後山二名〜三名がいた。

掘進延先においては、通常岩石掘進の場合二台のさく岩機が同時に操作されており、発破作業開始までに合計約四〇本のさく孔が行われていた。

さく岩機の操作の最中、岩石内の孔中でのみ先の打撃によつて破砕されて発生した岩粉(繰り粉)を孔外に排出しなければ、さく孔作業は進まない。そのため、さく岩機ののみはその中心が空洞となつており、ここから動力源である圧縮空気を孔底に向かつて噴射して繰り粉を孔外に吹き出させる操作が繰り返し行われていたのである。また、キューレンと称する道具を用いてさく孔内の繰り粉をかき出すことも行われていた。また、繰り粉が孔内につまつたときは圧縮空気を吹きつけて孔外に出すことも行われていた。

その結果、孔内の繰り粉はその都度孔口から労働者に向かつて激しく吹き出し、労働者に直接吹きつけられると共に、延先の坑内空気中に拡散浮遊する結果となつていた。そのため、労働者は全身に繰り粉を浴びて真白になり、着衣やゲートル、靴の内部にまでこれが入り込み、皮膚との間に摩擦をおこし炎症を生じたり、皮膚の毛穴の中に入り込んで風呂に入つてもとれない程であつた。勿論鼻孔や口腔内にもおびただしい粉じんが入り込み鼻孔内に吸入された粉じんが体液と混つて固まりとなる程であつた。さく孔作業中には、隣でさく岩機の操作をしている労働者の顔も判別できない程に粉じんが坑内空気中に浮遊していたのである。

4  さく孔が終了すると、ダイナマイトの装填が行われ発破作業が行われた。発破作業は、通常岩石掘進は三回、沿層掘進は二回に分けて行われていた。発破が行われると、その都度爆発によつて発生する粉じんと附近に堆積していた粉じんと硝煙が掘進延先に充満し、発破直後は附近は一寸先も見えない状況になつていた。

発破係員が、未発・不発のダイナマイトを点検した後、未だ粉じんと硝煙が充満している状況の中で、労働者は延先に入つて行つて硬積み作業を行つていたが、この時、前方が見えないため炭車軌道を足で探りながら進んで行かなければならない程であつた。

ダイナマイトによつて破砕された石炭を炭車に積み込むため、粉じんの中で更にコールピックを使用し、あるいはポンコシ(大ハンマー)で大きな硬の破砕が行われ、これによつても更に粉じんが発生し拡散した。また、硬を炭車に積み込む作業自体からも多量の粉じんが発生していた。

二採炭作業における粉じんの発生とその曝露

1  採炭作業は昭和二八年頃までは、ツルハシを使用して行われていたが粉じんが舞う状態であつた。その後コールピック採炭が採用され、一人当たり出炭量が著しく増加し、更にカッター採炭、スクレーパー採炭、ホーベル採炭等機械化が進む中で出炭量の大幅な増加をもたらした。又、これに伴つて、粉じん発生量も飛躍的に増加した。

2  本件各坑の炭層は、薄層であるばかりか、炭層内に所謂はさみものと称する岩石層が介在していた結果、採炭作業は、石炭のみならず炭層上部の岩石(つきものと称し三〇〜四〇センチ厚)やはさみものも併せて掘進することが不可欠であつた。

被告が採用していた長壁式採炭方式では、払い面の高さがおおむね0.6メードル〜1.3メートルであり、払いの長さは八〇メートル〜一〇〇メートルであつた。ここに採炭夫が二〇名〜二五名配置されて採炭作業に従事していた。

その後採炭作業には、圧縮空気を動力源とするコールピックが多数使用され、又発破作業が伴つていたため、それらの作業そのものから多量の粉じんが発生していた。そのうえカッター、スクレーパー、ホーベルが導入されると、その稼働によつて更に激しい粉じんの発生をみる結果となつた。そのうえ採炭切羽には、深(フケ)から片(カタ)に向け通気がなされていたが、他の作業現場からの排気が切羽を通つて併せて排出されていたばかりか排気のいわば風上である深に設けられていた戸樋口では、採掘された石炭等がコンベアーから炭車に落とし込まれる際に多量の粉じんが発生しており、同所に散水がなされていなかつた結果、そこに発生した粉じんも切羽に沿つて通過していた。

即ち、採炭作業自体から発生する粉じんと戸樋口で発生した粉じん及び他作業現場から排出されて排気と共に浮遊する粉じんが採炭現場である切羽を通つて排出されていた。採炭夫は、これら粉じんに常時曝露し、その結果、採炭夫は、全身が炭じんと粉じんにまみれて真黒になり、露出している顔面は目と口以外は全て墨を塗つたような状況となつて作業にあたつていた。

三仕繰作業における粉じんの発生とその曝露

1  仕繰り作業は、坑道保持枠の破損・側壁・天盤の崩落・盤ぶくれ(坑道床面の膨張)等を補修して坑道断面を保持する作業と撤収作業をその内容とする。

その具体的作業は、折れた枠坑木の取換、盤打ち、枠釜の設置等で発破作業、さく岩作業を伴うものであつた。仕繰作業の現場は、掘進作業及び採炭作業現場とその附近及び坑道破損箇所である。

2  本件各坑においては仕繰り作業そのものが多量の粉じんを発生させていた。即ち、仕繰り作業においてはさく孔のためさく岩機を使用し、さらに発破作業及びコールピック作業が行われていたため、掘進作業で述べたように多量の粉じんが発生していたのである。同時に、仕繰り作業は坑内各所に堆積している粉じんを拡散させる結果、仕繰り作業に従事する労働者は常時粉じんに曝露していた。又、仕繰作業はその作業現場が掘進・採炭現場であるためそこで発生した粉じんにも曝露することとなり排気坑道内での作業では、各作業現場からの排気中の粉じんにも曝露していた。その結果、仕繰夫は終日坑内粉じんを吸引しながら仕繰り作業に従事していたのである。

四その余の坑内作業と粉じん曝露

掘進・採炭・仕繰作業以外の坑内作業としては、充填・坑内機械・坑内電気・坑内大工・通気・坑内運搬・雑役等の作業種別があつた。これらの作業に従事する労働者が粉じんに曝露していた状況は次のとおりである。

1  充填作業は、払い跡(採炭跡)に硬等を充填する作業であるが、これは地盤沈下の防止、切羽・坑道の保持を目的としている。この作業に従事していた労働者は、採炭現場に近い場所で作業を行つていたため、そこで発生した粉じんに曝露していた。

2  坑内機械作業は、コンプレッサー、ポンプ、コンベアー、捲上機等坑内で使用される各種機械の操作、点検、補修、エア管の延長等を行う作業である。掘進現場の進行に伴つて機械類を移設する作業を行うため前記実状の中で作業現場に滞遊する粉じんに曝露する機会が非常に多かつた。

3  坑内電気作業は、照明及び採炭機械をはじめとする坑内機械の動力源である電気の管理、機械動力の取付、維持、補修を行う他、局扇の設置等を行う作業である。この作業に従事する労働者は、採炭現場等粉じん発生源に近い場所で作業を行わなければならなかつたため、通気が悪く、粉じん発生防止対策が充分でなかつた状況の下で、多量の粉じんに曝露していたのである。

4  坑内大工作業は、主として炭車軌道の設置維持、延長の作業を行うものである。この作業では特に、掘進作業で述べたさく岩機によるさく孔作業中に、発破後の硬積み作業に備えて炭車軌道の延長を掘進現場で行うため、さく孔作業から発生する多量の粉じんに曝露していた。

5  通気作業は、風管の設置補修、延長を行うものであるが、粉じん発生源に近い場所で作業を行うため粉じんに曝露する機会が多かつた。

6  坑内運搬作業は、石炭・硬の運搬を行う作業であるが、炭車を連らねて入気坑道を坑口に向かつて進行する際、捲き上げられていく炭車に正対して坑内に入つて来る入気とが対面し、炭車に満載している炭や硬から粉じんを捲き上げ、これを吸収することが多かつた。

これは戸樋口で充分な散水を行い、あるいは硬積み作業で散水を行うなどの措置がとられていなかつたためである。

五坑外作業における粉じんの発生とその曝露

坑内で採掘された石炭と硬は坑外に運搬されるが、その処理の過程で作業者が特に多量の粉じんに曝露する主な作業は以下のとおりである。

1  チップラーの操作

これは、石炭・硬を積んで昇つて来た炭車をひつくり返して、ポケットに内容物を落とし込むための機械である。

乾燥し、あるいは充分散水していない炭や硬をチップラーにかけてポケットに落とし込む際に当然に多量の粉じんが飛散する。この作業に従事する労働者は、この粉じんを吸引していたのである。

2  選炭作業

選炭作業は、石炭と硬とを選別する作業である。その作業現場はチップラーの下にあり、ポケットから落下する石炭をふるいにかけながら選別するのである。

ここでは炭車の内容物がチップラーからポケットに落下する際に飛散する粉じんが充満していた。また、石炭をふるいにかけて選別する過程においても多量の粉じんが発生し作業現場に充満していた。このような作業現場で労働に従事した者は、粉じんを多量に吸引せざるをえなかつたのである。

3  ガラ焼き作業

これは、石炭を水洗する際に生じる微粉炭の沈澱物を乾燥させて、レンガ状の塊として積み重ねて、これを蒸し焼きにして質の悪いコークスを生産する作業である。

着火させた微粉炭塊に、石炭灰をスコップではねあげてふりかけて覆つて、蒸し焼きとし、更にこの灰を除いてコークス塊を砕く作業の中ですさまじい粉じんが発生し、この作業にあたる者はおびただしい粉じんに曝露していた。この作業に従事する労働者は、短時間に多量の粉じんを吸入していた。

4  硬捨て(スキップ操作)

チップラーでポケットに貯つた硬をスキップと称するトロッコ様の車に積み換えて、硬捨て場に積み上げる作業である。

ポケットからスキップに積み換える時と、スキップから硬を捨場に落下させる際に多量の粉じんが発生していた。従つて、この作業に従事していた労働者も多量の粉じんに曝露していた。特に、ある炭鉱では、硬山に捲きあげられた硬函を労働者が、これを横倒しにする方法で硬捨てを行つていたため、多量の粉じんが飛散していた。

第三被告の健康保持義務

一総説

原告ら元従業員と被告間に労働契約が締結されていたことは前記第一の二のとおりであるので、被告は原告ら元従業員に対し次のとおり安全配慮義務として健康保持義務を負担していた。

二被告の健康保持義務の内容

じん肺対策は決して単なる防じん対策ではない。勿論じん肺予防のために、労働現場での発じんを極力抑えることは最低限必要なことではあるが、防じん対策をとつたとしても、一定程度の発じんは避けられないとすれば、じん肺対策として完璧を期す以上、究極的には健康診断によるじん肺の早期発見、配置転換による粉じん職場からの離脱以外、粉じん職場で働く労働者をじん肺から予防する途はないのである。そして、それを実効あるものとするためには、労使双方がじん肺に対する正確な知識を有していることが必要である。そこにじん肺教育の重要性があるのである。従つて、じん肺対策は単に防じん対策のみならず、以下述べるようなじん肺教育、健康診断、配置転換、労働条件の改善等の対策が総合的に実施されるべきものである。

1  じん肺教育

(一)  じん肺教育の必要性

じん肺を防止するためには、まず職場環境、労働条件の改善が行なわれなくてはならない。しかしそれは、使用者のみで実施できるものではなく、労働者の協力が必要である。例えば、散水、マスク着用についても、それがじん肺予防のために行なわれることを労働者が明確に認識したときに、初めてこれらの対策は実効性あるものとして実施することができるのであるから、使用者が労働者に対して、じん肺についての正確で十分な量の情報を与え、教育することが必要である。この意味でじん肺教育はすべてのじん肺防止対策の基本といつてよく、これなくして十分なじん肺対策はありえないといつても過言ではない。

(二)  じん肺教育の内容

被告は、原告ら元従業員に対して次のようなじん肺防止のための教育をなすべきであつた。

(1) じん肺の病理、病因についての医学的な教育

じん肺が粉じんの吸引によつて発生する職業性疾患であつて、その症状は進行性であり、かつ不可逆であることを教育すべきである。

(2) じん肺の予防法、防じん対策についての教育

じん肺を予防するために労使がとるべき対策、具体的内容としては、防じん対策(さく岩機の湿式化、散水、通気改善、収じん機)、マスク着用、健康診断、職場の配置転換等についての教育をすべきである。

(3) じん肺に関する法制度、社会保障制度についての教育

じん肺防止に関する法制度の仕組や内容について教育し、さらに不幸にしてじん肺に罹患した場合、どのような保障が受けられるかについても教育すべきである。

(三)  じん肺教育の方法

(1) 右のような内容を含むじん肺教育は、定期的にかつ組織的に実施されるべきであつた。じん肺に関する情報は日々進歩し、また法制度も時代と共に変遷していたのである。

また会社には、新入社員も入つてくる。このような状況の下で最新の情報によつて教育するためには定期的に実施されることがどうしても必要であつたのである。じん肺に関する教育は、その広さ、深さ、からしても簡単なものでないことは明らかであつて、場当り的、個別的にやつていたのでは到底十分とは言えない。具体的方法としては研究者、医師による講演とか、労使一体となつた勉強会等の方法がとられるべきであつた。

(2) 入社時、退社時には特別にじん肺教育が行なわれるべきであつた。後述のとおり、じん肺が進行性疾患である以上、退職してから後、じん肺が発症する可能性があつたのであるから、被告は退職者に対しても特に健康管理、保障制度等について十分教育してやることが必要であつた。

2  防じん対策

(一)  発じんの抑制

じん肺が粉じんの吸引によつて発生するものである以上、使用者は労働者が就労中に粉じんを吸引しないようにするために、まず粉じんの発生を抑制することが必要である。

発じんを抑える方法としては次のような方法がとられるべきであつた。

(1) 散水、噴霧

作業中に発じんが予想される作業場周辺には作業前に散水し適当に湿らすことによつて粉じんの飛散を防止するべきであつた。また作業中にも散水、噴霧することによつて粉じんの発生、浮遊を抑制するべきであつた。特に採炭現場や戸樋口、ポケットなど石炭の積込場等においては、散水、噴霧が適切に行なわれるべきであつた。また炭車による運搬の際の石炭落下などによる粉じん発生を抑制するためにも、炭車中の石炭に対しても適切な散水が行なわれる必要があつた。発破直後には夥しい量の粉じんが発生していたが、この粉じんを抑えるためにも散水は必要であつた。

(2) 湿式削岩機

炭鉱において最も粉じんの発生をみたのが削岩機による穿孔作業であつた。穿孔作業中における発じんを防止するためには、削岩機を湿式化するのが最も有効な方法であつた。湿式削岩機は繰粉に対して散水して、粉じんの発生を抑えようとするものであつた。湿式削岩機は、被告が石炭鉱業を開始した昭和一四年ころにはすでに実用化されていたのであり、被告はすべての掘進現場、穿孔作業においては乾式削岩機の使用を禁じ、湿式削岩機の使用に切り替えるべきであつた。

(3) 収じん装置

散水、噴霧や湿式削岩機の使用によつても粉じんの発生をゼロにすることは実際上不可能であつた。そこで発生した粉じんを集めて、これを濾過する収じん装置の開発利用をなすべきであつた。

(二)  粉じんの遮断(防じんマスクの支給)

(1) 前記のような発じん防止対策をとつたとしても、一定程度の粉じんが発生することは技術上やむを得ない。したがつて、じん肺を防止するためには、発生した粉じんを労働者が吸引しないようにする措置がとられるべきであつた。そのためには防じんマスクを労働者に着用させるべきであつた。

(2) 被告は最良のマスクを被告の負担において労働者に支給すべきであつた。そしてこのマスク支給に際してはマスク着用の意義目的がじん肺という職業病の予防にあることを十分説明することが必要であつた。なぜならマスクを着用すると通気抵抗によつて必然的に呼吸がしにくくなるのであるから、マスク着用の意義目的が十分に労働者に理解されないと、労働者はマスク着用をしないことが十分予想されるからである。防じんマスクは一定時期を経過すると使用することができなくなるのであるから、使用者は耐用年数が到来したマスクについては無償で交換してやる体制を整備すべきであつた。

(三)  通気の改善

坑内通気については次のような対策を実施すべきであつた。

(1) 入気坑道、排気坑道の適切な設置

入気坑道と排気坑道は、適切に設置し、一度汚された空気は排気坑道へと排気され再び入気坑道に入らないようにすべきであつた。

(2) 局扇、風門、風管の適切な設置と管理

入気が労働者が稼働している現場まで達するよう風管、風門、局扇は適切な位置に設置すべきであつた。特に風管延長は遅滞してはならず、風管がずれたり、破れたりして漏風が発生したときは直ちに修補すべきであつた。局扇の位置と風量が適正を欠くと車風をひきおこす原因ともなるので、車風については十分注意すべきであつた。

(3) 通気大工など人的体制の整備

前記のように風管、局扇、風門の設置管理は極めて重要であり、しかもこの作業は、臨機応変になされる必要があつたのであるから、被告はこれらの作業が遅滞することなく、臨機応変に行なわれるようこれらの作業に従事する通気大工などの人的体制を十分整備しておくべきであつた。

(四)  発破方法の改善

発破によつて発生した粉じんの吸引防止をはかるためには、発破後、掘進夫を一定時間発破現場から退避させて粉じんが沈静、稀釈されるまで現場に立入らせないことが必要であつた。

また発破は労働者が食事をする際に実施する。いわゆる中食時発破や、昇坑する際に実施する、いわゆる上り発破の方法をとるべきであつた。

また昭和三〇年代には発破孔の詰物をして薄いポリエチレン袋につめた水を使う水充塞(ウォータータンピング)発破法も炭鉱で実施され、発じん抑制の効果をあげていたのであり本件各坑においても水充塞発破が実施されるべきであつた。

(五)  労働条件の改善

労働者の粉じん吸引を抑制し、もつてじん肺を予防するためには、単に作業環境の改善だけでは不十分であり、被告は次のとおりの労働条件の改善をはかるべきであつた。

(1) 労働時間の短縮

労働者が吸引する粉じんの絶対量を減少させるため、粉じん曝露時間を減らすべきであり、特に粉じん量の多い現場で作業する掘進夫、採炭夫等については労働時間を他の労働者より短縮するなどして、吸引粉じん量の減少をはかるべきであつた。

(2) 出来高賃金制度の見直し

被告においては標準作業量なるものが設定され、これに対応して出来高払の賃金体制がとられていたため、労働者としては従前の賃金を維持するためにはどうしてもこの標準作業量を完遂することが必要であつた。また賃金を増やすためにはこの標準作業量を上回る仕事量をなす必要があつたのであり、しかも標準作業量は順次改訂されていつたのである。この賃金システムは必然的に労働強化をもたらした。激しい労働に伴う深くて速い呼吸が粉じんの大量吸引をもたらし、さらに過酷な労働条件下での過労が労働者の健康を害し、病気に対する抵抗力を奪つていつたであろうことは当然考えられる。被告はじん肺予防の観点からもこのような労働強化を生みだす根源たる出来高賃金制度を改め、労働者に対する適正な仕事量を与え労働者の健康保持をはかるべきであつた。

3  健康診断によるじん肺の早期発見と予防

(一)  健康診断による早期発見の重要性

じん肺は突発的に発生する疾病ではなく、一定量の粉じんの吸引を原因とし、しかも進行性の疾患であることから、じん肺に罹患するまでには粉じん職場に就労してから一定期間の経過を要する。したがつて粉じん職場に就労する労働者に対しては定期的に健康診断を行ない、じん肺の発見に努めれば初期の段階においてじん肺を発見することは十分可能であつた。

又、じん肺は不可逆性の疾患であるから症状が進行してしまうとその治療は極めて困難であり、治癒は不可能とされていた。したがつてじん肺を予防するためには症状が未だ進行していない軽症度の時期に早期に発見して粉じん職場から離脱させることが最も効果的な方法といえたのである。

(二)  健康診断の方法

(1) 健康診断の方法はじん肺の知見を有する医師により、定期的に、年一回は実施すべきであつた。

またこの健康診断は一部の労働者や希望者のみ、体調の悪い者のみに限定せず、粉じん職場で働らく総ての労働者に対して被告の経費負担で実施すべきであつた。

(2) じん肺予防を目的とする健康診断は、労働者が粉じん職場に就労した時、粉じん職場から退職した時にも実施するべきであつた。入社時の診断はその後の健康診断との比較対照に供することもでき、呼吸器系に疾患を有する者の就労を防止することもできる。また退職時の健康診断は、退職後の健康管理やじん肺保障にも資することができるからである。

(三)  健康診断結果の労働者に対する通知と管理

(1) 定期的な健康診断による結果は自己の健康管理に資するため、労働者に通知されるべきであつた。

また被告におけるじん肺の発生状況について、被告は労働者に公表をなして、労働者全体の自覚をうながし労使一体となつてより適切なじん肺防止対策を講ずべきであつた。

(2) このような診断記録は配置転換等の健康管理の資料となすべく被告において保管し、労働者毎に、その健康状態の推移が的確に把握できるようにすべきであつた。

4  配置転換及び職場離脱の保障

(一)  配置転換

掘進夫、採炭夫が就労中、一定程度の粉じんを吸引することがやむを得ないことであつたとすれば、これらの作業に長期間従業させればいずれじん肺に罹患するおそれがあつたのであるから、掘進夫や採炭夫など粉じんの多い現場で就労する労働者については、同一職種に無制限にとどめず、一定期間経過した場合には、じん肺に罹患する前に粉じんの少ない他の職場へ配置転換するなどの措置をとるべきであつた。

(二)  配置転換に伴う収入減の補償

粉じん職場の賃金は他の職場より賃金が高いことから、掘進夫の採炭夫等に対する配置転換は労働者に対する収入減をもたらすことが通常であつたために労働者の側でも配置転換を受け入れられないという事情もあつた。この配置転換がじん肺予防という目的の下になされるものである以上、被告は労働者に対して配置転換による収入減を補償すべきであつた。

(三)  職場離脱者に対する保障

じん肺によつて就労することができなくなつた労働者に対しては、被告は退職後の生活保障をなすべきであつた。又、これらの者の治療費や通院費についても被告において負担すべきであつた。

5  離職者に対するじん肺対策

じん肺が進行性の疾患であり、粉じん職場を離れた後もその症状が進行し、離職後三年あるいは一〇年、二〇年と長期間経過した後に、じん肺被害が発生するということは被告が本件各坑を操業開始した頃も知られているところであるので、被告はこのような離職後のじん肺発生に対する対策も講ずべきであつた。

その内容は次のようなものである。

(一)  離職時のじん肺検診

離職者の離職時におけるじん肺罹患の有無及びその程度を正確に把握し、その結果を本人に知らせるべきであつた。又、その診断の結果は、事後の健康管理の基礎資料として使用、保管されるべきであつた。

(二)  離職者に対する定期的な健康診断

じん肺が離職後も進行するものである以上、単に離職時のみならず、それ以後も定期的に健康診断を実施し、じん肺の早期発見と治療に努めるべきであつた。

またこれら健康診断の記録は、じん肺の進行状況を知るうえからも、長期にわたつて保管されておくべきであつた。

(三)  じん肺に関する保障制度についての教育

離職後じん肺被害が発現した者については、旧・改正じん肺法、労災法による保障制度があり、その保障を受けることができる旨の教育説明が行われるべきであつた。

また、その保障手続についても教育が行われるべきであつた。

(四)  離職後の発症者に対する生活保障

離職後じん肺被害が発生し、働らくことができなくなつた患者に対しては、その生活を保障するための対策がとられるべきであつた。労災補償だけでは不十分であり、じん肺罹患の責任を負うべき企業において生活保障の対策がとられるべきであつた。

6  じん肺対策の研究

被告はこれらじん肺対策を実効あらしめるために、じん肺に対する研究機関を設置し、そこでじん肺に対する内外の情報の収集、じん肺対策の研究等を行なわせるべきであつた。

7  むすび

以上のことは被告設立時以来本件各抗における操業停止時まで共通して言えることであり、この点については後記第四章第一、四、1(じん肺に関する知見)記載の事実から肯定することができる。

第四健康保持義務の不履行

被告は次のとおり、前記の健康保持義務を怠つた。

1  じん肺教育について

被告が、じん肺の石炭山での発生について予見をしていなかつた時期まで(昭和二五年前後)じん肺教育が行われなかつたこと、また、その後も炭粉の有害性を予見する(昭和三〇年前後)まで、炭じんの有毒性、その抑制の必要性について教育が行われなかつたことも明らかである。

被告は、じん肺発生を予見した後にもじん肺教育の名に値するような教育は全く行つていなかつた。

被告が最も重要なものとしている繰込場教育は系統的なまとまつた話のできない状況下で保安についてひとことふたこと注意がなされるにすぎないという実態のものであつた。

被告のじん肺についての教育は場当たり的なもので、不正確で、無内容なものであり、とても教育と呼べるようなものではなかつた。

被告のいうじん肺教育は量としても極めて少なく、落盤、防爆対策などの一般の保安教育に隠れ、正面からとりあげられていなかつたというのが実態であつた。

2  防じん対策について

(一)  散水、噴霧について

湿式削岩機が使用されなかつた掘進現場においては、散水の設備そのものがなく、散水が実施しようがなかつた。

湿式削岩機の使用実態は後記のとおりで、本件各坑においては掘進現場においては、穿孔前、発破前後の散水はほとんど実施されていなかつた。

採炭現場においても、坑内で散水はされず、機械採炭をする場合透截部分への注水は昭和三三年コールカッター採炭時に実施されたのが初めてであり、それまでは採炭機械による透截箇所へも散水されていなかつた。戸樋口、ポケットでの散水、大肩の噴霧は爆発防止目的にすぎず、しかもこれらの実施時期はまちまちで、かつ実施状況も極めて不充分なものであつた。

仕繰現場では全く散水はされなかつた。

その他の坑内作業現場では、一部捲立で散水されていただけであり、坑外作業でも一部で散水されたにとどまり、じん肺予防を目的とするものとしては極めて不充分であつた。

(二)  湿式削岩機について

被告は昭和二四、五年ころまでは炭鉱で使用できる湿式削岩機は存在しなかつたとの誤つた認識のもとに、昭和二七、八年ころまでは北松で湿式削岩機を全然使用せず、昭和二七、八年以降も乾式削岩機が使用され続け、原告ら元従業員のほとんどが退職時、閉山時まで乾式削岩機を使用していた。仕繰、採炭現場においては湿式削岩機が使用されなかつた。

(三)  収じん装置等について

被告は乾式削岩機用の収じん機を一時テストしただけで、以後全く使用しなかつた、坑外作業における粉じん発生箇所で集じん機の設置、発じん箇所の密閉化などの対策がとられることもなかつた。

(四)  発破方法の改善について

本件各坑では、発破後、粉じんの沈静、稀釈をまつてから作業を始めるという対策はとられず、掘進夫は発破による粉じんの舞う中で硬積み作業などに従事していた。また上り発破や中食時発破も実施されず、一部実施された坑でも作業手順の狂いによつて、完全実施されるまでには至つていなかつた。

(五)  防じんマスクについて

防じんマスクの支給時期に関して被告は、昭和二四年炭則制定を契機として衝撃式さく岩機(乾式)を使用する労働者に貸与をはじめ、その後掘進作業をするすべての労働者に貸与するようになり昭和二八年からは採炭夫に支給し、坑内間接夫中、乗廻しが昭和二四〜二五年、払当番が二八年、全員に支給したのが三〇年からであり、坑外間接夫に対しては、チップラー関係につき二八年ころから、その他の坑外間接夫全般については三〇年から三二年にわたつて支給した旨主張するが、マスクの支給時期が、仮に右のとおりであつたとしても、マスクの支給時期は、決定的に遅いと言わなければならない。現実には、被告がマスクを支給した時期は炭鉱や職種によつてまちまちであり、しかもその時期は、右の被告の主張する時期よりかなりおくれており、マスク支給に際してその着用の目的がじん肺予防にあるとの教育が全く行われていなかつた。マスクは粉じんや汗で汚れるため耐用期間は三か月ないし六か月ぐらいで短かかつたにもかかわらず、定期、無償の交換体制が整備されていなかつたため、労働者は自費で購入せざるをえなかつた。

(六)  通気について

入気坑道は炭車の通行する坑道であつていわば入気に逆らう形で出て行く炭車の巻き上げる炭じん粉じんですぐ汚染され、ここで一定程度汚染された空気がまた粉じんの発生しやすい捲き立て等を通つて分流されながら掘進現場へ流れ込むため、掘進現場への入気は既に一定程度汚れていた。

次に掘進現場でさつ孔、発破、硬積等により発生した粉じん、場合によつては掘進現場で発生したガスを含んだ空気が採炭現場へ流れてゆき、この空気が採炭現場への入気となつて、採炭切羽の深にある戸樋口の炭じんを含んで切羽を肩へ抜け、場合によつてはこの排気が更に他の採炭切羽への入気となることもあつた。

このように被告は、各作業現場に清浄な空気が入るような並列通気体系をとらなかつた。

風管、特に鉄製風管は、一本約二メートルでラッパ状の差し込み式又はボルトでしめつける形になつており、つぎめのすきまには粘土にわらをまぜたものをつめたり、ドンゴロスを巻いたりしていた等という状態であり漏風が多かつた。また車風(汚れた空気が再び入気となり一定の範囲を回る状態)も少なくなかつた。

このように坑内の全体換気状態が極めて悪い上、粉じん対策として設けられていた局所排気のための送風管・局部扇風機が殆んどその機能を果していなかつた。

(七)  労働条件の改善について

労働時間については、掘進夫・採炭夫も八時間労働が原則とはされていたものの、八時間を超えての労働が常態化していたのが実態であつた。賃金についても、標準作業量制度下での団体請負給、個人別の「歩建て」制度による給与があつた、原告ら元従業員はこれを強く意識させられており、標準作業量達成のため残業が常態化し、あるいは作業量を確保するため相当な無茶な仕事をする「特攻隊」と呼ばれる作業チームも生まれていた。

3  健康診断、じん肺検診について

定期健康診断は、仮に行われていたとしても、それはじん肺発見にはほとんど効果のないものであり、じん肺進行防止措置としてはほとんど機能を果していなかつた。

被告の健康診断、じん肺検診は、開始時期が決定的に遅れており、その内容も極めて杜撰でじん肺発見という目的を達成には極めて不充分なものであつた。健康診断等の結果を管理し、それを作業現場に反映させようとした形跡は全くない。さらに、本人への結果の通知を怠り、じん肺隠しさえも行つていたのである。

被告の健康管理への取り組みは、法規を後追いし、しかも、できるだけ安直に外形だけとりつくろつたものにすぎない。

4  配置転換及び職場離脱の保障について

被告が配置転換の努力をしたことはない。原告ら元従業員のうち当然配置転換されるべきであつた者が、配置転換について何の説明も説得も受けていない。

被告は、前記原告ら主張のとおりの、配置転換に伴う収入減の補償、退職後の生活保障等の措置をとることはなかつた。

じん肺協定等による配置転換料の制度もあつたが、これも坑内間接員から坑外員への配置転換で、平均賃金の九〇日分、坑内直接員から坑内間接員への配置転換で同五〇日分、坑内間接員から坑外員への配置転換で同四〇日分というものであり、配置転換にともなう減収を補償するというのに遠く及ばないものであつた。

5  離職者に対するじん肺対策について

被告は離職者に対するじん肺対策を全くとらなかつた。

じん肺が粉じん職場を離れた後も進行するという事実を、昭和四〇年代後半まで認識していなかつた被告がこのような対策をとらなかつたのはけだし当然である。

そのために離職者は自己の健康状態について正確な認識をもつことができず、また保障制度についても知識がなかつたために、すでにじん肺に罹患していたにもかかわらず、じん肺罹患に気付かず、適切な治療も法規の定める保障も受けられず、健康と生活の両面から被害を拡大させていつたのである。

6  じん肺対策の研究について

被告はじん肺対策のため研究機関を設置するなどその研究を行なうことをしなかつた。

第五原告ら元従業員のじん肺罹患

一原告ら元従業員は、前記のとおり本件各坑において粉じん作業に従事した際、多量の粉じんを吸引した結果、じん肺に罹患した。

二原告ら元従業員は、別紙9の原告の主張三欄記載のとおり、新けい肺措置要綱、けい特法、けい臨措法、旧じん肺法、改正じん肺法による認定をうけた。

三じん肺の病像

じん肺とは、各種粉じんの吸入により生ずる肺疾患である。粉じんを吸入した結果、肺内に排出不可能な粉じんの付着・滞留が生じ、肺機能は障害される。

じん肺の病変は、①リンパ腺の粉じん結節、②肺野のじん肺結節、③気管支炎・細気管支炎・肺胞炎、④肺組織の変性・壊死、⑤肺気腫、⑥肺内血管変化が一連のものとして発生・進行する形で現れる。その病変は、気管支炎のみが早期の段階で治療効果が現れるのみで、治療が不可能である(不可逆性変化)。

じん肺は、慢性進行性の疾患である。そのため、粉じん職場を離れ、あるいは離職したのちも、日々、症状が心肺機能障害を中心に悪化していく。

じん肺には、肺結核・肺炎・肺癌・続発性気胸等、死と直結した合併症が高い頻度で伴う。又、じん肺患者には、脳卒中・心不全等により死亡する者が多く、長期療養者中には肝疾患の者も多い。

第六損害

一じん肺被害の特質

1  じん肺とは、各種粉じんの吸入により生ずる肺疾患であり、肺という生命維持の基本器官が破壊される。そのこと自体、被害の重大性を端的に示すものであるが、じん肺による身体の破壊はそれのみにとどまらない。

じん肺は進行性の疾患であり、日を追つて症状が増悪する。しかも、肺結核・肺炎・肺癌・続発性気胸等・死と直結した合併症を高い頻度で伴う点で、じん肺被害の重大性は倍加される。じん肺患者は、日夜・死の不安と恐怖に怯えながら生活しているのである。

さらに、じん肺に対する治療方法が基本的に存在していない点が、被害を一層深刻なものにしている。

日々悪化し、治療方法もないじん肺により、じん肺患者の生活は全領域にわたり根こそぎ破壊される。

じん肺による肺機能障害の結果、人体は肺機能の程度に応じた活動しかできなくなり、生活の破壊が進行していく。

じん肺患者の誰もが訴えるじん肺の苦しみは、四六時中止むことのない息苦しさ・胸苦しさと・激しい咳・痰などの呼吸困難である。胸や喉は、絶えずゼイゼイ、あるいはゴロゴロと鳴り、しばしば激しく咳こむ。そして、発作時には、見る者をして目をそむけざるを得なくするような極度の呼吸困難に落ち入り、それが長時間続く。このような発作が夜間に起これば、その苦しさに横になることすらできず、一晩中家族に背をさすつてもらい、暗い中で死の不安に怯えながら夜の明けるのを待つ。外出時などに発作が起こつたときは、かたわらのものにもたれかかつたり、その場にかがみ込んで、胸を押さえ、ただひたすら発作のおさまるのをじつと待つほかはない。激しい発作で喉に山芋のような固くドロドロした痰がつまり、そのため窒息死する患者もいる。このような発作にともなう体力の消耗は非常なもので、心臓にかかる負担もきわめて大きい。また、長時間の激しい咳のために胸部に炎症を生じ、その結果肺炎を併発することもある。

日常動作にともなつて生ずる激しい動悸・息ぎれも、じん肺患者が一様に訴えるところである。

じん肺患者の肺活量は、当然のことながら健康人に較べて著しく減少しており、日常の起居動作ですら、心肺機能に多大の負担をかける。特に、階段の昇降や坂道を登る動作が心肺機能に及ぼす影響は大で、ちよつとした階段ですら手すりにつかまり、足と腕とで休み休み昇るような状態であり、その間、激しい動悸と息ぎれを生じ、それは、階段の上でしばらく休んでみてもなおしばらくおさまることがない。まして、走つたり飛び上つたりする動作はほとんど不可能である。結局、許されるのは、ひたすらじつとして動かないでいることであり、又、じつと動かずにいることだけが、心肺機能の負担を軽くし、体力の消耗を防ぐ方法なのである。

じん肺患者の行動を抑制し制限している他の理由として、共通して持つている死の不安がある。

原告らは、じん肺に罹患した仲間の労働者が次々に死亡していくのを目のあたりにしてきている。そのため、原告らは、いつ自分を襲うかもしれない死から逃れるため、ただひたすら体力の消耗を避け、発作が起こらないようにし、合併症にかからないよう細心の注意をはらつている。たとえば、多くの者が入浴を恐れている。自分たちが風邪をひきやすい体であることを体験的に知つており、湯ざめをして風邪をひけば、簡単に肺炎や結核となることを知つているからである。又、外出、とりわけ人混みの中へ出ていくことを恐れている。外出自体が体力の著しい消耗につながつていることを知つており、人混みの中へ入つていけば、抵抗力の衰えた自分の体が簡単に風邪・結核等に感染することを知つており、さらに、外出先で発作が起きたときの恐怖についても知つているからである。

こうしてじん肺患者の日常行動の範囲は極端に限局され、健康時の生活はまつたく破壊される。健康人の中での、あるいは健康人と伍しての生活も不可能で、通常の就労ができないことはいうまでもない。

結局じん肺患者は、家の中でじつと横になつているか、医療機関に入院して生活するかのいずれか以外に生活の場はなくなつてしまう。また、健康人と共に生活していくことを強く望んでいても、じん肺結核の名によつて隔離されている者もいる。

そしてついには、病床で動けぬまま酸素吸入を受け、わずかに生存を維持するにすぎなくなる。それがじん肺罹患による人生のすべてである。

以上の必然的結果として、じん肺患者は収人の道を絶たれ、生活の経済的基盤を喪失する。そればかりか、逆に、療養関連費用をはじめとして、じん肺罹患に伴う予期せぬ支出・負担を強いられる。そしてそれは家族の負担へと転嫁され、家族の犠牲が次々に広がつていく。ついには、永い闘病生活の間に、これらの家族の負担・犠牲によつて患者、家族間に多くの軋轢が生じ、家庭の崩壊にまで至つていく。

この点では、じん肺の被害者は、患者自身にとどまらず、その家族もまた被害者なのであり、じん肺被害の甚大さ、深刻さははかり知れない。

このように、被害者の生活が全領域にわたり根底から破壊される結果、被害者の人生は、自らが健康なときに思い描いていた人生とまつたく異質の悲惨なものに変質させられる。

以上の次第で、原告ら元従業員は、共通して、生命、身体の破壊、生活の破壊、家庭破壊、人生破壊といつた被害を蒙つている。原告ら元従業員各人の被害については別紙9原告の主張欄記載のとおりである。

2  じん肺は、粉じん作業に従事してきた全国的・広範囲の労働者に発生しているもつとも典型的で基本的な職業病である。それは劣悪な労働条件・作業環境と、安全保護措置の放置という状況のもとで、ひたすら利潤のみを追い続けてきた企業に酷使されてきた労働者の中で発生する。

企業活動自体がじん肺を生み出すというじん肺の職業病としての特質の故に、巨大な資本と人的・物的能力を備えた企業の側が、じん肺防止のための健康保持義務を尽くさないかぎり、じん肺被害の発生を防ぐことはできない。自らの労働力を売るにすぎない労働者の側には、じん肺を防止する手だてはない(被害の不可避性)。

また、企業活動自体がじん肺を生み出すという右の特質の故に、労働者は、常に一方的にじん肺被害の受け手の側に立たされ、企業は、常に一方的に加害者の立場に立つ。相互のこの立場は入れ替わることがない(被害の一方性・非代替性)。

3(一)  じん肺被害の特質を考えるうえで忘れてならない点は、被告の加害行為自体の悪質さである。

前記第四で述べたように、被告は、自らがなすべきじん肺防止のための健康保持義務をなに一つとして尽くさず、劣悪な労働条件・作業環境のもとで原告ら元従業員を徹底して酷使し続け、ひたすら利潤の追求に邁進してきた。

そればかりか、被告は、じん肺予防に必要な安全教育の機会すら保障せず、じん肺の早期発見と必要な治療の機会さえ奪い去つて、じん肺症状の進行を放置し、回復不能の被害をまねいてきた。

被告は、このようにして酷使するだけ酷使し、じん肺に罹患して破壊された身体しか残されていない原告ら元従業員を、まるで「ボロぎれ」を捨てるように捨て去つたのである。

被告に向けられた原告らの怒り、無念さには筆舌に尽しがたいものがある。原告ら元従業員は、ひたすら被告の命令に従い、被告のために稼働してきた。この労働によつて、被告は莫大な利潤を手にし、いまもなお日本有数の企業として誇つている。一方、原告ら元従業員に残されたものは、破壊された身体と打ち砕かれた人生、絶望感だけである。こうした中での原告らの怒り、無念さは、裏切られた者のみが知り得る深刻なものである。

(二)  しかも、被告の本件債務不履行は犯罪的である。

被告の犯罪性は数多く存するが、その中で特に重要かつ注目されるべき事実は次のとおりである。

(1) じん肺に対する知見の致命的な遅れ

じん肺を防止するためには、じん肺についての知見がなければならないことは当然である。被告としては、炭鉱においてもじん肺患者が発生することを早い時期に予見し、これに対して有効な対策をとるべきであつた。

被告は炭山の他に金属山、石灰山をも有していた日本でも有数の鉱山会社であるので、炭鉱におけるけい肺につき認識したのは昭和二五ないし三〇年よりはるかに前であるはずであり、又、炭粉の有害性につき認識したのも昭和三〇ないし三三年よりもずつと前であつたはずである。仮に被告が右時期以後にしか右各認識を持たなかつたとすれば、被告がじん肺に関する情報に対して全く関心を抱いていなかつたということになる。

数千人数万人の労働者を粉じん職場で稼働させておきながら、右時期までじん肺についての認識をもちえなかつたというのは驚くべき事実であり、これはもはや予見義務違反というにとどまらず、犯罪的という他ない。又、認識をもつていながら前記不履行に出たのであれば、なおさら犯罪的である。

又、じん肺そのものについても被告は正確な知見を有していなかつた。離職後の進行性について、昭和四〇年代後半まで知らなかつたというのも、仮りにそれが真実であるとすれば、驚くべき認識の遅れと言わなければならない。

炭鉱におけるじん肺については、被告が創業した時点で既に知られ、その病理や予防法について学者、労働者、行政官等から多くの報告がなされていたのである。

金属山でけい肺が発生することを、戦前より知つていたであろう(知らなかつたとすればそれこそが大問題である)被告が、炭鉱でのじん肺発生の可能性に全く思い至らなかつたというのは不思議である。けだし、炭鉱では石炭のみならず、岩石の掘削、硬の積み降し等の作業を行うのであつて、炭粉のみならず、岩粉をもかなりの割合で吸引するのである。本件各坑中特に北松炭鉱は炭層が薄かつたため、岩石を掘削する割合が高かつたのであるから、被告としては、金属山におけるじん肺の発生を予見していた以上、当然炭鉱におけるじん肺発生についても予見するべきであつたし、かつその予見は容易であつたのである。

にもかかわらず、被告が昭和二五、六年まで炭鉱におけるじん肺について正確な認識をもちえなかつたというのは(仮りにそれが真実であるとすれば)、極めて異常という他ない。

(2) じん肺防止対策の懈怠

被告がじん肺について知見を有していなかつた時期は勿論、知見を有してからも適切なじん肺防止対策をとつていなかつた。

被告のなした対策のすべてが、法規が定めたことを形式的に実施したにすぎず、しかもそれも極めて不十分であつた。そして被告が自ら積極的に独自に開発研究して行つたじん肺対策というものは一つもなかつたのである。

例えば、防じん対策のうち湿式削岩機について、事実を整理してみると、被告の防じん対策の実態が明らかである。北松炭鉱においては、炭鉱が閉山した昭和三七、八年頃まで乾式削岩機だけを使用していた労働者が圧倒的に多い。北松炭鉱では、一部湿式削岩機が導入されたものの、主力は乾式削岩機であり、炭鉱によつては、湿式削岩機が全く使用されなかつたところもあつたというのが実状であつた。炭則は、昭和二五年八月の改正で「けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するときは、これを湿式型とし、かつ粉じんを防止するためこれに必要な給水をしなければならない」と定めている(同則二八四条の二)。

さらに炭則は昭和三〇年の改正で、「けい酸質区域において衝撃式さく岩機を使用するときは、当該さく岩機に必要な給水をするため、配水管を設けなければならない」と定められたのである。

このように炭則では、けい酸質区域という条件付ながらも、じん肺防止のためにはさく岩機を湿式型とすべきことを昭和二五年の時点からすでに規定していたのである。

北松炭鉱の岩層は砂岩、頁岩であり、いずれもけい酸分の含有率の高い岩石であり、かつ炭層が薄層で岩石掘進の割合が多かつたのであるから、じん肺予防のためには北松炭鉱の全掘進現場で、湿式削岩機が使用されるべきであつたのである。

にもかかわらず、湿式削岩機の使用実態は前記のとおりであつて、昭和三〇年代に入つてからも、ごく限られた箇所でしか使用されていなかつたのである。

すでに湿式削岩機が広範に普及し、かつ法規もその使用を義務づけていた、昭和二〇年代の後半以降も依然として、乾式削岩機を使用させ続けた被告日鉄の行為はまさに犯罪的であつて、断じて許すことのできないものというべきである。

その他のじん肺対策においても

① 防じんマスクが定期的にかつ無償で支給されていなかつたこと。

② 収じん機が全く実用化されていないこと。

③ 採炭切羽内における散水が実施されなかつたこと。

など、およそ、被告がじん肺防止のために積極的な対策をとつたものは全くなく、実態は、炭じん爆発防止のための炭じん対策と、保安法規の定める防じん対策が形式的にかつ不完全に実施されただけであつた。

そのために、被告は、「坑内は湿潤であり、掘進、採炭などの作業中も粉じんは、発生していなかつた」との実態とかけ離れた主張をせざるを得なかつたのである。

原告らの主張するじん肺対策は、被告が実施しようと思えば容易に実施できるものばかりであつた。それを実施しなかつたのは、被告に労働者の健康に対する配慮が全く欠落していたために他ならない。被告にあつたのは、石炭の増産による利潤の追及のみであつたというべきである。

(3) じん肺隠し

被告はじん肺を未然に防止するためには、労働者にじん肺についての教育をなすと共に、定期的に健康診断を実施して、労働者の健康状態の把握に努め、じん肺患者を早期に発見し、これに対する治療、職場転換などの措置を講ずべきであつた。

しかるに、実態は全く逆であつた。

すなわち、被告は労働者に対してじん肺についての知識を与えようとせず、むしろこれを隠していたのである。このことは以下の事実から明らかである。

① 原告ら元従業員の殆んどがじん肺教育を受けておらず、本件各坑在職中にじん肺についての知識をもたなかつたこと。そのために、在職中にすでにじん肺の症状がありながら風邪、肉体疲労などと考えて、無理して働いた者が多いこと。またじん肺のため、働けなくなつてからもじん肺に気付かず、風邪・結核などと誤解して、じん肺検診を受けず、労災上の保障申請手続をするのが大幅に遅れてしまつた原告ら元従業員が数多くいること。

② 被告の実施した健康診断、じん肺検診において、じん肺あるいはじん肺罹患の可能性を指摘された原告がいないこと。逆にじん肺の症状があつたにもかかわらず、炭鉱病院で受診したところ、「風邪」「胃が悪い」「結核」とかの診断を受けた者が多い。原告ら元従業員のなかには被告の許から退職し、他の炭鉱に入社しようとしたところ、入社時の健康診断で「じん肺」と診断され、入社できなかつた者さえいる。これらの事実は、被告の炭鉱病院でじん肺発見のための努力が全くなされず、むしろじん肺を隠そうとしたことを窺わせるに十分である。

③ 被告在職中にじん肺罹患のために働けなくなつた者に対しては、じん肺罹患の事実をも知らせないままに、会社を辞めるよう強要し、職場から追放していること。

被告が、自らの利潤追及のために意図的に労働者にじん肺に対する知識を与えず、じん肺に対して無防備の状態で働かせ続け、在職中にじん肺に罹患していたと思われる原告ら元従業員に対してそのことを知らせずに、粉じん職場で働かせ続けていたことは、以上の事実より明らかである。労働者の生命と健康を犠牲にして、今日の繁栄を築いてきた被告の、この非人間的・反社会的体質はこの訴訟で厳しく裁かれなければならない。

(4) 配置転換の不実施にみる被告の悪らつさ

じん肺は進行性の疾患であり、その発症までにはある程度の期間が経過し、その症状も段階をへて悪化していくという特徴を有している。従つて使用者としては、労働者に対して健康診断を実施し、じん肺患者を初期の段階で早期に発見し、この者に対しては非粉じん職場へ配置転換を実施すべきであつた。

しかるに被告では、この配置転換が実施されておらず、ごく例外的に配置転換を受けた者も、体の異常に気付いて、自ら自主的に申し出て、他の職種へ変わつたという者が殆んどである。

昭和三〇年、三一年の健康診断によつて症度二、三と診断され、他の職場への配置転換が必要とされていた労働者が、配置転換されないままに、昭和三六、七年ころまで粉じん職場で働き続け、管理四となり、あるいは合併症によつて働けなくなつていた。

すでにじん肺に罹患し、他の職場への配置転換が必要と自ら認めておきながら、その後数年間も同じ粉じん職場で働かせ続け、ついに管理四あるいは合併症によつて働けなくなつた労働者をつくり出していつた。ここにじん肺に対する被告の基本姿勢が凝縮されている。自らがすでにじん肺に罹患していることも知らされず、黙々と地底で働き続けた鉱夫達、この鉱夫達にも愛する妻や子供があつたはずである。そのまま粉じん職場で働き続ければ、じん肺という不治の病にかかることを知つていれば、何人が他の職場に移ることをためらつたであろうか。

被告は配置転換は労働者側の事情によつてうまくいかなかつたというが、配置転換がうまくいかなかつたとすれば、それは①被告が労働者に対するじん肺教育を行つていなかつたこと②配置転換の補償金額が余りにも低額であつたことを原因とするものであつて、もつぱら被告側の事情によるものであつたというべきである。

すでにじん肺に罹患し、配置転換が必要とされている鉱夫達が、粉じん職場で黙々と働いている間、被告はこの鉱夫達に対してどのような視線をおくつていたのであろうか。

我々は労働者の生命や健康をあたかも虫ケラのように扱つた、この被告の所業を断じて許すことができない。

(5) 被告による提訴妨害

原告らは、昭和五四年ころから、自らのじん肺罹患の責任が被告にあり、じん肺罹患によつて蒙つた損害の賠償を被告に要求できることを認識し始めた。そして、昭和五四年夏ころから一致団結し、被告の責任追及のために裁判を提訴する旨の合意が形成されていつた。

ところが被告はようやく権利意識に目覚めて、自らが蒙つた損害の回復を求めて立ち上ろうとした原告らに対して、悪質な妨害工作を行つている。被告の意を受けた元職員らが、患者の家を回つて「裁判には莫大な費用がかかる。裁判は五年も一〇年もかかる。生きているうちに判決をとるのはむずかしい。」などと話し、裁判に参加するのをやめるよう説得しているのである。患者のなかにはこの説得工作を受けて、裁判を断念した者もいるとのことである。

在職中にはじん肺についての知見を与えず、むしろこれをひた隠しにしておきながら、患者が権利意識に目覚めて立ち上るや、これを妨害する、この被告の悪らつさ、この体質が多くのじん肺患者をつくり出してきたのである。

(6) 被告の応訴態度の不当性

被告の前記体質は、本件訴訟における応訴態度にも見事に出ている。

被告の主張立証のなかでまず指摘されなければならないのは、その主張立証が余りにも実態とかけ離れたものであるということである。すなわち、被告側の証人らは、

① 坑内は湿潤で水が多く、掘進や採炭現場においても発じんは少なかつた。

② 通気状態は良く、車風や漏風はなかつた。

③ じん肺教育は行つていた。

④ 健康診断は実施し、じん肺の早期発見につとめ、その結果は本人へも通知していた。

⑤ 配置転換についても会社としてできるだけの努力はしていたが、労働者側の事情でうまくいかないことがあつた。

⑥ 湿式削岩機は昭和三〇年代には全掘進現場で使用されていた。

等の証言を行つているのであるが、これらの証言は事実に反するものである。

被告側の証人らが、すべて被告の社員(あるいは元社員)であり、会社に対する忠誠心があるとしても、ここまで実態に反する証言(偽証)を行われると、その人間性を疑わざるを得なくなる。

また社員(元社員)に対しこのような真実に反する証言を強いている被告の姿勢は強く糾弾されなければならない。

次に指摘されるべきは、被告の書証提出の不当性である。民事訴訟が当事者主義のもとに追行される以上、当事者が自己に有利な書証を提出し、不利な書証を提出しないのは、ある程度やむを得ないことと言えよう。しかしながら、被告の本訴訟における書証提出の仕方は余りにも手前勝手であり、証拠を通して真相を明らかにしようとの姿勢が全く見られない。

例えば、じん肺に関する論文のごく一部のみを書証として提出し(乙第一一号証、甲第一四五証参照)、粉じん数調べの調査表の一部のみを提出している(乙第九九号証)ことは、その端的な表われである。

また、被告は、労働者のじん肺検診は実施したと言いながら、その結果についての書証は乙第一三一号証を除いて、一切提出していない。また粉じん測定の結果についても、乙第九九号証が提出されているのみで(それも一部のみを出していると思われる)、他に書証は提出されていない。

仮りにじん肺検診や、粉じん測定が実施されていたとすれば、これらの資料は被告に保管されているはずである。

被告は、原告らの職歴や収入関係についての調査には極めて熱心でありながら、自らの有している資料については殆んど提出していない。

二包括一律請求

1  損害賠償の内容・性格

被告らの請求する損害は、原告らの被つた財産的損害、非財産的損害の総和のうちの一部であり、公害訴訟の経験の中で蓄積された理論である包括一律請求と同じ法的性格のものである。

じん肺は進行性不可逆性の疾患であり、その症状は固定することなく、又治癒することもない。じん肺による損害は、その症状の増悪に従い漸進的に増大し、その被害の拡大はとどまることがない。

原告らは本訴において、患者がじん肺罹患時からじん肺死に至るまでの全損害を包括的に請求している。よつて生存患者に関連する損害は、その患者の現在過去の損害にとどまらず、じん肺症状を確実に増悪させ、悲惨な死を迎えるまでの将来の損害をも請求している。

原告らは、じん肺罹患時より死に至るまでの精神的な損害、経済的な損害のすべてを包括し、その損害の一部を請求している。

原告らの一部は労働者災害補償制度及び厚生年金制度により各種の補償金を受領しており、将来においても受領する可能性が大きい。

原告らの請求は過去将来に互る労災補償金及び厚生年金の補償金の受領金及び受領予定金の総額を差引いた金額を請求している。

原告らは本訴において、生存者死亡者を問わず被害者一人あたり一律金三〇〇〇万円の損害賠償を請求するものであるが、原告らのじん肺罹患時より死亡時に至るまでのすべての損害は、原告らの請求金額をはるかに上廻る。原告らは被つた損害を包括的に請求しているが、本訴における請求は原告らが被つた損害の一部である。但し原告らは、将来においても訴をもつてその余の損害を被告に請求するつもりはない。

2  包括請求の正当性

(一)  じん肺は進行性不可逆性の疾患であり、その被害も進行的に不可逆的に発生する。じん肺症状は初期には自覚症状も現われないほど微細な変化を体内にもたらすが、長時間をかけ漸進的に確実にその症状は悪化し、労働力を蝕み、患者家族の苦しみを増大させ、ついに患者からすべての労働力を奪う。労働能力を失つた患者は、その後の長期間の療養生活の中で症状を確実に悪化させ、悲惨なじん肺死を迎える。長い患者はこのようなじん肺の闘病生活を二〇年以上続け、死に至るのである。

(二)  じん肺患者の長期間にわたる闘病生活の損害は、基本的には一つであり、それを精神的損害・経済的損害と区別し細分化することは非科学的である。なぜならじん肺被害は、前述のように微細な被害から悲惨なじん肺死に至るまで、長期間をかけ漸進的に確実にその被害を膨張させていくのであり、ある時期を特定して損害を輪切りにして、治療代、付添看護料、入通院費、休業保障、療養慰謝料、逸失利益、後遺症慰謝料等と分類し、それぞれの計算をすることに適しない。なぜならじん肺被害はたえず膨張しており、将来の重篤化により分類化された各損害も不確定な要素を持ちながら膨張していくからである。

(三)  さらにじん肺被害はその症状の増悪に従い、各種の被害が複雑にからみ合い、相関し現われてくるがその被害の現われ方は一様ではなく千差万別である。

例えば、多くの患者はじん肺初期の頃、自らじん肺に罹患していることに気付かず自覚症状を感じながら就労しているのであるが、ある患者は自覚症状を感じ仕事を休みその被害が経済的な損害として現われ、ある患者は家族のために無理して働きその症状を悪化させ、その被害が精神的な損害として現われている。このようにじん肺被害はその症状の現われが漸進的であり、闘病生活が長期間にわたつたり、しかもその症状が不可逆的に進行するため、被害の現われは各患者の家庭環境、経済環境、気質等の差により各種の現われ方をしている。しかしじん肺被害の本質は同一であり、それ故各患者の被害の総体は本質的には同一である。

(四)  じん肺被害は各種の被害が相関し、互いの被害を相乗的に深めながら密接不可分に結びついており、その被害を分離し個別的に量計化することは非科学的である。

じん肺被害の基本には、肉体的被害がある。肉体的被害は経済的被害・精神的被害・家族の被害等を作り出す。経済的被害は精神的被害・家族の被害を増大させ、増大された精神的被害・家族の被害は患者の肉体的被害を深める。多くの患者は長期間の望みのない療養生活の中で、生活に苦しみ、家族に苦しみを与え、そのことに心を痛め、まともな療養生活を送れず、そのことにより病状を悪化させ被害を増大させているのである。原告ら患者の長期間の苦しみはこのように各種の被害が複雑にからみあい、互いの被害を相乗的に増大させて発生しているのであり、被害を総体として包括的にとらえねばならない。

(五)  このようなじん肺被害を従前の積上方式により損害計算することは不可能である。従前の積上方式は、症状の固定という概念を前提とし、症状固定前と症状固定後と損害計算の方法を区別する。すなわち受傷時より後遺症の確定期までの間については、受傷時を被害の一番大きい時期と定め以後治療が軽快化していく課程としてとらえる。後遺症の固定後は将来にわたつてその症状が変化しないものとして慰謝料や逸失利益を計算する。しかしじん肺被害についていえば、症状を軽快していくと考えることも症状をある時期に固定して考えることも全くの誤りであり、じん肺症状のイ、ロ、ハを知らない非科学的な考えである。じん肺は死亡するまでその症状を増大させていく疾患であり、じん肺の悲惨さは基本的にその特質にある。その特質の理解なしにじん肺被害の理解はありえない。じん肺被害を従前の積上方式で計算することは、明らかに誤りである。

(六)  原告らは以上のじん肺被害の特質を踏まえて本訴において包括請求をしたものである。

3  一律請求の正当性

(一)  原告らはすべて被告の経営する北松の炭鉱で昭和一四年から昭和五〇年頃までに労働した炭鉱夫又はその遺族である。原告らはその意味で、生活環境及び経済環境が類似している。

(二)  原告らはすべて療養を要する重篤なじん肺患者又はその遺族である。原告らじん肺患者の現在の症状は千差万別である。ある患者は病院のベッドで寝たきりの療養生活を送り、ある患者は自力呼吸でさえ不可能となり、四六時中酸素吸入を続け命をながらえている。ある患者は比較的元気で毎回の法廷傍聴もほぼかかさず出廷している。しかし既のようにじん肺は進行性不可逆性の疾患であり、すべての原告らは、いずれ長期の寝たきりの重症の療養生活を経て、悲惨なじん肺死を迎える。現在比較的軽症に思われるじん肺患者は、将来の損害として、重篤症状の療養生活と悲惨なじん肺死が確実に予定されている。原告らじん肺患者の被害は各患者の現在の症状にかかわりなく、被害総体としては同一である。

(三)  以上の結果、原告らは本訴において、生存・死亡にかかわらず、現在の症状の軽重にかかわらず、すべてのじん肺患者につき一律の損害賠償金を請求しているものである。

三相続

遺族原告らは、その各被相続人である死亡従業員の死亡により別紙5記載のとおりの金額の割合で損害賠償請求権を相続した。

四弁護士費用

原告らは、本訴提起を委任するにあたり、原告ら代理人と、別紙5原告別請求金額一覧表「弁護士費用」欄記載のとおりの報酬を支払う旨約した。

第七結語

よつて、原告らは被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、別紙5原告別請求金額一覧表「請求金額」欄記載の金員及びこれに対する訴状送達の翌日である「遅延損害金の起算日」欄の日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二章請求の原因に対する認否及び反論<省略>

第三章抗弁

第一帰責事由の不存在

一仮に原告ら元従業員が、被告の債務不履行によりじん肺に罹患したとしても、被告は、次のとおり原告ら元従業員がじん肺に罹患することを予見しえず、また工学技術上粉じん発生防止の有効な手段はなかつたものであるから、被告の責に帰すべき事由はない。

すなわち、後記のとおり、炭鉱夫のけい肺ないしじん肺に関しては時代的に変遷があり、炭鉱夫がけい肺ないしじん肺に罹患することについての認識は、医学界においても被告を含む石炭鉱業界においても、被告設立後、相当長期間を経過した後に得られたものである。そして、これらの事情を反映して、石炭鉱業界に対する行政指導や法的規則も変遷してきたこと、じん肺発生防止が工学技術的にも困難であつたことは後記のとおりである。

したがつて、現在の観点から被告の有責性を論じることは不当である。

ここでまず昭和二〇年代半ばをもつて時代を分つてその前と後との時期について総括的に述べ、次いで医学的知見、じん肺問題、法的規制の変遷を述べることにする。

1  被告設立時より昭和二〇年代半まで

(一)  この時代における社会情勢について

昭和六年の満州事変に始まり、昭和一二年の日中戦争に続いて、昭和一六年の第二次世界大戦へと突入し、昭和二〇年八月の敗戦から復興期に入る前頃の社会情勢下の時代であつた。

昭和一三年三月、国家総動員法が制定され、国民の総力をあげて戦争を勝利に導くため、資金・資材・労務・物価・賃金・施設など一切の経済活動を政府が、一方的に支配する体制がしかれ、昭和一五年頃からは主要食糧(米など)、綿糸、砂糖からマッチに至るまで、国民の主要な生活必要物資までが不足する時代に突入していつた。

第二次世界大戦に入り、やがて日本中の都市に対して空襲が相次ぎ、殆んどの都市や工場に至るまで破壊され、他方、国内は国防のため、成年男子の殆どが徴兵されるのみならず、学生に対しても学徒動員令が下り、学問の研究機関も正常に機能せず、また専門分野の研究者も国防に向けられ、殆ど研究も出来難い状況にあつた。また物資は大幅に不足し、日本政府は鉄・銅・アルミ等の金属類を戦力にふり向けるため、すべての国民から、鍋・かまに至る日用品まで供出させていた時代であつた。やがて敗戦を迎え、焼土と化した日本国土で、国民は、「衣」「食」「住」のすべての生活分野にわたり、極端な不足状態に陥り、餓死寸前の状態にまで追い込まれていた。

かくて連合軍の占領支配下において、新憲法が制定され、その指導と援助を受けながら、苦しい生活に耐えていた日本国民は、荒廃化した日本の再建乃至経済復興を目指し、総力をあげて努力を始めた時代に入つた。

やがて昭和二五年に入り、朝鮮戦争が勃発し(昭和二八年に休戦協定)、日本の国民経済の活性化は緒につき始めたのである。

この時代は、右のように現在の社会情勢下とは、およそ比べようもない未曽有の特殊事態にあつたことが明白であり、従つて、この時代における医学知見の水準も、工学技術の水準も、法令及至その解釈適用面においても、現在の社会情勢におけるこれらとは、格段の相違がある。

(二)  この時代におけるけい肺医学に関する知見内容の水準

(1) けい肺じん肺医学に関し、時代的区分をするに、昭和二〇年以前の時代を揺籃期、昭和二〇年以降昭和三〇年頃までの時代を黎明期、昭和三〇年代に入つて昭和四〇年頃までの時代を開発期、昭和四〇年頃から昭和五〇年頃までの時期を充実期、それ以降を発展期と区分することができる。右区分によれば、この時代の医学水準は、未だ揺籃期乃至黎明期の初期であつた。

(2) この時代におけるけい肺医学の知見内容乃至その水準の特徴を指摘すると次のとおりである。

① 当時のけい肺医学水準は極めて低く、「医科大学の教授さえ、珪肺という言葉すら知らなかつたこと」「医科大学や一流の国立病院の先生でも、どんな病気か知らない者が多かつた」時代であつたこと。

② 一部の研究者によつて研究がなされていたとは言え、限られた範囲内の部分的研究に過ぎなかつたこと。

③ その限られた研究においても、けい肺罹患の病理機序をなす要因(粉じんの質、吸入量、吸入期間、罹患に至る期間、罹患率、その業種の実態、個人差、その他要因など)即ち、知見の内容が明確でなかつたことから、予見すべし乃至調査すべしとしても、その予見内容の実態的要因が、そもそも余りにも判明していなかつたこと。

④ 石炭鉱山に行けば、金属鉱山のヨロケ(けい肺)が治るという対立した知見が存在し、むしろこれが一般的に認識されていた時代であつたこと。

⑤ 戦後昭和二三年の金属鉱山復興会議以降に至つて、始めて金属鉱山のけい肺問題がとりあげられたような社会情勢にあつたこと。

⑥ 政府(労働省)が初めて、昭和二三年から行つた全国けい肺巡回検診は、金属鉱山から始まり、その後他の産業に拡げられたこと。昭和二九年度労働衛生週間の栞のとおり、「昭和二二年以来主として、金属鉱山について約七万人を検診し、……一昨年以来は石炭鉱山その他の業種に手を延ばしつつあつた」時代であつたこと。

(3) 石炭鉱山におけるけい肺罹患者が発生する可能性のあることが、一般的に初めて知られるようになつた時期は、昭和二五年八月の炭則による「けい酸質区域指定制度一の新設された頃であつた。

わが国の石炭産業に関与、従事した「政府」「企業」「医学」の各関係者が認識しえた時期がこの頃からであつた。

(4) 被告の北松鉱業所においても、政府の行つた前記の全国けい肺巡回検診に先立ち、未だ診断技術を有する医師も殆どいなかつた社会情勢下で、自社の真摯な努力の結果、肺結核患者の中からようやく二名のけい肺罹患者を発見しえたのが昭和二六年であつた。

(5) 本件の粉じん自体は毒物でも病原菌でもない。地上の日常生活現象で年間を通じて発生する「地上に舞い上がる土埃垢の粉じん」も同様である(この点において、クローム化合物障害、有機水銀の水俣病、カネミ油症などの事例と本質的に異つていること)。

(6) かような医学に関する知見内容の水準から見ても明らかなとおり、この揺籃期及至黎明期の初期頃までの時代において被告会社が、石炭鉱山におけるけい肺症の発生について認識を有していなかつたことは、充分に相当な事由があり、帰責事由がないこと明白である。

(三)  この時代における法令とその適用の実態について。

(1) 特徴を指摘すると次のとおりである。

① 昭和五年の鉱警則改正の経緯からみて、けい肺発生の実態が明らかにされて来た金属鉱山を対象としたものであつたと考えられること。

② 炭則と金属鉱山等保安規則との規定の違いから、粉じん防止について指導取締上明らかに差異があつたこと。

③ これはけい肺発生の危険性に対する公的な認識の差異に由来するものであると考えられること。

④ 石炭鉱山では爆発の原因物資としての炭じんに関する認識は普及していたが、けい肺の原因物資としての粉じんに関する認識はなかつたこと。

⑤ 昭和二五年の炭則改正で、けい酸質指定区域制度が定められた時点を契機として、初めて石炭鉱山におけるけい肺対策が行われるようになつたこと。

(2) 第二次世界大戦中は、戦時生産増強の目的のために、鉱警則の労働者保護に関する諸規定もその施行を停止させるに至つた。

(3) 原告ら主張に係る本件訴訟の法的根拠とする「安全配慮に係る債務不履行責任論」の判例規範も、この時代においては、未だ全く認知すらされていなかつたこと。

(4) 仮りに、右の法理が考えられたとしても、当時の国民全般にふりかかつた未曽有の特殊な時代においては、その社会情勢からみてもなお且つ、特段の事情がないかぎり、債務不履行の責任原因事実とすることは、信義則の法理上、到底出来ないこと。

(四)  この時代における工学技術水準について述べると、この頃までは、炭鉱で実用に耐える小型の手持式湿式さく岩機はなかつた。

原告らは甲号証の文献をもとに、昭和初期に日本で小型湿式さく岩機が制作された。また外国輸入品のインガソルライナー型が存在した等を例にして、被告会社創立時から使用可能であつたと主張するが、これら過去の一時期の文献のみをもつて、直ちに実用化が可能であつたと推論することができず、また実態にも全く反している。

およそ、このような工学技術は、時代の社会情勢に根ざして徐々に試行錯誤の技術過程を経て開発改善されてくるものであるところ、我が国のこの頃までの未曽有の社会情勢下においては、技術者の技術・材料・材質に至るまで極端な不足状態にあつたこと(輸入品も入手できない事態)からしても、炭鉱用湿式さく岩機の入手は勿論その実用化を期待することは到底出来なかつたことが明らかである。

2  昭和二〇年代半ば以降

昭和二〇年代半ば以降、昭和四〇年代半ばまでに至る時代、(被告北松鉱業所の閉山は昭和四〇年、同伊王島鉱業所の閉山は昭和四七年)において、本件原告らに対する「けい肺じん肺罹患の安全配慮に係る債務不履行責任」の存否につき、被告にその責任はない。

(一)  この時代において、本件につき、被告に債務不履行責任ありとなすことができないものであることは、(イ)この時代の医学水準の知見内容即ちけい肺・じん肺罹患の要因となる「粉じんの有害性」の条件、(ロ)この時代における石炭産業界の従来の慣行乃至社会情勢、(ハ)当時の工学技術の水準、(ニ)この当時の法令乃至解釈適用の実態などに基づき、被告が当時においてなすべき妥当な防止措置を総合的体系的に、誠実に実施してきたことからして明らかである。

(二)  本件債務の内容を構成する知見内容(予見すべしとする内容)即ち、けい肺・じん肺罹患の要因乃至本件「粉じんの有害性」の条件について

(1) 本件けい肺・じん肺罹患の要因とされる「粉じん自体」は、毒物でもなく病原菌でもないのであつて、それ自体が「有害性」をもつものではなく、それがある一定の条件を満たすと、始めてけい肺・じん肺の要因とされる「有害性」を持つに至るのである。

我々はこの地球上に生存する以上、生涯を通じて、ある程度の粉じん(即ちある時は多量に、ある時は中量に、またある時は少量に)を吸入し続けているのであつて、これを避けることは出来ない宿命にある。

我々の日常生活において、年間を通じて発生する地上に舞上る土埃の粉じんがあること。また我々の家庭内においても、かなりの粉じんが浮遊していることは、室内の掃除における埃(電気掃除器に吸引されたほこりにおいても同様)などで日常的に経験するのみならず、家庭内の換気扇、扇風器などに付着するほこり、その他室内の冷房器、暖房器、空気清浄器などのフィルターに付着するほこりなどによつても同様に経験するところである。

(2) ところで、本件粉じんがある一定の条件を満たすと、始めてけい肺・じん肺障害の要因とされる「有害性」を持つのであるが、その「有害性の条件」とは一体如何なるものであるとされるのか。これが本件債務内容を具体的に特定する大前提となるが、それは当時の医学水準による知見内容を前提とする他にはないのである。

(三)  この時代における医学水準及びその知見内容について

(1) けい肺・じん肺医学の時代的区分によれば、昭和二〇年以降昭和三〇年頃までの「黎明期」、昭和三〇年代に入つて昭和四〇年頃までの「開発期」、昭和四〇年頃から昭和五〇年頃までの「充実期」にあつた。

(2) なお被告の炭鉱閉山後の昭和五〇年頃以降現在に至る時代の医学水準及びその知見内容について簡単にふれると、この時代は発展期に該当する。

① 昭和五二年制定の「改正じん肺法」(施行は昭和五三年三月三一日)により、粉じんの種類について、「鉱物性粉じん」から、「鉱物性」の文言が削除された。この改正によつて、今後の医学的知見の集積により、医学的合意が得られた時点で、有機粉じん(植物性粉じんなど)をその対象とする余地を開いた時代に入るのである。

② 有機粉じんとじん肺との関係では「綿糸を織る工程やタオル裁断などの作業におけるじん肺」、「木の皮・葉の粉じん作業によるじん肺」、「穀粉の加工・運搬作業によるじん肺」、「コルク製造作業におけるじん肺」、「紙の裁断作業におけるじん肺」をはじめとし、各種の研究がなされている。

③ また、大気中の粉じんとじん肺との関係についても、臨床的研究によると、粉じん業務に従事していない都市居住者の中に、じん肺症状の知見が発表されている。

④ 更に、老令化による所謂老人性の肺線維症(老人肺)についても、「六〇才をこえると都市居住者の四〇%にX線上じん肺一型以上に該当する」という知見が発表されている時代である。

⑤ 昭和五二年の改正じん肺法の時期に至つて、「じん肺標準フィルム検討専門家会議」、「じん肺合併症検討専門家会議」、「じん肺健康診断方法等についての専門委員会」が設置審議され、「改正じん肺法」施行とともに初めて石炭鉱業にみられる「その他じん肺」のレントゲン標準写真が設けられた。その後昭和五四年に至り、「粉じん障害防止規則」が制定されたのであるが、この適用範囲は、「地上の屋内作業場」に関するものであり、被告の本件操業当時の坑内作業には測定義務はなかつたのであるが、被告はその測定にも誠実に対応していた。

(四)  被告は昭和二〇年代半ば以降において当時の医学水準の知見内容に基づき、その時代の社会情勢に応じて、適切妥当な総合的、体系的防止措置を実施して来た。

よつて被告は昭和二〇年代半ば以降についても債務不履行責任はない。

二炭鉱夫じん肺についての医学的知見の変遷

1  石炭鉱業におけるけい肺問題に対する戦前のわが国の医学的研究は微々たるものであつて、専ら欧米諸学説の紹介の時代であつた。このような状況下にあつて昭和初年に優れた業績を残した北海道炭礦汽船株式会社夕張炭礦病院長白川玖治の研究によれば、先ず炭じんの影響について「炭塵ノ身体ニ対スル影響タルヤ全ク無キカ、少クトモ頗ル微温的ニシテ決シテ顕著ニ現ハル、コトナク又他ノ条件ニヨリテ容易ニ打チ克タルゝ程度ノ低キモノナルハ一般ニ認メラルゝ所ニシテ、職業精選等之レニ抵抗的ニ働ク作用ノ除カレタル所ニ漸ク病因トナルニ過ギズ」と言い、更に炭石肺に注目してこれを分析し「炭坑夫ノ塵埃吸入ニ拠ル害度――塵肺ハ塵組成ニ関シ殊ニ主トシテ内ニ含マルゝ硅酸ノ分量ニ影響セラレ、換言スレバ炭塵ハ単ニ蓄積スルニ止マリ、傷害――塵肺生成ニハ余リ意味有セザルモノゝ如シ。而シテコハヨク余永年ノ経験、保健調査、動物実験等ニ符合スル所ナリトス」と述べ、金属山と比較して「北海道炭鉱夫間ニ『金山ハ「ヨロケル」ガ炭山ハ「ヨロケヌ」、金山ノ「ヨロケ」ハ漁場又ハ炭山ニ行ケバ治ル』ノ語アリ。蓋シ『ヨロケ』トハ硅肺症状就中作業又歩行ニヨリテ起ル呼吸促迫ヲ意味セルモノニシテ塵肺発生又ハ塵肺的病訴ニ対スル石炭山坑内塵ト金属山坑内塵トノ相違、換言スレバ炭塵ト石塵トノ侵害的相違ヲ、経験持ヨリ表明セル名言ト言フベシ。石炭山坑内塵就中炭塵吸入ニ拠ル炭鉱夫ノ健康障碍度殊ニ呼吸器ニ対スル侵害度ハ頗ル僅微ナルモノノ如ク、余ハ永年純炭鉱夫診療中、未ダ一回モ金属山鉱夫ニ見ルガ如キ症状ノ進メル硅肺患者……ヲ経験シタルコトナク、余モ亦鉱夫同様『炭山ニ「ヨロケ」無シ』と確信シ来リタルモノナルガ、今回更ニ有馬教授トノ詳細ナル研究ニ拠リ此信念ヲ一層深カラシムルニ至レリ」と結論するほか、新設を紹介して「『無害ノ塵埃ヲ混和吸入スレバ硅酸塵モ其危険性ヲ減弱スルモノニテ、動物実験ニ拠ルニ、仮令硅酸含有量ガ同一ニテモ炭塵ノ如キ無害性塵埃混入ノ場合ハ肺ヨリ塵ノ除カルゝコト早シ』ト。果シテ然ラバ炭坑内ニ於ケル砂頁岩塵ノ害毒ハ勿論、炭塵中ニ石炭自体ノ成分トシテ含マルゝ硅酸ニヨル不良ナル影響モ確カニ減弱セラルゝモノト謂フベク、採炭夫ハ勿論、石掘ヲ主トセル掘進夫モ時ニ炭塵ヲ吸入スル意味合ニ於テ炭礦ニ於ケル坑内衛生上非常ナル福音ト云フベシ」という。以上は正に当時の諸外国における研究の水準、模索の状況とわが国の受入れ消化の状況を如実に示すものといえるであろう。

2  当時の諸学説を見れば、炭じんを有害とするもの少なく、無害又はむしろ有効とするものが圧倒的に多く、大正末にレッセル、カールらが提唱し一部で吸入が実施されたけい酸の結核有効説さえあり、こと炭じんに関しては無害説・有効説が主流であつて、わが国研究者は勿論一般医家にあつても、かかる先進諸国の知見が流布されこれが産業界ひいては石炭鉱業界にも浸透していた。

3  欧米ではけい酸のじん肺発症性をもつとも重視し、けい酸じん、石綿じん以外の粉じんの吸入によるものは、たとえX線に多少の所見をあらわしても無害であるとして良性じん肺とよび、この種の粉じんを不活性とした。この考えを代表するものは米のガードナー(一九四〇年、昭和一五年)であるが、この間現実に有害なじん肺をみるときは、少量であつても混在するけい酸にその責を負わせるか、炎症合併によつてはじめて有害化するとの考えが一般であつた。しかも今尚この良性じん肺の考え方は根強く残されており、諸外国ではいまだに有害じん肺はけい肺に代表されるとの考え方が根強く、我が国の研究者にも一定の影響力を持つている。

4  かくて戦後のじん肺研究が始められたのであるが、当初は珪肺巡回検診による症例しゆう集、疫学的調査に併行して、諸外国の医学的知見の追跡に始つた。即ち昭和二四年発行の「公衆衛生学」所収の労働科学研究所長勝木新次の論文によれば「塵肺を起すものとして最も重要なのは遊離珪酸を含む粉塵で、之による塵肺は病変高度で特に珪肺と呼ばれる。炭粉、石炭粉、有機塵等は塵肺を起す作用に乏しく、起しても線維増殖の程度を超えない」という認識であつた。又北海道大学医学部教授(後に札帽医科大学々長)中川諭の昭和二五年発行の「内科書」によれば「塵埃粒が肺胞壁に沈着してこゝに炎症を起こさせる。これが即ち塵肺である。この炎症を起す能力は塵埃の種類によつて異なり炭粉は起炎力が最も弱いから高度の炭肺でも肺機能の障碍を起すことなく、石炭粒、特に石英粒は炎症及び胼胝を速やかに起すため肺機能は急速かつ高度に障碍される」とあり、昭和二四〜二五年当時のわが国の医学水準を反映している。さらに東京大学医学部教授沖中重雄が昭和二七年に改訂した「内科書」(原著呉建、坂本恒雄)は「炭粉は肺臓内に吸入せられるも、刺激作用少なく、従つて少なくとも著明なる結合組織増殖を来たすことなく、臨床的にも通常局所的並に全身的障碍を惹起することがない」とし、炭粉に対する知見に変化のないことを窺わせる。佐野辰雄も昭和二五年動物実験の結果「炭粉は大量を与えても、一ケ月以後四ケ月の間に反応は完全に消失し、珪酸は一年に至つても反応が沈静しない。」との結論を得、更に昭和二八年この実験結果を踏まえた難溶性物質の三分類、珪酸型(強作用型、作用持続型)、アルミニウム型(中等作用型)、炭粉型(弱作用型)を基礎に塵肺の分類を行つて炭肺を良性塵肺とし、「各種産業粉塵の種類とその病害」を分類して「鉄、錫、バリウム、炭粉」を「殆んど無害、極微の塵肺」とした。

5  以上要するに昭和二〇年代の医学的知見によれば炭粉は良性であつて障害を惹起することがないというにあり、例えばけい肺発生の職種として昭和二三年の「最新衛生学講義上巻」(名古屋大学医学部教授鯉沼茆吾閲)は「採鉱夫、石工、研磨工」を、昭和二四年「公衆衛生叢刊Ⅶ」(元労働科学研究所研究員後に公衆衛生院教授石川知福論文)は「石工、金属鉱山坑内夫、鋳物工」を挙げるにとどまり、又昭和二八年発行の「珪肺」において労働科学研究所三浦豊彦は「各種工場鉱山の発塵」として実に五一職場を調査し更に「各種作業場塵埃の中で一μ以下の粒子を占める%」を二一職場について調査しながらも、いずれにおいても石炭鉱業の職場に触れることなく、佐野辰雄も「塵肺の各論」において触れず、元東京大学医学部教授岡治道は「石綿肺以外はいずれも我が国ではなお確認されているとはいいがたい」と断ずる状態にあつたのである。更に昭和二八年発行の「最近の職業病」においても久保田重孝が「漸くわが国の珪肺問題も黎明期を過ぎ実質的な研究、処理の行われる時期に達したのである」と述べている。

6  昭和三〇年けい特法の施行に伴い、漸くけい肺の本質追求が試みられるようになつた。特にアルミ肺、ろう石肺等の症例が報告されるに及んでけい酸塵以外への関心が高まり種々の研究が重ねられ、佐野辰雄はこれらの知見を基にしてじん肺をリンパ型、肺胞型に分類することを提唱したが、これに対しても臨床的には充分に証明されておらず、珪肺の早期診断に対する意義も確立されていないとの批判があつたのであり、これはじん肺研究の基礎的部門においても当時なお議論があつたことの証左である。

昭和三五年じん肺法制定後も種々の研究が行われて来たところであるが、所謂炭素系粉じんによるじん肺のわが国における発見はこの時期のものであつた。即ち昭和三六年初めて奈良県立医科大学教授宝来善次によつて製墨業者のじん肺が発見され、その後昭和四二年にかけて黒鉛肺、活性炭素肺の発見があり、昭和二六年に始められた労働省労働衛生試験研究制度による委託研究以来の協同研究一五年にして漸くこゝに至つたのである。

三石炭鉱業におけるじん肺問題の沿革

1  わが国石炭鉱業は歴史が浅く、じん肺問題を経験すること誠に少く、そのため官民共にその認識を欠いていた。

昭和五年の内務省社会局労働部長通牒が鉱夫のけい肺を業務上の疾病として取扱う最初のものであつたが、けい肺問題に関する当時の医学水準は極めて低く「医科大学の教授でさえ珪肺という言葉を知らず」「医科大学や一流の国立病院の先生でもどんな病気であるか知らぬ者が多かつた。」のが実情であつた。しかも臨床所見によつて診断する時代であつたため本通牒によつて業務上の疾病として認定されたけい肺罹患者が金属鉱山においてさえも少数であつた。

なお、昭和一三年(一九三八年)ILO珪肺専門委員会において日本が発表した資料によれば珪肺発生業種として金属山、陶磁器製造、石切場、硝子工場、鋳造工場、耐火煉瓦工場を挙げるにとどまつており、これからしても石炭鉱業に対する認識に欠けていたことは明らかである。かかる状態はその後も変ることなく戦中戦後に受け継がれた。北海道の労働衛生に大きな影響を与えた井上善十郎教授の著書「新衛生学」昭和一九年版の塵肺症の項を見ると、まだ北海道内のじん肺症の発生事例などには殆ど触れられておらず、文献報告などを中心とした概念的な記載に終つている。これは当時じん肺症に対する医学会全般の関心の程度を示しているとともに、行政施策の面でも殆ど無きにひとしい状態であつたことを示すものである。

2  戦後中央においてはけい肺問題が盛り上りつつあつたが、それは金属鉱山におけるけい肺問題が主体であつて、石炭鉱山についてはその実態を反映して当初は取上げられることがなかつた。

即ちけい肺の総合的医学研究の始まりとなつた昭和二三年四月金属鉱山復興会議の「本建議提出の理由」は「採石事業場、陶磁器製造、金属又は他のサンドブラスト業、窯業、トンネル開さく事業場、けい酸含有磨粉製造」を挙げて、石炭鉱業を挙げず、又昭和二五年二月労働省が作成した珪肺法案は適用事業の範囲について「金属鉱業、金属鋳物工業、窯業、土石採取業、土石工業」を挙げることにとどまり、これまた石炭鉱業を適用事業としておらず、法案上石炭鉱業を適用事業として最初に取上げたのは既に珪肺巡回検診もかなり進んだ昭和二八年の参院法制局けい肺法案においてであつた。

3  労働省は昭和二三年九月三〇日基発第一四三五号通達により金属山におけるけい肺患者を発見し、これに対して適切なる措置を講ずるため同年一〇月より金属山珪肺巡回検診を行うこととし、全国の金属鉱山五一事業所を調査した。この第一回検診の結果に鑑みれば、金属鉱山以外の事業場にも相当けい肺の発生していることが予想されたため、労働省は金属鉱山のけい肺検診を主体としながらも、その対象を金属鉱山以外の産業にも漸次拡げることとしたのである。昭和二三年以来の珪肺巡回検診によつて金属鉱業についてはほぼその実態を把握しえたが、石炭鉱業については総労働者数が多いため検診率が低く、本格的な検診は昭和三〇年けい特法に基くけい肺検診にまたねばならなかつたのである。ちなみに昭和二三年ないし昭和二八年の巡回検診による産業別の珪肺発見率(労働省一一業種三五五五五名)によれば、各業種とも発見率が三〇%前後から五〇%という高率の中にあつて、石炭鉱業と鋳物業のみが七〜八%とかけ離れて低率であつた。

四法的規制の変遷

1  明治二三年鉱業条例が制定され、これに基づいて明治二五年鉱警則が制定され、明治三八年には鉱業法(旧鉱業法)及び同法に基づく鉱警則がそれぞれ制定されたが、当時の社会情勢の外、医学的、技術的知見の水準を反映してけい肺ないしじん肺の予防に関し、何ら見るべき規定はなかつた。鉱警則は、その後若干の改正を経て戦後に至つたが、その間時局急を告げる中で実効をあげるに至らないまゝ、戦後昭和二四年の鉱山保安法の制定に至つた。

2  被告の設立と統制経済

被告は昭和一四年五月に設立されたが、既にわが国は戦時経済体制下におかれ、日中戦争が長期化泥沼化するに従い、又これに続いて昭和一六年一二月に生起した第二次世界大戦に対応して、政府は経済統制を強化した。

(一)  国家総動員法、重要鉱物増産法

昭和一三年四月一日法律第五五号として国家総動員法が公布され、同年五月五日より施行された。

同法により政府は経済統制に関する広汎な権限を握り、その後勅令、省令を次々に発して経済を全面的に統制することゝなつた。

昭和一三年九月一九日石炭配給統制規則が公布施行され、製鉄用原料炭の利用を国家統制下におき配給調整を行うこととなつた。右規則は昭和一五年四月八日石炭配給統制法が公布されて法律化され同月一二日より施行された。

昭和一三年三月二八日法律第三五号重要鉱物増産法が公布され同年六月一〇日より施行された。同法は石炭のほか戦略資材につき国内自給体制を確立するために制定されたもので、政府が増産を図るため必要に応じて、鉱業権者に事業計画を策定して届出することの義務を負わせ、その変更届出をも義務づけ、事業計画の変更、事業の着手、継続を命じ、更に事業設備の新設、拡張、若くは改良を命じ又は作業方法若くは作業用品の規格に関し必要なる事項を命ずることができるとし、違反について刑事罰を科することとした。

以上の如き戦時統制化で被告の北松鉱業所は政府の強権的命令により企業活動を統制支配され専ら石炭の増産を強制されて来たのである。その事情は同業他社においても同様であつた。

(二)  軍需会社法

昭和一八年一〇月三一日法律第一〇八号として軍需会社法が公布され、同年一二月一七日より施行された。

被告は同法の軍需会社に指定され、政府の直接支配下におかれたのである。

3  労働基準法、労働安全衛生規則

(一)  昭和二二年四月五日労働基準法(昭和二二年法律第四九号)が制定公布され、一部の規定は昭和二二年九月一日より、他の規定は昭和二二年一一月一日より施行された。

同法制定に当つては、同法附則第一二四条によつて旧鉱業法第六章「鉱夫」のほか、第四章「鉱業警察」中第七一条第二号「生命及衛生の保護」が一応削除されて労働基準法に移されたが、実施については省令の運用段階に委ねられ、その間従来どおり鉱警則によつた。

(二)  昭和二二年一〇月三一日労働省令第九号労働安全衛生規則が制定されたが、同規則は鉱山保安の特殊事情があることから、この命令は鉱業及び砂鉱業における安全については当分の間これを適用しない(附則第四五一条)とした。

4  鉱山保安法

昭和二四年五月一六日法律第七〇号をもつて鉱山保安法が制定公布され、同年八月一二日施行された。同法附則第二項において旧鉱業法第四章「鉱業警察」を削除し、同法附則第四項において労働基準法に新たに第五五条の二を設け、労働基準法第五章「安全及び衛生」の規定は鉱山における保安(衛生に関する通気及び災害時の救護を含む)については適用除外とした。

5  労働安全衛生法、労働安全衛生規則

労働基準法は昭和四七年六月八日大改正され、同法の第五章「安全及び衛生」にある規定は削除され同日付で制定された労働安全衛生法(昭和四七年法律第五七号)の定めによることとなつた。同法第一一五条第一項は「この法律(第二章の規定を除く)は鉱山保安法第二条第二項及び第四項の規定による鉱山における保安については適用しない」と定めた。同法に基く労働安全衛生規則は昭和四七年九月三〇日労働省令第三二号として公布され、即日施行されたが、これも又鉱山の保安に対する適用が除外される。

ところで被告北松鉱業所は昭和四〇年二月に鉱業の実施を廃しているものであるから、労働安全衛生法および労働安全衛生規則による進歩した安全・衛生上の技術による新しい基準を、その制定前の過去の炭鉱の「安全および衛生」に関する適否を評価する規準として用いることは正当でなく許されない。

6  鉱業法

(一)  現行の鉱業法は、昭和二五年一二月二〇日法律第二八九号として制定公布され、昭和二六年一月三一日施行された。

(二)  鉱業法には、格別にけい肺・じん肺防止に関する定めは存しないが、生産と保安の一体性を求める定めがおかれている。

鉱業法第六三条に定める「施業案」は、鉱業実施の基本計画であり、又、鉱山保安の基本計画でもある。施業案は、採炭方法等の外、操業上の危険予防に関する事項として、通気、排水、照明及び発破に関する事項、作業の安全その他人に対する危害の予防に関する事項等操業の細部に亘り、採掘権者は、事業に着手する前に施業案を作成して通産局長に届出てその認可を受けなければならない。

本件各坑の施業案は通産局長の認可を受けたもので被告の各炭鉱の操業は、鉱山保安上、何ら支障なきものとして公認されていた。

7  鉱山保安法

(一)  鉱山保安法制定前

わが国において鉱山の保安が取り上げられたのは明治維新後比較的早い時期であり、前記のとおり、旧鉱業法および鉱警則が長くわが国の鉱山保安法規の中軸的立場を占めて来た。大正四年石炭坑爆発取締規則施行を契機として長足の進歩をとげた炭鉱の保安は戦前諸外国の成績に比較するに至つていたが、戦争と敗戦の結果、三〇余年前に逆戻りしてしまつた。この間の事情は昭和二四年度「鉱山保安年報」によれば「支那事変の勃発に伴い、戦争遂行のための増産要請に基き、鉱業は能力以上の生産を強行し、乱掘が行われ始め、鉱山における保安は比較的等閑視されたため、鉱山災害は増加の一途を辿つた。これに対応するため、政府は昭和十五年九月商工省令第六十八号石炭坑用爆薬類及機械器具取締規則及び商工省令第六十九号石炭坑用爆薬類及機械器具検定規則を定め、商工大臣の指定した石炭坑の坑内において使用する一定の爆薬類及び機械器具は、石炭爆発予防試験所において行う検定に合格したものでなければならないこととしたが、間もなく大東亜戦争に突入したため、国を挙げての戦時増産遂行の必要は益々増大し、鉱山保安の問題は殆んど顧みられることが少くなり、これらの規則制定の効果は期待することができなかつた。これより鉱山保安法制定に至る間は、法制的には、一応各種の鉱山保安法規が整備されていたが、その効果的な運用は全く行われず、鉱山災害は頻発し、まさに鉱山保安の暗黒時代であつた」というものであつた。

(二)  鉱山保安法

同法は昭和二四年法律第七〇号として即日公布され同年八月一二日より施行された。同法は、鉱山の保安は鉱業における労働者の安全を目的とするばかりでなく、有限な地下資源を保護するという国民経済上の目的、更に鉱業によつて他に及ぼす被害をも防止しようという公益保護の目的をもつており、この三重の目的を追及して、あらゆる角度から鉱業を実施するために生ずる被害を防止しようとするものである。

同法は通気に関しては、通気の質として空気中の酸素、可燃性ガス及び有害ガスの含有率、粉じんの量も関係するため、通気の量、速度、通気系統、気温、湿度等についても規制し、その詳細は炭則に委ねている。「坑内の通気に関する事項」は粉じんによる坑内の空気の汚染の問題と関連して、けい肺ないしじん肺の予防上極めて重要なものであることは勿論であるけれども、これを含めて可燃性ガスの爆発、炭じん爆発、自然発火、窒息、中毒等の防止のため、その時代における保安・衛生に関する技術上の定説を採用して作業実施の面で技術的に有効に解決することをはかるべしとしているのが法の趣旨である。

同法は鉱山保安の基本的事項を定めて、具体的規定は省令に委任している。

8  炭則

(一)  炭則の制定および改正

炭則は鉱山保安法の委任により昭和二四年八月一二日制定され同日施行された。

炭則と同様に、昭和二四年八月一二日金属鉱山等保安規則(昭和二四年通産省令第三三号)が制定されたが炭則は金属鉱山等保安規則と異り、可燃性ガスおよび爆発性炭じんに関してより詳細な規定をおいている。

炭則及び金属鉱山等保安規則は制定以来今日まで夫々四十数回の改正を重ねている。

右の両保安規則は、いわゆる技術規範の色彩が濃いものであり、わが国民経済の復興と発展とに伴つて、鉱山の生産、保安に関する技術の進歩があり、労働衛生に関する技術もまた進歩し、新技術が鉱山現場に導入されるに従つてその都度保安上最高度の規制措置を新たな規定として設定して、必要な改正を行つたものである。

又、その間発生した不幸な労働災害の経験を通じてその災害原因が究明され、国が災害再発を防止するため関係各方面の意見を聴き対策を検討研究し、その結果得られた最良の保安上の規制措置を、その都度公法上の規範として定立し、改正したものである。

炭則と金属鉱山等保安規則とはいづれもけい肺ないしじん肺の予防に関する規定が存し、粉じん防止について両規則は相互に関連しているが、金属鉱山等保安規則の方が先行して定めを設け、かつ、その規定がより厳しいものとなつている。それはけい肺問題が金属鉱山において先づ取り上げられた沿革による。

炭則の粉じん防止関係規定は、以下のとおりその制定後多数回の改正が行われ、その内容も多岐にわたるが、その改正を必要とする実質的理由はじん肺についての知見の進歩という客観的歴史的事実が土台となつて反映しているものと理解される。

(二)  坑内における粉じん防止規定の変遷

(1) 炭則第二八四条は坑内の粉じん防止について

「衝撃式さく岩機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならない。たゞし防じんマスクを備えたときはこの限りでない」

と定めていた。

これは衝撃式さく岩機を使用する場合に限つての規制であり、かつ防じんマスクの備付けを以て代替することができることとされていたのである。

又、「粉じん防止装置」とはなお抽象的な定めであつて、具体的にいかなる装置であるものかについて何らの定めがなかつた。この「粉じん防止装置」としては、ドリフター(大型さく岩機・金属鉱山で用いられる)の場合は、せん孔中注水によつて繰り粉を洗い出す湿式のものがあつたが、ハンドハンマー(小型さく岩機)では、この式の装置をするのが困難であり、すべてのさく岩機に用いられる粉じん防止装置として、若干の考案はあつても、実用の域に達したものはなく、したがつて防じんマスクを用いて粉じんを吸い込まないようにするよりほかに方法がなかつたのが当時の実情であつた。

(2) 昭和二五年八月二六日の改正で新たに第二八四条の二を設け、その第一項は

「掘採作業場の岩ばん中に遊離硅酸分を多量に含有し、通商産業大臣が指定する区域においては左の各号の規定によらなければならない。

一 せん孔するときは、せん孔前に岩ばん等にさん水すること

二 衝撃式さく岩機を使用するときは、湿式型とし、かつ、これに適当に給水すること」

としたのである。

かゝる定めが設けられたのは、当時の一般的医学的知見では、「けい肺」は遊離けい酸又は遊離けい酸を含有する粉じんを吸入してこれによつて生じた肺の線維増殖性変化の疾病であると考えられていたので、石炭鉱山においては、石炭粉じんは之をけい肺発生の原因となるものとは認めず、岩石掘削の際発生する遊離けい酸を含有する粉じんの発生を抑制し、又はこれを吸入しないようにすることが「けい肺」予防対策において最も有効適切なものであるとの観点に立ち、炭鉱の坑内作業場のうち特に掘採作業場の岩ばん中に遊離けい酸を多量に含有し、通商産業大臣が特に指定する区域につき、作業方法を規制する手法の規定を設けたものである。同条はその後数次の改正を経て現在に至つているが、前述の如く専ら遊離けい酸を含有する粉じんの発生を抑止し、又はこれを吸入しないように規制していることには変りはない。

(3) 昭和二八年四月一日改正により第二八四条の二につき「けい酸質区域」と条文の見出しを表示し、次のとおり旧第一項を二ケの項に分け、第一項、第二項とし第三項をおいて適用除外を定めた。

第一項「掘採作業場の岩ばん中に遊離けい酸分を多量に含有し、通商産業大臣が指定する区域(以下「けい酸質区域」という)において、せん孔するときはせん孔前に周囲の岩ばん等に散水しなければならない」

第二項「けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するときは、これを湿式型とし、かつ、粉じんを防止するためこれに必要な給水をしなければならない」

第三項「左の各号の一に該当する場合であつて、鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、第二項の規定によらないことができる。

一 ゆう水等によりせん孔面が常に水におおわれており、粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機と同等以上の効果があると認められるとき

二 粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械、器具または装置を使用するとき」

同条の「けい酸質区域」を指定して粉じん発生を規制する規定は変更されることなく現在に至つている。

(4) 昭和二九年一月一四日の改正により、第二八四条の二について、次のとおり旧第二項を分け第二項と第三項とした。

第二項「けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するときは、これを湿式型としなければならない」

第三項「前項のさく岩機には、飛散する粉じんの量を別に告示する限度まで減少させるため必要な給水をしなければならない。たゞし、特別の事由があつて、鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、告示の限度によらないことができる」

と定めるとともに附則7において

「金属鉱山等保安規則第二百二十条の二第三項および石炭鉱山保安規則第二百八十四条の二第三項の改正規定により飛散する粉じんの量を減少させるため湿式型の衝撃式さく岩機にする必要な給水については、これらの規定に基く告示のある日まで、なお従前の例によるものとする」

とした。ところが右の粉じん量に関する告示は今日に至るまで全く公布されていない。

これは、じん肺予防のための粉じん恕限度を科学的合理性のあるものとして公に決定することが、今なお困難とされているからである。

(5) 昭和二五年八月二六日の改正により新たに第二八四条の三を設け。

「前条第一項の区域(けい酸質区域を指す)においては、当該発破係員は、発破後、発破による粉じんが適当に薄められたのちでなければ、発破をした箇所に近寄らず、かつ、他の者を近寄らせてはならない。

第百八十四条の二第二項の規定により発破係有資格者が発破に関する作業を行うときは、前項の規定は発破係有資格者に適用する」

と定めて現在に至つている。

ところが右の「適当に薄められた」とする客観的基準は今日まで示されたことはなかつた。これは坑内作業場所における粉じん恕限度について学問的に種々検討されながら、今日に至るまでじん肺予防のための基準となるべき粉じん恕限度の数値が公に決定できないでいる事情が存するからである。

(6)(イ) 昭和三〇年一〇月三一日の改正によりその第二八四条の二について、旧第三項の定める事項を第四項に移し旧第四項を再び第三項とし、新たに第五項を設けた。

第四項は

「けい酸質区域において衝撃式さく岩機を使用するとき(前項の規定により鉱山保安監督部長の許可を受けて湿式型以外の型式の衝撃式さく岩機を使用するときを除く。)は、当該さく岩機には、飛散する粉じんの量を別に告示する限度まで減少させるため必要な給水をしなければならない。ただし、特別の事情があつて、鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、告示の限度によらないことができる」

と定めた。しかし右の粉じん量に関する告示は結局今日までに出されないまゝである。

第五項は

「けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するとき(第三項の規定により、鉱山保安監督部長の許可を受けて湿式型以外の型式の衝撃式さく岩機を使用するときは除く。)は、当該さく岩機に必要な給水をするため、配水管を設けなければならない」

としたが、金属鉱山等保安規則と異なり、たゞし書において

「たゞし配水管を設けることが、いちぢるしく困難な場合であつて、粉じん防止上必要な水を当該さく岩機に供給するため適当な措置を講じたときにおいて鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、この限りでない」

と定められた。

(ロ) 同改正は第二八四条本文「衝撃式さく岩機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならない」を「岩石の掘進、運搬、破砕等を行う坑内作業場において、岩石の掘進、運搬、破砕等によりいちぢるしく粉じんを飛散するときは、粉じんの飛散を防止するため、粉じん防止装置の設置、散水等適当な措置を講じなければならない」と改め、粉じん防止の措置の対象を「岩石」としたほか、衝撃式さく岩機を使用するときの規定を第二八四条の二によつてけい酸質区域のみとした。

その後同条は昭和五四年一二月一七日改正に至り、第二八三条の二、第二八三条の三および第二八四条「粉じん防止」と改められたが、これらが昭和四〇年二月閉山した被告北松鉱業所に適用されないことは当然である。

(ハ) ところで「粉じん防止装置」については、昭和二八年六月一五日二八保局第五六五号「金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令の施行に関する運用」によつて「粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機と同等以上の効果があるか、否かの認定については、その都度鉱山保安局長の指示をうけるものとすること」とされ、その後二八保局第一八七八号によつて「足尾式一一番型さく岩機用収じん機」が、昭和二九年六月四日二九保局第一一三七号によつて「ケーニヒスボルン型さく岩機用収じん機」および「宝式さく岩機用収じん機」が、更に昭和三二年三月四日三二保局第二六三号によつて「ピオニアーさく岩機用ラサ式排風装置」が、それぞれ特別許可され一部で使用されたが、湿式さく岩機の改良改善によつて次第に姿を消した。

(7) 又右昭和三〇年一〇月三一日の改正で、旧第二八四条の四を第二八四条の五とし、新たに第二八四条の四を設けて

「けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するとき(第二百八十四条の二第三項の規定により鉱山保安監督部長の許可を受けて湿式型以外の型式の衝撃式さく岩機を使用するときを除く。)は、鉱山労働者は、注水しながらせん孔しなければならない」

と定めて、鉱山労働者の注水義務を定めて今日に至つている。

(8) なお昭和三〇年一〇月三一日の改正で第一三七条の二として

「多量の遊離けい酸分を含有する岩粉は、散布し、または岩粉だなに積載してはならない」

との規定を新設した。

炭則はその制定当初から「炭粉法」に関する規定をおいていた(第四章炭じんおよび岩粉法、第一三五条ないし第一四八条)。炭鉱では岩じん爆発防止又は爆発の伝ぱ防止のため坑道に岩粉を多量に散布し、又は岩粉だな、岩粉地帯を設ける方法をとつており、炭則もこれを鉱業権者の義務としている。岩粉を坑道内に多量に散布することはじん肺発生の原因を故意に作り出すもので、じん肺予防上これを避けなければならない。しかしながら岩じん爆発防止已むを得ない方法として採用されているもので、こゝに炭鉱におけるじん肺予防は保安全体の中で処理されなければならない性質のものであることを明白に示している。

そこで、右の第一三七条の二の新設はじん肺防止の見地より「粉じん」一般の規制は到底望み得ないので、せめてものこととして遊離けい酸分を含有する岩粉に限つてその散布、積載を行わないように制約を加えているのである。

(9) 昭和二九年一月一四日の改正で前記(一)の第二八四条のたゞし書が「たゞし、防じんマスクを備えたときはその限りでない」と定められていたものを「ただし日本工業規格B九九〇一(防じんマスク)に適合する防じんマスクを備えつけたときはこの限りでない」と改正した。

さらに昭和三二年七月一〇日改正により右の第二八四条のただし書が改められ、「たゞし、別に告示する規格に適合する防じんマスクを備えつけたときは、この限りでない」と定められ同年通産省告示第二七八号によつて日本工業規格を採用したのである。

この改正は防じんマスクの性能が漸次改良されて市販されることに対応するためいちいち規則の改正を要せず、告示の改訂によつて規則しようとするものである。

(三)  坑外における粉じん防止規定の変遷

制定当初の炭則は、同日制定の金属鉱山等保安規則が第二二四条において「坑外作業場の粉じん防止」を定めたのに対し、何らの規定を置かなかつたが坑外の屋外作業場の粉じん防止については第三四七条において

「屋内作業場において、いちじるしく粉じんを飛散するときは、そのじん雲により危険を生じないように、当該箇所における粉じんの吸引もしくは排出または機械もしくは装置の密閉等適当な措置を講じなければならない」

とした。

その後昭和五四年一二月一七日改正に至り、本条は削除され、新たに第三一〇条の二「保安規程」、第三一二条の二ないし第三一二条の五「粉じん防止」および第三一二条の六「粉じん濃度の測定等」の六ケ条を加えたが、これらが昭和四〇年二月閉山した被告の北松鉱業所に適用されないことは当然である。

9  金属鉱山復興会議の建議書

昭和二〇年の終戦後、わが国の経済復興を図るため各産業別に経済復興会議が作られたが、金属鉱山復興会議は、昭和二三年四月に鉱山労働者のけい肺対策に関する建議書を衆参両院議長宛提出した。その趣旨とするところは「けい肺問題の重大性と特性にかんがみ、現行労働法規のみでは到底満足な解決を望みえないので、更に特別法を制定してけい肺の診断・予防、治療、補償に関する法的根拠を確立する」ことにあつた。

10  けい肺対策の行政措置

労働省は立法に先行して行政上の措置をもつてけい肺対策を強化しようとして

①  昭和二四年八月四日付基発第八一二号「珪肺症の取扱いについて」と題する通達(けい肺措置要綱)

②  昭和二六年一二月一五日付基発第八二六号「珪肺措置要綱の改正について」と題する通達(新けい肺措置要綱)を発した。

11  けい特法

けい特法は、昭和三〇年七月二九日法律第九一号として制定公布され、同年九月一日から施行された。

この法律の目的は

「この法律はけい肺にかかつた労働者の病勢の悪化の防止を図るとともに、けい肺及び外傷性せき髄障害にかかつた労働者に対して療養給付、休業給付等を行い、もつて労働者の生活の安定と福祉の増進に寄与することを目的とする」(第一条)

と定められているものである。

この法律による特別保護制度は

①  けい肺にかゝるおそれのある労働者に対して組織的なけい肺健康診断を実施して常にその症状の管理を行い、けい肺にかゝつた労働者については作業の転換を図るなど、病勢が療養を必要とする重症の程度に至らないよう未然に増悪を防止すること。

②  けい肺にかゝつた労働者については労働基準法又は労災法に基く補償の外に療養給付、休業給付等の特別の保護給付を政府の手を通じて行うことである。

右の「けい肺にかかつた労働者の病勢の悪化の防止」とは具体的には第八条により粉じん作業からの作業転換によつて行われるところである。これは専ら対人的健康管理の方法である。けい肺にかからないよう未然に予防する措置、防じんの措置については直接には具体的規定がおかれていない。

それはけい肺予防のための規制が昭和三〇年代においても事実上困難であつたことを明らかにしているものである。

12  けい臨措法

けい臨措法は昭和三三年五月七日公布同年六月一日施行されたが、けい肺・じん肺の予防に関する規制についての定めは全くない。けい特法による給付の支給延長期間をさらに当分の間延長することゝしたものである。

13  旧じん肺法

昭和三五年三月三一日に法律第三〇号として旧じん肺法が公布され昭和三五年四月一日より施行された。

けい特法がけい肺にかかつた労働者の病勢の悪化の防止を図ることと、けい肺にかかつた労働者に対して給付等保護措置を行うことに重点がおかれていたことに対して、右の旧じん肺法はさらに進んでじん肺にかゝることを予防することが重要な措置であるとの考え方に立つて、その第五条で使用者及び粉じん作業に従事する労働者が粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるように努めなければならないことを規定している。

しかしながら、本法では直接粉じんの管理についての規定は設けられていない。

それは昭和三五年当時もじん肺の発生を未然に防止することは、工学技術的にも、今なお、決定的な手段を欠いていた状況にあつたため、粉じん発生の具体的規制については漸次労働衛生に関する技術の進歩に期待しこれに応じて、関係法令の整備を図ることが適切であるとの判断から本法においては直接粉じんの管理についての規定が設けられなかつたのであり、労働基準法及び鉱山保安法の関係規定によるべきこととされたのである。

14  改正じん肺法、粉じん障害防止規則

現行の改正じん肺法は昭和五二年七月一日に法律第七六号として「労働安全衛生法及びじん肺法の一部を改正する法律」が公布されたことにより制定されたものであり、その改正じん肺法関係規定は昭和五三年三月三一日より施行されたものである。

右の「労働安全衛生法及びじん肺法の一部を改正する法律」に基いて粉じん障害防止規則が昭和五四年四月二五日に労働省令第一八号として制定され、同年一〇月一日よりその大部分が施行され一部は昭和五五年一〇月一日より施行されたものである。

第二消滅時効

一仮に原告ら主張の損害賠償請求権が発生したとしても、右は次のとおり時効により消滅した。

1  原告らの本訴請求に係る請求権は、使用者の安全配慮義務の懈怠(債務不履行)を理由とする損害賠償請求権であるところ、債務不履行による損害賠償請求権は、その本来の債務の履行を請求し得るときより消滅時効の進行を始める。

本件において本来の債務の履行(具体的な個々の保護措置)を請求し得た時期は、その各雇傭契約の存続していた期間中であり、殊に、就労現場における防じん措置義務の如きは、当該従業員の粉じん職場就労期間内においてのみ、その義務の履行を請求しうるに止まり、その後は、本来の履行を請求することはできない。また、健康管理義務(健康診断・配置転換の如き)についても雇傭契約の存続中に限つて、その履行を請求しうべき性質のものである。

従つて、防じん措置および健康管理をなすべき義務の違背を原因とする損害賠償請求権の消滅時効期間は、おそくとも、各原告の退職時から進行を開始する。

2  債務不履行による操害賠償請求権に適用される消滅時効期間は、一般の債権の消滅時効期間の規定(民法一六七条)により一〇年間であり、原告ら元従業員について、退職日より、その経過年月日を示せば、別紙8第一表記載のとおりである。

3  これによれば、仮に原告らの本訴の各請求権が存在したとしてもいづれも消滅時効が完成していることが明らかであるので、時効を援用する。

二仮に右抗弁が容れられないとしても、けい肺じん肺による健康障害は、「要療養」の段階に至つて生ずるものと解せられるので、右の段階に達したとされる行政上の認定のあつた時点から、消滅時効は進行を開始すると解すべきである。原告らのうち、別紙8第二表にそれぞれ記載のとおり、要療養の認定のあつた日の翌日より、本訴提起までに既に一〇年を経過した者については、右一〇年の期間経過の時に、本訴請求権は時効により消滅したものというべきであるから、この事由による消滅時効も援用する。

三仮に右が認められず、けい肺じん肺による健康障害は、「要療養」の行政上の認定の時以前から発生したと解されるとしても、おそくともけい肺じん肺の診断において有所見の診断のあつた時点から消滅時効は進行を開始すると解すべきである。原告らのうち、別紙8第三表にそれぞれ記載のとおり、「有所見」の診断のあつた日の翌日より、本訴提起までに既に一〇年を経過した者については、右一〇年の期間経過の時に、本訴請求権は時効により消滅したものというべきであるから、この事由による消滅時効も援用する。

四更に、けい肺じん肺によつて死亡した者に係る債務不履行による賠償請求権の消滅時効は、その死亡日の翌日から進行を開始することは云うまでもない。原告田中重信(原告番号第一次事件四〇番)は昭和四〇年一一月二七日死亡し、その翌日以降、本訴提起までに既に一〇年を経過したのであるから、右一〇年の期間経過の時に、右請求権は時効により消滅したものというべきであるから、この事由による消滅時効も援用する。

第三他粉じん職歴等

一被告には、何らの安全配慮義務不履行の事実はなく損害賠償責任はないが、仮りに責任ありと仮定した場合でも原告ら元従業員のけい肺・じん肺罹患の要因が先づ究明されるべきで、次にその要因と被告との間において法律上の因果関係の存在する範囲内においてのみ責任の存否が明らかにされるべきである。

二1 被告以外の粉じん職場にも在職経験のある原告らについては、他社在職期間中の粉じん吸入を否定することは到底できないのであつて、被告在職期間中のみの限度で、責任額の範囲が判定されるべきである。

2  また、大気汚染とじん肺の関係においては、「六〇才をこえると都市居住者の四〇%にX線上じん肺一型以上に該当する」とされており、粉じん職場に関係なくても罹患する確率がかなり高く、大気汚染もじん肺罹患の要因となつているのである。

3  老令化による肺機能低下というじん肺症類似の症状が生ずる。

4  けい肺・じん肺症を除く、肺結核(肺結核菌による)その他肺機能を低下させる疾病によるものは、その原告の個人的要因によるもので、この要因までは被告の責任とすることはできない。

5  タバコを喫煙していた者及びしている原告らについては、明らかに粉じん吸入を続けているもので、肺機能障害に重大な要因を与えることは、医学上明白であり、これは自己の健康は先づ自らが保持すべき基本的義務違反であり、この原告らの個人的要因は被告の責任とすることができない。

かくて少くとも、これら1乃至5を除いた限定責任の範囲内に限つて判断すべきは信義則上衡平の法理にてらし、当然のことであろう。

三これらを原告ら元従業員各人についてみると、別紙9(個別主張・認定・綴)の被告の主張欄記載のとおりである。

第四過失相殺

仮に被告が損害賠償責任を負うとしても、原告ら元従業員は、自己の健康管理に努め、疾病の予防、増悪の防止に努めるべきであつたにもかかわらず、次のとおりこれを怠つたものであるから、被告は過失相殺を主張する。

一防じんマスク不着用

石炭鉱山における作業である以上、粉じんを皆無とすることは不可能であり、被告は従業員の健康をより一層守るため早くから防じんマスクを支給し、また機会ある毎にマスク着用を厳しく教育してきた。しかるに原告ら元従業員は若干の例外を除き秘かに目を盗んで着用を怠つていたものでありその過失は否定できない。

原告ら元従業員のうち、右事由に該当するのは、副島ケサ(第一次事件一〇番)、山中サキ(同二九番)、浦光春(同三四番)、竹永岩市(同三七番)、畑原松治(第二次事件五番)及び井手留雄(第四次事件一番)を除くその余の者である。(右番号の中死亡従業員については遺族原告の番号の元番を記載した。以下同じ。)

二療養懈怠

原告ら元従業員の中には被告退職後身体の不調を自覚しながら医師にかかつていない者、あるいはけい肺・じん肺との診断を受けながら医師の指示に従わず療養していない者等がいる。これらの者は自己保健義務違反と言うべきであり過失を否定できない。

原告ら元従業員のうち右事由に該当する者は、阿曽末治(第一次事件一番)、内野春次郎(同三番)、浦田喜八郎(同四番)、大串岩吉(同六番)、大宮金重(同七番)、高祖六次(同九番)、高富千松(同一一番)、谷村清助(同一四番)、田渕栄(同一五番)、玉置利夫(同一六番)、十時為生(同一七番)、中薗繁(同一八番)、西田秀夫(同一九番)、堀内亮次(同二二番)、増本京一(同二三番)、松尾茂(同二四番)、松尾ハツノ(同二五番)、松永繁男(同二六番)、松永為市(同二七番)、松山虎一(同二八番)、山中サキ(同二九番)、山中秀吉(同三〇番)、山道吉松(同三一番)、吉福恕(同三二番)、伊福太吉(同三三番)、住吉計清(同三五番)、早田勝(同三六番)、竹永岩市(同三七番)、橋本伊七(同四一番)、松下千代吉(同四三番)、山下徳市(同四四番)、山手照三(同四五番)、石丸源市(第二次事件一番)、柿本秀雄(同二番)、小林忠義(同四番)、畑原松次(同五番)、松崎寿男(同六番)、山田政次(同八番)、崎本正直(同九番)、伊藤敏明(第三次事件一番)、橋本利夫(同四番)、山口進(同五番)、若林千代人(同六番)、井手留雄(第四次事件一番)、及び西岡万太郎(同二番)であり、その具体的内容は別紙9個別主張認定綴の各人についての被告の主張中の「自己健康管理の懈怠」記載のとおりである。

三喫煙

一般に喫煙が有害であることは今日周知の事実であるが肺疾患であるけい肺・じん肺に極めて有害であり、医師にとつてけい肺・じん肺罹患者の喫煙状況把握と指導は必須のこととされているほどである。原告ら元従業員も医師からかかる指導を受けていることは明らかであるが、なお喫煙し、あるいは今日も喫煙を続けている者は過失を否定できない。

原告ら元従業員のうち、右事由に該当する者は、内野春次郎(第一次事件三番)、大野茂男(同五番)、大宮金重(同七番)、谷川春美(同一三番)、谷村清助(同一四番)、田渕栄(同一五番)、玉置利夫(同一六番)、十時為生(同一七番)、中薗繁(同一八番)、西田秀夫(同一九番)、藤井利行(同二〇番)、眞崎光次(同二二番)、増本京一(同二三番)、松永繁男(同二六番)、松永為市(同二七番)、松山虎一(同二八番)、山中秀吉(同三〇番)、山道吉松(同三一番)、浦光春(同三四番)、竹永岩市(同三七番)、谷村仁太郎(同四〇番)、橋本伊七(同四一番)、山手照三(同四五番)、石丸源市(第二次事件一番)、柿木秀雄(同二番)、小林忠義(同四番)、松崎寿男(同六番)、松田新一郎(同七番)、西宮美好(同一〇番)、伊藤敏明(第三次事件一番)、井手留雄(第四次事件一番)及び西岡万太郎(同二番)である。

四配置転換

被告は、けい肺、じん肺の行政上の決定を受けた者に対して積極的に配置転換を勧告してきたことはすでに明らかなにしたとおりである。原告ら元従業員の中にはこれを拒否して粉じん作業を続け、あるいは退職後も粘じん職場についていた者がいる。かかる者らは自から求めてけい肺・じん肺罹患の要因を求めたものと言うべきであつて少くとも重大な過失は否定できない。

右事由に該当する者は、浦田喜八郎(第一次事件四番)、大宮金重(同七番)及び眞崎光次(同二二番)である。

第五損益相殺

仮に被告に損害賠償責任があるとしても、次のものは損益相殺として損害額から控除されるべきである。

一労災保険給付及び厚生年金保険給付

1  原告ら元従業員が、けい肺、じん肺に罹患したとして、労災法により既に支給された休業補償給付、休業特別支給金、傷病補償年金、傷病特別年金、遺族補償年金及び遺族特別年金並びに厚生年金法により既に支給された障害年金、障害手当金、老齢年金(本人拠出相当額を除く)、遺族年金は損害額から控除すべきである。

2  労災保険給付および厚生年金保険給付の控除は過去の既受給分のみならず、将来の受給分についても為されるべきである。これらの保険給付は労災法および厚生年金法によつて将来も給付されることが保証され、一般の稼働年令を超えて原告ら元従業員に生涯給付され、死亡した場合は相続人たるその遺族(配偶者、六〇才以上の父母又は祖父母、一八才未満の子又は孫、一八才未満の兄弟姉妹および一八才以上の不具廃失者)に対し遺族が生存する限り給付される。

右は死亡従業員については個々の死亡年令に応じて計算し、その相続人たる遺族については、当該遺族らの個々の平均余命によつて計算すべきである。

3  原告ら元従業員またはその遺族(一次三三番伊福太吉、同三九番田中重信についてのものを除く)が既に受給し、将来受給する右各給付の合計は別紙14損害填補額一覧表記載のとおりである。

二閉山協定等による支給

原告ら元従業員のうち在職中および退職に際して、縮少・閉山協定およびけい肺協定またはじん肺協定に従いけい肺・じん肺罹患に伴う特別措置を受けた者はこれらの措置による手当等損害額から控除すべきである。

矢岳鉱閉山にあたつては、昭和三七年六月七日協定により管理四の者には見舞金六万円、および昭和三六年二月一〇日協定による退職せん別金平均賃金一〇〇日分(当時の直接夫平均額推計で)一一万三〇〇〇円合計金一七万三〇〇〇円を、管理三の者には見舞金三万円を支給した。これを受給した管理四該当者は岳野音松(第一次事件三八番)であり、管理三該当者は浦田喜八郎(同四番)および高富千松(同一一番)である。

鹿町鉱閉山にあたつては、昭和三八年九月二一日協定により管理四の者には見舞金六万円および退職せん別金平均賃金一〇〇日分(当時の直接夫平均額推計で)一二万二〇〇〇円合計金一八万二〇〇〇円を支給した。これを受給した管理四該当者は松尾愛義(第一次事件四二番)、西宮美好(第二次事件一〇番)、谷村仁太郎(第一次事件四〇番、ただし同人は間接員で退職につき当時合計金一四万九〇〇〇円)である。

第四章抗弁に対する認否及び反論<省略>

第五章再抗弁

仮に被告主張の消滅時効の要件が充されるとしても、その援用は権利濫用として許されない。

被告は昭和一四年の設立当初から、じん肺(けい肺)対策を実施しなければならないことを知るべきでありながら、何らじん肺対策を実施していない。被告がなしたという粉じん対策は爆発災害を防ぐためである。

それのみか、原告ら元従業員に対するじん肺教育をせず、むしろ、じん肺罹患の事実を隠してまで働かせてきた。

そして働かせるだけ働かせて、体が動けなくなつた者をボロ雑布のように使い捨ててきた。

原告らが権利意識に目覚め、本件提訴の準備にとりかかるや、提訴妨害を始めた。

被告の健康保持義務違反の高度性、悪質性、犯罪性については既に指適してきたとおりである。

よつて、被告が消滅時効を援用することは信義則に反し権利の濫用である。

第六章再抗弁に対する認否<省略>

第三編 証拠関係《省略》

理由

第一  当事者

一被告

請求原因第一、一の事実は当事者間に争いがない。

二原告ら

1  原告ら元従業員のうち、別紙9個別主張・認定綴第一綴の各原告ら元従業員が、被告と雇傭契約関係にあつたことは、同綴中の、「第三、当裁判所の認定、一、被告での職歴」記載のとおりであり、その余の原告ら元従業員が被告と雇傭契約関係にあり、これが少なくとも別紙8消滅時効一覧表(被告の主張)、(第一表)の各「被告退職日」欄まで継続したことは当事者間に争いがない。(以上請求原因第一、二1の事実関係)

2  <証拠>を総合すれば、請求原因第一、二2の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

第二  本件各坑の概要

<証拠>によれば次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

一鹿町鉱西坑

鹿町鉱西坑は被告設立時既に採炭が実施されており、昭和三八年三月終掘した。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(一)のとおり(但し、坑道は順次展開されたもので、その最終状態を示す。以下各坑につき同じ)である。

同坑の稼行炭層は鹿町三尺層で、強粘結炭を産した。炭層の上盤、下盤とも頁岩であつた。

同坑の採炭切羽は、通常山丈七〇ないし八〇センチメートル、払長八〇メートルであつた。

同坑は、昭和二八年六月、第二卸鹿町三尺層下部砂岩層及び第一卸鹿町三尺層上部砂質頁岩層中の掘進作業場につき、炭則によるけい酸質区域指定を受けた。

二鹿町鉱東坑

鹿町鉱東坑は被告設立時既に採炭が実施されており、昭和二八年八月一旦終掘した。その後昭和三六年一〇月から昭和三八年三月まで、一部の区域で水力採炭を実施し、終掘した。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(二)のとおりである。

同坑の稼行炭層は鹿町三尺層であり、強粘結炭を産した。炭層の上盤は砂岩または頁岩で、下盤は頁岩であつた。

同坑の採炭切羽(採炭作業現場)は、通常山丈(採炭切羽の高さ)六〇ないし八〇センチメートル、払長(長壁式採炭法採用後の採炭切羽の長さ)七〇ないし八〇メートルであつた。

三鹿町鉱本ケ浦坑

鹿町鉱本ケ浦坑は昭和二三年開坑し、昭和二九年初めころから採炭を開始して昭和三一年三月終掘した。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(三)のとおりである。

同坑の稼行炭層は三枚物層で強粘結炭を産した。炭層の上盤は蛇の目凝灰岩、下盤は頁岩であつた。

同坑の採炭切羽は、通常山丈六〇ないし八〇センチメートル、払長は八〇メートルであつた。

同坑は、昭和三〇年九月、下八巻層下部の角礫凝灰岩及び砂質凝灰岩中における掘進作業場につき、炭則によるけい酸質区域指定を受けた。

四鹿町鉱南坑

鹿町鉱南坑は、被告設立時既に採炭が実施されており、昭和二九年四月終掘した。同坑ではいつたん終掘し、水没していた卸を排水しながら再度採掘した場所もあつた(「追水卸」と称された。)。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(四)のとおりである。

同坑の稼行炭層は鹿町三尺層で強粘結炭を産した。炭層の上盤は砂炭または頁岩で、下盤は頁岩であつた。

同坑の採炭切羽は、通常山丈六〇ないし七〇センチメートル、払長は六〇ないし八〇メートルであつた。

五鹿町鉱小佐々坑、小佐々二坑

鹿町鉱小佐々坑は被告設立時に既に採炭が実施されており、昭和三五年二月終掘した。同鉱小佐々二坑は昭和三三年五月開坑され、昭和三六年九月終掘した。

右各坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(五)のとおりである。

小佐々坑の稼行炭層は大瀬五尺層及び大瀬三枚層であり強粘結炭を産した。いずれも炭層の上盤は砂岩または頁岩、下盤は頁岩であつた。小佐々二坑の稼行炭層は大瀬五尺層であり強粘結炭を産した。炭層の上、下盤は小佐々坑と同様であつた。

小佐々坑及び小佐々二坑の採炭切羽は、通常山丈五〇ないし八〇センチメートル、払長は手掘採炭では六〇メートル、スクレーパー採炭では八〇メートルであつた。

六矢岳鉱矢岳坑

矢岳鉱矢岳坑は昭和二〇年五月から被告が経営することとなつたが、既に採炭が実施されており、岩石二枚層は昭和二九年ころ、大瀬五尺層は昭和三七年ころ終掘した。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(六)、(七)のとおりである。

右のとおり、同坑の稼行炭層は岩石二枚層及び大瀬五尺層であり、いずれも強粘結炭を産した。右各炭層の上、下盤はいずれも頁岩であつた。

同坑の採炭切羽は、岩石二枚層では通常山丈七〇ないし八〇センチメートル、払長五〇ないし八〇メートル、大瀬五尺層では通常山丈七〇ないし一五〇センチメートル、払長八〇ないし一〇〇メートルであつた。

同坑は、昭和三〇年九月、大瀬五尺層の上下にある砂岩層中の掘進作業場につき、炭則によるけい酸質区域の指定を受けた。

七神田鉱神田坑

神田鉱神田坑は被告設立時既に採炭を実施し、昭和三六年ころ終掘した(一部は採炭するまでに至らなかつた。)。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(八)のとおりである。

同坑の稼行炭層は松浦三尺層で、一般炭を産した。炭層の上盤は頁岩または砂岩で、下盤は頁岩であつた。

同坑の採炭切羽は、通常山丈六〇ないし七〇センチメートル、払長は約四〇ないし九〇メートルであつた。

同坑は、昭和二九年二月、松浦三尺層上部(A)砂岩層及び同層上部(B)砂岩層の掘進作業場につき、炭則によるけい酸質区域の指定を受けた。

八御橋鉱一坑、二坑

御橋鉱一坑は昭和一六年一二月開坑し、昭和一八年ころから採炭を開始し、昭和二八年ころ一旦終掘したが、昭和三六年採炭を再開し、昭和三七年終掘した。同二坑は昭和二二年八月開坑し、昭和二八年ころから採炭を開始し、昭和四〇年二月終掘した。

右各坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(九)のとおりである。

右各坑の稼行炭層は松浦三尺層で、一般炭を産した。同一坑の炭層は上、下盤とも頁岩で、同二坑の炭層の上盤は頁岩または砂岩、下盤は頁岩であつた。

採炭切羽の山丈は、通常同一坑で六〇ないし八〇センチメートル、同二坑で八〇ないし一〇〇センチメートル、払長は同一坑で約四〇または八〇メートル、同二坑で約九〇ないし一〇〇メートルであつた。

九柚木事務所柚木坑

柚木坑は昭和四〇年二月開坑し、昭和四一年一二月半ばころから採炭を開始したが、昭和四二年二月一日、被告は同坑を柚木炭鉱株式会社に譲渡した。

同坑の稼行炭層は大瀬五尺層で一般炭を産した。炭層の上盤は砂岩で、下盤は頁岩であつた。

同坑の採炭切羽は、通常山丈一〇〇センチメートル、払長はホーベル採炭で一四〇メートル、カッター採炭で一〇〇メートルであつた。

一〇伊王島鉱業所伊王島坑

伊王島鉱業所は昭和二九年九月から被告の経営するところとなつたが、伊王島坑では既に採炭が実施されており、昭和四七年三月終掘した。

同坑の坑道の概要は別紙13本件各坑の図面(一〇)のとおりである。

同坑の稼行炭層は、五尺層、三尺層、一〇尺層、二尺層及び一一尺層の五層にわたつており、いずれも弱粘結炭を産した。各炭層の上、下盤は頁岩及び一部砂岩であつた。

同坑の採炭切羽の山丈は各層により異り、厚い炭層は二層に分けて採炭した。払長は通常一〇〇メートルであつた。

同坑は、昭和三一年六月、一一尺層及び四尺層間の砂岩層及び砂質頁岩層並びに四尺層下部の二〇メートルの砂岩層における掘進作業場につき、岩則によるけい酸質区域の指定を受けた。

第三  本件各坑における各種作業の概要と粉じんの発生

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。<反証排斥略>。

本件各坑における作業の種類、内容はほぼ共通しており、大きくは坑内作業と坑外作業に分けられる。坑内作業には掘進、採炭、仕繰(以上の作業に従事する者を坑内直接員という。)、坑内運搬、坑内機械、坑内工作(通気、軌道を含む)、等(これらの作業に従事する者を坑内間接員という。)の各作業があり、坑外作業には選炭、坑外運搬、坑外機械、コークス・豆炭製造等の各作業があつた。これらの各作業のうち、本件に関係する各作業の概要及びその際における粉じん発生、曝露のおそれは次のとおりであつた。

一掘進作業

1掘進作業の概要

掘進作業は、坑道を掘削、延長する作業であるが、岩磐の掘進を岩石掘進、岩磐に沿つての掘進を沿層掘進といつた(なお断層部の掘進は断層部特有の技術を要するため、特に断層掘進といつた。)。

本件各坑の坑道加背(坑道断面の幅と高さ)は坑と時代によつて違いがあるが、主要入排気坑道と主要分流入気坑道は主として一〇尺×八尺(梁の長さが一〇尺で枠の高さが八尺を意味する。以下同じ)であり、主要分流排気坑道は主として九尺×八尺または八尺×八尺で、片磐坑道と昇坑道は八尺×八尺、八尺×七尺、または七尺×七尺であつた。

矢岳鉱と御橋鉱では、昭和三〇年代中頃にロッカーショベルを導入したため、これを使用する坑道の加背は一〇尺×八尺とした。

岩石掘進は、岩磐に長さ1.2ないし1.5メートル、直径三ないし四センチメートルの穴を穿ち(これを「さく孔」作業という。)これにダイナマイトを装填して爆破し(これを「発破」作業という。)、破砕された岩石(これを含む炭坑内の岩屑を「硬(ボタ)」という。)を鉱車に積載し(これを「硬積み」作業という。)て捲立まで送り出し、必要な場合には支柱で天磐を保持する(これを「枠入れ」作業という。)工程を反覆するものであつた。

沿層掘進は、まず炭層部分(これを「炭座」といつた。)を手掘、コールピック(後述)、または発破により採掘し、炭層部分のみでは予定の坑道の幅に充たないときはこれに続き下磐の岩磐部分を岩石掘進同様の方法でさく孔、発破、硬積みし、枠入れをする工程でなされた。

2掘進作業の具体的内容と粉じんの発生

(一) さく孔

さく孔の長さ(「さく孔長」という)は岩石掘進では1.2メートルから1.5メートルであり、沿層掘進では炭座手掘の鹿町鉱西坑、東坑、南坑、小佐々坑、小佐々二坑では下磐は1.5メートルから1.8メートル、炭座発破の鹿町鉱本ケ浦坑、矢岳鉱、神田鉱では炭座、下磐共に1.3メートルから1.5メートルで、御橋鉱では炭座は0.9メートル、下磐は1.5メートルであつた。

さく孔本数は加背の大きさにより異り、岩石掘進では加背八尺×八尺で二二本、加背一〇尺×八尺で三二本、沿層掘進では炭座手掘の坑では下磐に四本から六本、炭座発破の坑では炭座は六本から一〇本、下磐は四本から六本であつたが、御橋鉱では炭座一回九本から一〇本、下磐八本であつた。

昭和二〇年頃まではさく孔は、ノミ、石刀、セーラン等の道具を使用して、人力で岩磐を穿つ手掘作業であつたが、破砕した岩粉はキューレンと呼ばれる耳かき状の器具でかき出し、又、適宜水を注入するためこれによる粉じんの発生は比較的少なかつた。

その後、圧縮空気によりピストンを運動させ、先端のビットで岩磐を打撃、穿孔する手持式のさく岩機が導入された。これを使用するには、通常一台につき三人の作業員が操作にあたり、先山(サキヤマ)と称される責任者がこれを肩にかついで穿孔する位置を定め(その後レッグ付さく岩機が導入され、レッグ((脚部))にさく岩機を設置するようになつた。)、他の二名が把持して岩磐に押しあて、穿孔した。一つの掘進現場で二台のさく岩機を使用することも少なくなかつた。さく岩機の導入により、岩質により異なるものの、手掘作業では一本あたり約二時間を要していたさく孔作業が約一〇分程度に短縮された。

被告において、当初導入したものは、後に導入された湿式さく岩機と対比して乾式さく岩機といわれたものであつたが、これはさく孔の際、先端部(孔底)に生ずる破砕された岩粉(これを「繰り粉」といつた。)を孔外に排出するため、さく岩機の先端部から孔底に圧縮空気を噴射する方法をとるものであり、その際には孔からの岩粉の噴出は甚しいものであつた。

その後導入された湿式さく岩機は、繰り粉を水で排出するもので、発じんは相当程度抑制されたが、なお完全に抑止するものではなかつた。

沿層掘進では、炭座はツルハシによる手掘を主とし、発破を要するときのさく孔には電気オーガー(らせん状の回転するビットで穿孔する手持式の機械)を使用したが、この際もさく岩機に比較すると少ないものの発じんがあつた(沿層掘進での炭座の採掘のさいの発じんについては、後記採炭作業についての場合とほぼ同様である。)。又、下磐の発破のためのさく孔は前記のとおり岩石掘進に比すると小規模であつたが、使用する道具又は機械及び繰り粉の発生は前記岩石掘進の場合と同様である。

(二) 発破

岩石掘進の場合は一工程につき、発破は三回に分けて実施され、沿層掘進の場合の岩磐の発破は原則として一度であつた。

発破により岩石は塊として破砕されるだけでなく、岩粉となつて飛散するため、発破直後の岩石粉じんの発生は掘進作業中で最も著しいものであつた。これらの粉じんは、時間の経過と共に通気が適切なものであればこれにより除去され、または沈下するものであつた。発破時には作業員は現場から退避し、発破係員が安全を確認した後に現場に立入るよう指導されていたが、粉じんが除去され、沈下するに充分な時間を経ずに作業現場に立入ると粉じんを吸入するおそれがあつた。

(三) 硬積み

硬積みは、当初作業員が人力で硬を持運んで鉱車に積込む方法でなされていたが、昭和三〇年代以降には矢岳、御橋鉱ではジョイローダー、ロッカーショベル、伊王島鉱業所、柚木事務所ではサイドダンプローダー等の機械による硬積みをした。

硬積みの際には、適切な粉じん抑制策をとらないといつたん沈下した岩粉や硬に付着している岩粉が、作業中に拡散した。機械化後はより粉じんの発生は甚しいものとなつた。又、硬を持運びできる程度の大きさに割るため、コールピック(後出)やボンゴシ(大型のハンマー様のもの)を使用するときに粉じんが発生した。

二採炭作業

1採炭作業の概要

採炭作業は、採炭作業現場における石炭の採掘、採掘跡の充填、採掘された石炭(これには相当量の硬も混入しており、選炭工程を経た「精炭」と区別して「原炭」という。)を捲立まで運搬することであつた(但し、充填作業を仕繰作業の一部に含めたこともあつた。)。

各坑により時期は異なるが、昭和一〇年代後期ころ(鹿町鉱、小佐々坑では昭和二二年ころ)を境として、炭層の一部を天磐の支持等のため残存させつつ、比較的狭い採炭切羽を造つて採炭する残柱式採炭法等の方式から、約四〇ないし一〇〇メートルの幅の採炭切羽を造り、これを同時に採掘、進行する長壁式採炭法が採用されるようになつた。(後記の各種採炭作業方法のうち、手掘採炭以外のものは、長壁式採炭法が採用されてから実施されたものである。)。

長壁式採炭法が採用される以前は、三人程度の作業員が組となつて割当となつた一定範囲の炭層を採掘する「個人掘り」と称される方法によつていたが、このころはコンベアが導入されておらず、採掘された石炭は「スラ」と呼ばれる箱に入れ、これを人力で引きずつて炭車の往来する片磐坑道まで運搬していた。

長壁式採炭法が採用され、コンベア(トラフ)が導入されてからは、採炭切羽で採掘された石炭はコンベアで運搬されて炭車に積込まれ捲立まで運搬されることもあつたが、いつたん「ポケット」と呼ばれる貯蔵槽に入れ、ここから炭車に積込まれて捲立まで運搬されることもあつた。石炭採掘により採炭切羽面が一定程度進行すると、コンベアを移動、前進させ(これを「移設」という。)、支柱により天磐を確保した後、再び採掘作業を実施した。採掘跡は硬等で充填するか、または地圧により自然崩落するに任せた。

2各種採炭作業法と粉じんの発生

(一) 手掘採炭

手掘採炭は、ツルハシ等の道具を使用して人力で炭層を掘り崩し石炭を採掘するものである。手掘採炭は最も古くから実施されていた採炭方法であるが、長壁式採炭法が採用されて以降も相当期間手掘採炭によつていた坑もあつた。

手掘採炭では、まず炭層の下部をツルハシ等で掘削し、上部を崩落し易くしてから上部を採掘した。この際には、石炭の性質、湿潤の度合等により程度の差はある(この点は各種採炭法に共通する。)が、一部は粉状となり、飛散した。

(二) ピック採炭

ピック採炭はコールピックを使用して石炭を採掘する採炭法である。コールピックは、圧縮空気を使用して、先端のピックスチールで炭層を打撃、穿孔、破砕する手持式の機械であり、作業員一名で一台を使用した。ピックの採炭では、手掘採炭の用具がツルハシであつたのがコールピックに代わつただけで、その他の作業方法は手掘採炭におけるとほぼ同様であつたが、採炭能率は大幅に向上した。

コールピックにより石炭を採掘する際には、適切な防じん対策がなされないと、手掘に比較するとより多くの粉じんが発生した。

(三) カッター採炭

カッター採炭の一般的な手順は、コールカッターを使用して炭層の下部(炭層がしゆう曲し、また薄層である等の条件によつては、下磐岩層に及ぶこともあつた。)を透截し、残つた炭層部分を自然崩落させ又は人為的に切り取るというものであつた。その人為的に切り取る方法として電気オーガーで穿孔したうえ、ダイナマイトを装填し、爆破する方法が主として採用されていた。被告において導入したコールカッターは、ピック(爪状のもの)の付いたチェーンがモーターにより高速回転し、チェンソーの如くして炭層(または岩層)を切截するもので、ストレージブ、ベンドジブ(透截後、下部に三角炭が残らぬように、ジブを曲げたもの)の二種類があつた。コールカッターの切截の速度は、払長四〇メートル程度の採炭切羽では約二時間であり、パンツアを使用すると能率は更に向上した。

コールカッター運転時は、切さくされた石炭、岩石が小塊、粉状となつて噴出するため、適切な防じん対策をとらないと粉じんが飛散した。また発破後(発破時には作業員は退避する。)粉じんの除去をまたずに立入ると粉じんに曝露することとなつた。

ドラムカッターは、ピックのついた円筒形のドラムが高速で回転し、炭層を切削する機械であるが、これを使用する際には、適切な防じん対策を施さないと粉じんが発生した。

(四) プレーナー採炭

プレーナー採炭は、コールプレーナーを使用して採炭する採炭法である。コールプレーナーは、炭層を切さくする本体駆動部が、ロープの牽引により炭壁に密着して、炭層下部を切さくしつつ肩(採炭切羽の傾斜の上部)から深(フケ。採炭切羽の傾斜の下部)に下降し(炭層下部を切さくすることにより炭層の上部は崩落する。)、次いで深から肩に上昇するが、その上下作動の際に切さく、崩落した石炭を自動的にコンベアに登載する切さく式採炭機である。コールプレーナーは軟い炭質の採炭に適するものであり、これにより切さくする炭層の高さは約二〇ないし三〇センチメートル、奥行は約二〇センチメートルであつた。この進行速度は設計上は毎分約七メートルであつたが、実用の際はこれよりも遅かつた。プレーナー採炭では、作業員の作業内容は、機械の看視、切羽面の進行に従い、コールプレーナーを前進させるための矢玄(滑車)柱の移設、こぼれ炭のすくい込み、立柱等となり、省力化された(コールプレーナーは採炭機械としてはなお不完全なところがあつたため、やがて使用されなくなつた)。プレーナー採炭では適切な防じん対策がなされないとコールプレーナーによる石炭の切さく、崩落の際に粉じんが発生した。

(五) スクレーパー採炭

スクレーパーは、コールプレーナー同様、ロープで駆動部を牽引する切さく式採炭機械であるが、駆動部が炭壁に密着して炭層を切さくしつつ深から肩に上昇し、肩から深に下降する際には切さくした石炭を駆動部がすくい込んで自ら運搬する機能をも有していた。スクレーパーは軟い炭質の採炭に適するものであり、切さくの深さは一ないし二センチメートルと浅いが、進行速度は毎分五〇ないし六〇メートル程度であつた。スクレーパー採炭ではコンベアは不要となり、作業員の作業内容は機械の看視、切羽面の進行に伴う矢玄柱の移設、残炭のすくい込み、立柱等となり、コールプレーナーにおけるよりも更に省力化が進んだ。

スクレーパー採炭では、適切な防じん対策がなされないと、スクレーパーによる切さく、上部炭層の崩落により、粉じんが発生した。

(六) ホーベル採炭

ホーベルは原動機により駆動する切さくビットで石炭を採掘する切さく式採炭機であるが、コールプレーナーやスクレーパーのようにロープによる牽引を要せず、パンツアコンベアの駆動部にホーベルを牽引する機構が加えられていた。ホーベルは比較的硬い炭層でも使用が可能であり、薄い炭層の場合に適するものであつた。

ホーベル採炭の場合も、適切な防じん対策がなされないと切さくのさい粉じんが発生した。

以上のとおり、いずれの採炭方法においても採掘それ自体発じんのおそれがあつたが、その他に採炭切羽内では、コンベア使用時には、作業員がいつせいにこれにスコップで原炭を投入する際に粉じん発生のおそれがあつた。又、採炭切羽からコンベア等で深に運ばれた原炭を炭車に積込む場所(これを「戸樋口」という。)では、コンベア等から原炭が一メートル余の下の炭車に落下するため、充分な撒水をしないと発じんした。これはコンベアからコンベア、あるいはポケットへ、ポケットから炭車への原炭の積換えの際も落下距離の差はあれ同様であつた。

採炭切羽では、深から肩方向に通気がなされるため、戸樋口で発生した粉じんは採炭切羽内に入ることになり、特に肩側の作業員は深側採炭切羽内で発生した粉じんとあわせてこれに曝露することになつた。

採炭跡が自然崩落する際にも粉じんが発生した。

なお、片磐坑道と片磐坑道の間を掘削して採炭切羽をつくる作業(切昇り)は、ほぼ沿層掘進と同様の作業実態であつた。

3本件各坑における採炭作業法

(一) 鹿町鉱西坑

鹿町鉱西坑においては、当初は手掘採炭のみであつたが、昭和二〇年代にしばらくの間一部でプレーナー採炭が実施され、その後スクレーパー採炭が一部の払で実施された。昭和三〇年代にはピック採炭が実施され、手掘採炭はほとんどなくなつた。

(二) 鹿町鉱東坑

鹿町鉱東坑では、当初手掘採炭のみであつたが、昭和二五年ころからしばらくの間一か所の払でプレーナー採炭が実施され、その後昭和二八年八月の終掘まで一部の払でスクレーパー採炭が実施されたが、その他は手掘採炭であつた。

(三) 鹿町鉱本ケ浦坑

鹿町鉱本ケ浦坑では、昭和二九年に採炭が開始された当初から終掘までスクレーパー採炭が実施された。

(四) 鹿町鉱南坑

鹿町鉱南坑では、当初手掘採炭のみであつたが、昭和二八年ころから昭和二九年四月終掘までスクレーパー採炭が実施された。

(五) 鹿町鉱小佐々坑

鹿町鉱小佐々坑では昭和二二年ころから長壁式採炭法となつたが、なお手掘採炭が実施され、昭和二八年ころから昭和三五年二月終掘まで、大瀬三枚層でスクレーパー採炭が実施された。

(六) 矢岳鉱矢岳坑

矢岳鉱矢岳坑では、当初は手掘採炭のみであつたが、大瀬五尺層において昭和二五年ころからピック採炭が実施され、昭和三一年ころからは一部でスクレーパー採炭が実施された。その後はスクレーパー採炭が主となり、一か所の払でホーベル採炭が実施された。

(七) 神田鉱神田坑

神田鉱神田坑では、当初から終掘まで、ストレートジブ・コールカッター採炭が実施された。

(八) 御橋鉱一、二坑

御橋鉱一坑では、当初は手掘採炭のみであつたが、昭和二〇年ころから一部を残してストレートジブ・コールカッターによるカッター採炭が実施され、同二坑では、昭和二八年の採炭開始当初からストレートジブ・コールカッターによるカッター採炭が実施された。昭和三六年ころからは同一、二坑ともベンドジブ・コールカッターによるカッター採炭も実施された。

(九) 柚木事務所柚木坑

柚木坑では、昭和四一年一二月半ばころ採炭を開始してから昭和四二年二月一日までの間、ホーベル採炭、ベンドジブ・コールカッターによるカッター採炭が実施された。

(一〇) 伊王島鉱業所伊王島坑

伊王島坑では、一区の一〇尺層のうち、二メートルの炭層ではピック採炭、二区の二尺層ではホーベル採炭、一〇尺層でピック採炭、三区ではドラムカッター採炭、ベンドジブ・コールカッターによるカッター採炭をそれぞれ実施した。

三仕繰作業

仕繰作業は、坑内の坑道の修理、清掃のほか、捲場作り、撤収作業が含まれることもあつた。

1坑道は地圧により支柱が破損したり、上、下磐、側壁が膨張、変化するため、天磐切上げ、下磐磐打ち、側壁切広め等をして補修した。この際、コールピックにより掘さくするほか、必要に応じさく岩機を使用してさく孔のうえ発破することもあつた。これらの作業の際には適切な防じん対策がなされないと粉じんが発生した。

2捲場作りは、捲上機を設置する場所を坑内に設ける作業であるが、その作業内容、粉じん発生のおそれは、岩石掘進とほぼ同様であつた。

3撤収作業は、不要となつた坑道から枠材等を回収する作業であるが、枠を撤去すると天磐が崩落するため、多量の粉じんが発生した。

4更に、仕繰夫の作業現場が、掘進、採炭作業現場の付近であるときは、そこで発生した粉じんに曝露するおそれがあり、排気坑道での仕繰作業では、排気に含まれた坑内各所で発生した粉じんに曝露するおそれがあつた。

四坑内運搬作業

坑内運搬作業の内容は、掘進切羽、採炭切羽等から石炭、硬を積載して捲立に集められた鉱車を連結して、捲上機により坑外まで運搬するというものであつた。

鉱車は入気坑道を往来するため、石炭、硬を坑外に搬出する時は入気に逆らつて進行することとなるため、適切な防じん対策がなされていないと石炭粉、岩粉が飛散し、鉱車の後部に添乗する作業員は粉じんに曝露するおそれがあつた。

五その他の坑内間接作業

1各作業の概要

(一) 坑内機械は、小型捲を除く捲、ポンプ、圧風機の運転状況の巡回点検、保守を担当した。

(二) 坑内工作の作業内容は各種あるが、通気大工の場合風門および風橋の作成・保守、風管の延長・目塗の作業を、軌道大工の場合軌道の延長・保守の作業を、修繕方(当番)の場合各種機械の布設、移設、撤収(坑道コンベアの延長短縮を含む)、圧気管・給水管の布設・撤収および延長・短縮、巡回点検保守の作業をそれぞれ担当した。

(三) 坑内電機は、各種坑内機械の電源維持管理、各種電動機の布設・結線・撤収、巡回点検保守の作業を担当した。

(四) 坑内技術助手は、作業現場における部下鉱員に対する作業上および保安上の指示、指導監督を担当した。

なお、坑内保安係員は職員であつて鉱員ではないが、右同様の職務を担当した。

2右の各職種は、それ自体は粉じん発生を伴う作業を実施するものではなかつたが、他の作業で発生した粉じんが飛散する結果、これに曝露し、吸入するおそれがあり、特に掘進、採炭作業現場付近ではそのおそれが大きかつた。

なお、防爆目的のために坑道に岩粉を散布することがあつたので、その散布作業自体粉じんを発生させる作業であつたが、比較的人体に実の少ない岩粉を散布することにより、散布した岩粉から生じる疾病の予防はできた(後記認定のとおり、被告においては比較的害の少ない石灰岩粉以外の有害な岩粉を散布したことは認められない。)。

六坑外運搬作業

坑外運搬作業の内容は各坑により異なる部分もあるが、その概要は次のとおりであつた。

1坑口まで運搬された原炭、硬の入つた鉱車は、それぞれチップラー(炭車に積載されている内容物をポケットに落し込む――ホッパーに落し込んでコンベアでポケットに入れた坑もあつた――ための鉱車回転装置)まで運ばれた。

2硬を積載した鉱車は、チップラー操作員により硬チップラーで返され、この硬は選炭工程で排除されたブレーカー硬、水洗硬と共に硬ポケットに入れられた。これを再び鉱車に積み、エンドレスで硬山付近まで運び、チップラーでスキップ用硬ポケットに入れた。これをスキップで硬山まで運び上げ、自動開きにより捨てていた。

3原炭を積載した鉱車は、チップラー操作員により返され、原炭は原炭ポケット(またはホッパー)に落し込まれ、選炭工程に送られ、これを経た精炭は、精炭ポケットに入れられた。(船積の場合は、これから鉱車に積まれ、エンドレスで港頭精炭ポケットまで運ばれ、ポケット下から船積コンベアで船積された。)

4坑外運搬作業では、原炭、硬をチップラーで落し込む作業、硬ポケットから炭車に積む作業、スキップへ積換える作業、スキップを自動開きして硬捨てをする作業、精炭の船積み作業の際、適切な防じん対策がなされないと、粉じんが発生した。

七豆炭製造作業

矢岳坑における豆炭製造作業の手順は次のとおりであつた。

1石炭を水洗した後の排水中の微粉炭を沈澱させたもの(これを「ドベ」と呼んでいた。)を天火で生乾きの状態まで乾燥させる。

2これをローラーで粉砕する機械に投入する。この際、乾燥が充分でないときは蒸焼にした微粉炭(これを「スバイ」と呼んでいた。)を同時に投入する。

3これを豆炭の形に成型する機械に入れ、成型された豆炭の表面に付着している微粉をふるいで落とす。

4豆炭をかまぼこ状に高さ一メートル程度に積上げ、その表面にスバイ、ドベを厚さ七ないし八センチメートルつみ積ねたうえで、蒸焼にする。

5蒸焼後、表面に撤水し、スバイ、ドベを熊手でかき落し、豆炭をふるいにかけ、貯蔵場に運搬する。

以上の工程のうち、最も発じんの甚しいのは5の撤水、スバイ、ドベのかき落しの際であり、2及び3の工程は屋内作業であり、その際も相当量の粉じんが発生した。

八コークス製造作業

矢岳鉱におけるコークス製造の工程は次のとおりであつた。

1選炭後の排水中の微粉炭(ドベ)をこね固め、レンガ状にし、天日で乾燥させ半乾きにする。

2これを幅三ないし四メートル、長さ五ないし六メートル、高さ約一メートルのかまぼこ状に積みあげ、着火する。

3積みあげた微粉炭塊の表面に、微粉炭の灰を、水をかけながらスコップで厚さ約三〇センチメートル程度かぶせ、蒸焼きにする。

4数日間蒸焼きにした後、スコップで表面にかぶへた微粉炭の灰を水をかけながらスコップでかきとる。

右の工程中、3、4の作業の際は、微粉炭の灰が空中に舞い、数人が同時に作業するため、甚しい粉じんが発生した。

九選炭作業

原告ら元従業員のうち、被告経営当時の本件各坑で選炭作業に従事した者は原告副福ケサ(一次一〇番)のみであり、別紙9個別主張、認定綴第一綴の同原告についての当裁判所の認定のとおり、同原告は、昭和二二年から昭和二四年一一月までの間に鹿町鉱で右作業(硬えり)に従事していたものであるが、当時既に同鉱の選炭は水洗方式であつて、同原告が右作業中粉じんに曝露することはなかつた。

一〇坑内の自然環境と粉じん発生

本件各坑の坑内には、湿潤な箇所、湧水、出水の箇所も少なくなく、湿潤の程度により発じんの程度には差があり、特に湧水、出水箇所での作業では発じんが抑制されることもあつたが、このような状態が一般的であつたわけではなく、通常は適切な防じん対策を実施しないと程度の差はあつても前記のとおりの粉じんが発生する状況下にあつた。

第四  被告の安全配慮義務及び

その内容

一総説

1前記のとおり、被告は原告ら元従業員と雇傭契約関係にあつたのであるから、被告は原告ら元従業員に対し、彼等が労務に従事するに際し、生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つていたものと解すべきである(これを「健康保持義務」と称してもよいが、ここでは一般の用語例に従い「安全配慮義務」と称することとする。)。

2被告は安全配慮義務違反による債務不履行責任の理論は昭和四〇年代後半において判例によつて承認されるに至つたものであるから、法律不遡及の原則にのつとり右承認前の事実に右理論を適用すべきでない旨主張するのでこの点について検討する。右理論は民法上の債務不履行に関する諸規定(民法四一五条、四一六条等)の解釈理論として判例上承認されたものであつて法律そのものではないのであるから、法律不遡及の原則とかかわるものでないことは明らかである。のみならず、右理論の前提をなす信義則に関する民法一条二項は昭和二二年法律第二二二号によつて新設されたのであるが、これは本来、法の根本原則をなすことがらを法律上明定したにすぎないものであるので、右条項所定の信義則にもとづく安全配慮義務を労働契約上承認し、その違反につき債務不履行責任を肯定するという理論をこれが判例上承認された時より前の事実に適用することは当然許されることであり、又、右条項新設前の事実に適用することも肯定されるものと解すべきである。したがつて、被告の右主張はそれ自体失当と言わなければならない。

3そこで、安全配慮義務の内容について検討する。

本件で問題となる債務不履行は昭和一四年五月二〇日の被告設立時から遅くとも同四七年の被告の本件各坑における最終の操業停止の時までという長期に亘るものであつて、その間に、第二次世界大戦及びその終結、その前後における労働関係をめぐる社会情勢の変遷、けい肺・じん肺対策運動の展開、医学の発展、行政の動きなど種々な事情の変動があつたことは公知の事実である。本件雇傭契約上の安全配慮義務の内容を確定するに当つては、契約環境とも言うべきこれらの時代的事情を考慮に入れなければならないことは言うまでもない。そして、本件請求が炭鉱の粉じんによるじん肺罹患から生ずる損害の賠償請求である点に鑑み、じん肺に関する医学的知見、炭鉱における粉じん防止対策に関する工学技術的知見等が右考慮すべき事情の中心となる。

ところで、炭鉱の国策上の重要性又は公共性、及び地下坑の掘さくを中心とする産業の特殊性から、これにつき行政法令が発せられ、行政指導、監督が行われ、じん肺に関しても時代的に変遷はあるが、多かれ少なかれ行政上の関与が試みられたことは後記認定のとおりである。

これら行政法令等は民事上の債務不履行責任につき判断するための安全配慮義務の内容を確定するにあたつては重要な一つの要素とはなるけれども、これが右安全配慮義務の最上限を画するものでないことは、行政法令等の目的と民事上の債務不履行制度の目的とが同一でないことから明らかである。

二医学的、工学技術的知見及び行政法令等

以上の基本的観点に立つて、本件にそくして安全配慮義務の内容を検討することとする。

別紙10じん肺の知見に関する文献各項所掲の書証(甲第四七、六〇、八七、一二五、一三三号証、乙第一三号証、第二〇一号証の一の成立につき弁論、その余の各号証の成立につき争いがない。)によると、それぞれ同別紙10各項記載の事実が認められる。

さらに、法令、行政指導、監督に関しては公知の事実として次のことが認められる。

明治二五年三月制定の鉱警則が昭和四年一二月一六日に改正され、これが昭和二四年八月一二日の炭則の施行まで効力を保持し、これに続くものとして、右同日炭則が定められて施行され、少なくとも被告の本件各坑における操業停止時である昭和四七年に至つた。それらの内容及び改正の経緯は別紙11石炭鉱山における粉じん防止に関する法的規制の主な経緯記載のとおりである。

それらの政令等のけい肺を含む炭肺に関する規定の特徴を安全配慮義務の内容との関連においてみると、鉱警則は坑内粉じん作業の際の注水その他粉じん防止施設の設置又は防塵具(マスク)の備え付けを、坑外粉じん作業についても撤水その他の方法をとることを義務づけており、炭則は時代により義務項目が増加して行つたが昭和四七年頃までには、撒水、湿式さく岩機、収じん装置、マスクの備え付け、岩粉に関する通気の設備、発破後防じんに関する注意などの規定をおいた。さらに、けい肺罹患者の保護の観点から昭和二四年八月四日珪肺措置要綱が罹患者に対する保護具(防じんマスク)の使用、労働時間の短縮、配置転換、健康診断の実施につき指示を与え、加えて医者等に対するけい肺教育をも指示した。さらに、昭和二六年一二月一五日これが改正され、ほぼ同様の指示をしたが、罹患者以外の者についての健康診断に留意する旨の定めがおかれた。これらについては別紙12珪肺措置要綱等記載のとおりである。

昭和三〇年七月二九日けい特法が制定され、これが継続のために同三三年五月七日けい臨措法が定められた。その中では、従業員に対する就業時及び定期その他の健康診断の実施、けい肺症状決定の結果通知の手順、けい肺罹患者の配置転換、離職の勧告及びそのための補償並びに療養補償が定められた。

さらに、昭和三五年三月三一日旧じん肺法が制定されて、一般的にではあるが、じん肺教育、防じん対策(粉じん発散の抑制、保護具等)の実施が義務づけられ、その他については要件が罹患者に有利に改正された点が認められるが、けい特法同様の健康診断、配置転換、離職、それらの補償等の定めをおいた。

三各時代の特徴

以上の認定事実にもとづいて、被告設立時(昭和一四年五月)から第二次世界大戦終結日(同二〇年八月)まで、それ以降被告がけい肺症患者取扱内規を定めた昭和二八年の前年まで、同二八年以降旧じん肺法公布日(昭和三五年三月)までの三期に区分して、それぞれの期の特徴的な点を指摘して安全配慮義務の内容を認定することとする。

1昭和一四年五月〜同二〇年八月

それ以前から形成された医学的・工学技術的知見を受け継ぐこととなるが、この期自体では深化、発展は見られない。昭和一四年頃の知見をまとめてみると次のとおりである。

炭坑にもけい肺があり、炭肺もある。炭粉無害説の言う「炭粉」は実験室におけるような純粋炭粉を言つているのであるが、実際の炭坑粉じん中には、右炭自体に約五パーセントのけい酸分(結晶性けい酸、けい酸塩類)が含まれているばかりでなく、炭層及びその上下に夾み等(俗に言う「ごま」「いつき」など)があるためにけい酸分が含まれており、かつ岩石掘進には石じんが中心となり、又、沿層掘進の場合にも上下岩磐のさく孔、発破等のため石じんが発生するので、当然にけい酸分が含まれていて、純粋炭粉は実際には考えられない。又、この期には防爆用に散布される岩粉として、砂岩、頁岩が用いられることもあつたので、これによるけい酸分を含む粉じんも加わつた(ただし、被告において防爆用の岩粉として砂岩、頁岩の粉を用いたことを認めるに足りる証拠がないことは後記認定のとおりである)。

有力な学説として白川説があり、これによると、炭坑には「よろけ」がないと言うのであるが、同説は実際には炭坑に「よろけ」があつた事実をいかに合理的に説明するか、という観点に立つていた(したがつて、同説は炭坑夫の前職歴が金属山であつたか否かにより、けい肺罹患率を分析することとなる)。

炭鉱粉じんによる肺疾病、すなわちけい肺を含む炭肺の病理機序についての知見は今日におけるほど鮮明ではないが、およそ次のような内容には至つていた(特に別紙10の1(三)、(一〇)、3(七)(3)、(4)、(一七)。

「炭鉱粉じんが肺の小葉間等に沈着する。肺胞壁の一部が消失する。所々に真黒色の小結節が出来る。粟粒大、鶏卵大の大結節が生じる。結節が肺の大部分を占めて黒色硬変となり、血官を消失させ、栄養障害を来たす。肺の中心部が軟化し、黒汁様内容の空洞ができる。」「硬結以外の組織は甚だしく含気量を増し膨張し肺気腫に至り、高度の場合に肺の基底部は甚だ深き陥入を示しその状態は天幕を張つたようになる。」「続発症として肺気腫、心臓拡張肥大、肋膜肥厚・癒着、気官支拡張、気管支炎が生じる。」「臨床的には、急性肺炎を起こしやすく、食欲不振、体力消耗、衰弱、乾性咳嗽、黒汁咯痰、呼吸困難、貧血等の症状がみられる。」「とくにけい肺症としてみると、潜伏期が長く、退職後発病となる傾向にあり、又、発病当初離職すれば病勢を停止できるが、後に至れば進行を止めることができず、心臓衰弱、肺結核その他の偶発症のため死亡する。」

ただし、金属鉱山のけい肺に比べると発症の頻度は低く、又症状は軽い場合が多い。

そして、実際のいわゆる外地を含む日本国内において少なくとも掘進現場では防じん対策として湿式さく岩機が使用されて、そのための給水管の敷設もなされ、マスクも使用されていた炭坑があつた(採炭切羽にも撤水していたが、これは防爆のためであつた)。さらにこのように、湿式さく岩機は炭坑においても使用可能であっつたし、防じん用マスクも考えられていた。

その上、前掲鉱警則六三条、六六条により、行政法令上も著しく粉じんを飛散する作業場所における注水その他粉じん防止施設の設置、防じん具(マスク)の使用を義務づけており、このことは炭鉱にも適用された。

このような知見及び行政法令等から見るとき、少なくともけい肺については明白に、発じん抑制のために撒水、さく岩機の湿式化、防じんマスクの使用、通気への配慮、発破直後の立入り回避、散布岩粉の適正化、健康診断の実施、罹患者に対する健康管理、安全教育等の義務が安全配慮義務の内容として肯定されなければならない。炭肺については、炭粉無害説もあつたのであるが、炭粉有害説もあつたのであるし、炭粉無害説をとる学者も炭粉でもこれを大量に吸入すれば有害であることを認めるのが一般であつたのであるから、炭粉も有害でこれを大量に吸入するとけい肺を含む炭肺に罹患する可能性があることを予見して右同様の措置を講ずべき義務があるというべきである。そればかりでなく、前記のとおり、実際の炭鉱粉じんには純粋炭粉はありえないのであるから、この点から見ると右同様の措置を講ずべき義務があるのは当然のことである。

なるほど乙第三〇号証の一、二(争いがない)には昭和一三年開催のILO会議の日本報告中に炭坑に関する記述がなく、乙第二五号証、同第一三七号証の一九、同第一九五号証の一(以上弁論)には、この期には大学にけい肺ないしじん肺の講義がなかつた旨の記載があり、さらに甲第九一、一三三、一三六、一三九号証(以上争いがない)、同第一三五号証(弁論)(戦後の文献)に戦前、戦中のけい肺ないしじん肺に対する研究不足を反省する所述があり、又、乙第一九五号証の四(弁論)には昭和二六年御厨潔人がわが国の炭けい肺見第一号であるかのごとき記載があり、さらに別紙10所掲の欄外の(△)部分の所述があるけれども、同別紙10所掲の(△)部分を除く事実に照らして考えると、右の各記載ないし所述は前記認定を覆えすに足りる証拠とはなしえない。その他前記認定を左右する証拠は存しない。

2昭和二〇年八月〜同二七年一二月

第二次世界大戦が終結し、それまでの知見の集積が受け継がれることになるが、昭和二二年の金属鉱山におけるけい肺対策運動が大きな動因となつて、けい肺に関する医学、工学技術の進歩、行政の対応が目ざましくなつた。そのけい肺対策運動の資料中にも炭鉱におけるけい肺の記述もみられ、全国けい肺巡回検診(昭和二三年〜同三〇年実施)の結果、昭和二四年には炭鉱におけるけい肺が発見された。

けい肺を含む炭肺の病理機序についての知見は前期におけると同様であるが、その原因の究明が試みられている。実際の炭鉱粉じんにけい酸分が含まれているということは前期同様に認識されている。炭肺が比較的軽症であることについても前期同様の知見が見られる。

行政の対応としては、鉱警則が廃止されて、炭則が制定され、その中に衝げき式さく岩機によりせん孔するときは粉じん防止装置をつけること、又は、防じんマスクを使用することを義務づけ、坑外についても防じんの措置を義務づけた。その後、昭和二五年遊離けい酸質区域の指定等について改正がなされた(改生につき別紙11参照)。さらに、昭和二四年八月けい肺措置要綱が定められ、同二六年一二月にこれが改正された。ここでは、罹患者の配置転換、離職の保障などけい肺罹患者の保護を中心として指示がされている。

このような知見及び行政の対応によると、少なくともけい肺を含む炭肺については前期と同様の安全配慮義務がより明白に承認されるべきである。

なるほど、別紙10の(△)印部分の所述があるが、それは、同別紙10のその余の部分の所述に照らして右認定を覆えすに足りない。その他右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

3昭和二八年一月〜同三五年三月

昭和二三年から同三〇年までに実施された全国けい肺巡回検診の結果及びこれに伴う検診参加医師の手による研究結果、その他独自の研究結果が発表された。

病理機序の基本的理解は前々期と同様であるが、炭鉱粉じんの組成の分析及びその生体に及ぼす影響など個々的な問題についてその知見が深化、発展させられている。工学技術的な知見についてもいくつかの文献が見られ、粉じん防止に関する対策が提言されている。

行政の面では昭和三〇年七月けい特法が制定されて、けい肺患者の健康診断、配置転換、退職に関する補償などに配慮し、同三三年五月けい臨措法が制定されてその継続が確保され、同三五年三月の旧じん肺法の制定に至ることとなつた。旧じん肺法には右の点のほか、じん肺教育、防じん対策に関する一般的規定をおいている。

後記認定のとおり、被告はこのような行政の動きに対応して昭和二八年五月一日けい肺症患者取扱内規を定め、同三〇年一二月二七日労使間でけい肺協定を結び、同三三年一月一日職員けい肺患者の身分給与特別取扱内規を定め、旧じん肺法実施に伴い同三六年二月一〇日労使間でじん肺協定を結んだ。

以上認定を覆えすに足りる証拠は存しない。

以上の事実によると、けい肺を含む炭肺及びその予防対策について明白な知見が得られたはずであり、前期同様の内容の安全配慮義務が認められる。

四安全配慮義務の内容

以上各期毎に安全配慮義務の内容を検討して来た。時代によつて重点のおきどころに若干の差はあるが、少なくとも各時代共通して次のような事項を安全配慮義務の内容であると認めることができる。そして、昭和三五年三月の旧じん肺法制定後右同様の内容の安全配慮義務が認められることは言うまでもない。

1粉じんの発生を抑制するために、

(一) 各作業現場の適当な箇所、作業工程において、撤水、噴霧する。

(二) 削岩機は湿式のものを導入し、これを湿式削岩機として有効に使用するよう当該作業員を指導、監督する等の措置をとる。

2発生した粉じんが、作業現場に滞留することのないよう、適切な通気を確保する。

3防じんマスクを支給し、作業の際これを装着するよう指導、監督する。

4発破を伴う作業においては、発破により発生した粉じんが除去され、沈下するまで作業現場に立入ることのないようにし、上り発破(作業終了時に発破をする作業方法)、昼食時発破(昼食直前に発破する作業方法)等の、粉じん曝露を回避する作業方法をとらせる。

5岩粉散布のような防爆目的のために岩粉を散布せざるをえないときは、その岩粉をできる限り人体に有害の少ないものとする。とくに、けい酸分の少ない岩粉を選択する。

6じん肺についての医学的知見、予防法等について教育し、じん肺防止対策の重要性を認識させる。

7健康診断、じん肺検診を実施して、じん肺患者の早期発見、早期治療、健康管理に努め、じん肺所見の認められた者に診断結果を通知する。

8じん肺に罹患した者を粉じん作業職場から離脱させるよう努める。

第五  安全配慮義務の不履行

本項においては、原告らにおいて主張・立証の責任を負担する安全配慮義務の不履行について認定、判断するのであつて、被告において主張、立証する、けい肺、じん肺対策に直接又は間接に係わるすべての事実を余すところなく認定、判断するものではない。したがつて、以下、前項記載の安全配慮義務の不履行の事実を認定することとなる。

<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、<反証排斥略>、他にこの認定を左右するに足りる証拠は存しない。

一さく岩機の湿式化

1昭和二五年ころまでは、本件各坑(但し、当時開坑されていない坑、被告の経営していない坑を除く。以下同じ。)で使用されていたさく岩機は全て乾式さく岩機であつた。昭和二五年八月、炭則改正のさい、けい酸質区域指定制度が設けられたことを契機に、被告は湿式さく岩機の導入の検討を始め、東洋工業、古河足尾製作所、大成工業等の国産メーカーの四、五種の機種につき、鹿町鉱西坑、矢岳鉱矢岳坑、鹿町鉱本ケ浦坑連絡坑道の一部の掘進作業現場でテスト使用した。昭和二六年ころからは、遊離けい酸分が多いと予想された砂岩層の岩石掘進に湿式さく岩機を使用することとし、鹿町鉱西坑、矢岳鉱矢岳坑、鹿町鉱本ケ浦坑に湿式さく岩機を導入することとした。その後被告本社の粉じん測定の結果、沿層掘進においても被告の予想以上の粉じん発生があつたことから、昭和二八年ころからその他の坑も含め沿層掘進にも湿式さく岩機を導入することとした(但し鹿町鉱東坑は終掘間近で掘進作業は終えていたため導入されなかつた)。

当初の湿式さく岩機は、水圧、水量の調節が困難で、ウオーターチューブが切損する等、乾式さく岩機に比較すると作業能率は劣るものであつたが、徐々に工夫、改良がなされ、性能は向上した。また昭和二六年ころからは、従来の乾式さく岩機にヘッドを取付け、簡易な改造を施すことにより湿式化できるようになつた。

被告の導入した湿式さく岩機は、東洋工業製TY24型、古河足尾製作所製ASD25型が主力であつたが、昭和二八年には、鹿町鉱西坑の掘進現場の一部に西ドイツ製の湿式さく岩機ベルグマイスターも導入した。

本件各坑における湿式さく岩機導入の詳細な推移は不明であるが、昭和三三年二月末当時の鹿町鉱における調査によると、同鉱において使用中のさく岩機二三台のうち乾式のものは一一台(採炭三台、掘進二台、その他六台いずれもASD25型)、湿式のものは一二台(全て掘進で使用され、ASD25型及びASD26型各四台、TY24型及びベルグマイスター各二台)であつたが、右乾式さく岩機の台数うちには湿式に改造されているものも含まれていた。

柚木事務所の掘進現場では当初から全て湿式さく岩機が導入されていた。

仕繰作業には湿式さく岩機は導入されなかつた。

2右のとおり、被告は、昭和二〇年代後半に、段階的に湿式さく岩機を導入し、使用範囲を拡大することとしたが、作業現場でのその使用の実態は杜撰なところが少なくなかつた。特に当初の湿式さく岩機は故障等のため作業能率が乾式さく岩機に比較すると劣つていたため、現実に使用されることは少く、その後性能が向上してからも、湿式さく岩機は給水装置を取りはずしても乾式さく岩機として使用できる機構であつたことから、これを乾式さく岩機として使用する方が作業員にとつては簡便であり、じん肺防止対策としての湿式さく岩機による粉じん抑制の重要性の認識が不十分であつたことと相俟つて、現実には乾式さく岩機同様の使用がなされていることが多く、ひいては掘進作業現場までの水管設備さえもなされぬまま放置されたままのところも少なくなかつた。このような湿式さく岩機の使用実態は徐々に改善されたが、被告の指導、監督は不十分であつた。

二撒水

1掘進作業における撒水

被告は、前記のとおり、湿式さく岩機を導入したころから、さく孔前、発破前、発破後に撒水する方針をとることとし、特に矢岳鉱では昭和二五年一二月にガス爆発事故後、沿層掘進における炭座部分の発破前後に防爆目的のために撒水することとしたがこれ以前に掘進現場での撒水を指導したことはなかつた。湿式さく岩機の導入により掘進現場まで水管が配管されるまでは、付近にバッグ(坑内に湧出する水をためる貯水槽)があるとき等はこれから水を汲んで撒水することも可能ではあつたが、現実にこのような方法で撒水することは極めてまれであつた。湿式さく岩機が導入されて以後も、現実には掘進現場まで水管が配管されないことも少なくなく、撒水の実態は不十分なものであつた。

2採炭作業における撒水

(一) 被告の方針

(1) 戸樋口撒水、大肩噴霧

昭和二三年一〇月の鹿町鉱西坑におけるガス燃焼事故を契機に、同坑、鹿町鉱東坑、同南坑、同小佐々坑、矢岳鉱において炭じんによる爆発防止を目的として戸樋口撒水を実施することとし、その後昭和二五年一二月の矢岳鉱でのガス爆発事故を契機に、右各坑で、必要な箇所で大肩噴霧を実施することとした。

また、右矢岳鉱ガス爆発事故を契機に、爆発防止を目的として、神田鉱、御橋鉱で戸樋口撒水を、その後必要な箇所に大肩噴霧を実施することとした。

その他の各坑では、その後の採炭開始または被告経営の当初から戸樋口撒水、必要な箇所の大肩噴霧を実施することとした。

(2) 採炭切羽内撒水

昭和三三年、御橋鉱でストレートジブコールカッターにホースを備え、初めて採炭切羽内で撒水を実施することとした。その後、昭和三六年同一、二坑に、撒水設備のついたベンドジブコールカッターを導入した。

昭和三八年末の三井鉱業所の爆発事故を契機に、昭和四〇年以降、採炭切羽内撒水を重視し、伊王島鉱業所では、カッター採炭、ホーベル採炭につき撒水を実施することとし、ドラムカッターは撒水設備がついたものであつた。

柚木事務所でも、ホーベル、カッターに撒水設備を付けた。

(3) その他

御橋鉱二坑では、昭和三四年昇坑道パンコンベア使用時から炭車積込箇所で撒水することとした。

矢岳鉱、神田鉱、柚木事務所では、ポケットにいつたん原炭を入れる方式をとつていたが、その上下で撒水することとした。

(二) 撒水の実態

撒水は、バッグに貯溜した水をポンプで圧力をかけ、水管で撒水箇所まで導き、シャワー状に撒水し、または噴霧装置で噴霧するものであつた。

採炭現場での撒水、噴霧は、当初は爆発防止が目的であり、前記のとおりの方針がとられても、現実には、撒水の結果粉炭が炭車等にこびりつく等のため、特に当初は確実には撒水は実施されず、また戸樋口の移動による水管設備延長の遅れ、故障等もあつた。戸樋口に撒水を実施しても、その水量、機構からして、発じんを十分に抑制することは困難であつた。大肩噴霧は前記のとおり必要に応じて実施するとされていたが、その基準はあいまいであり、現実に実施された箇所は少なかつた(大肩は通気回路上風下となるため、当該採炭現場の作業員のための防じん対策とはならなかつた。)。採炭切羽内の撒水は被告の方針としても甚だ遅れていたが、ホースの切損や作業員が水にぬれるのを嫌うこともあつて、特に当初はその実施は十分ではなかつた。

3仕繰作業における撒水

仕繰作業では撒水がなされることはなかつた。

4坑内運搬作業における撒水

昭和二〇年代初めころ、坑内運搬員から、粉じんが眼に入る旨の申出があつたことから、そのころから各坑の捲立で撒水を実施することとした。捲立撒水も、水管で水を導いてシャワー状に撒水するものであつたが、これによつても発じんを十分に抑制することはできなかつた。

5坑外運搬作業における撒水

坑外運搬では、チップラーに撒水設備が付けられ(各坑におけるその設置時期は明らかでない)、硬山では道床固め、硬山整形のため撒水がされていたが、粉じんの発生を十分に抑制することはなかつた。

三その他の発じん防止対策

1被告は、矢岳鉱矢岳坑及び鹿町鉱本ケ浦坑で昭和二八年から同二九年にかけ、乾式削岩機用の収じん装置(矢岳鉱矢岳坑では西独製のケーニヒスボルン型、同坑及び鹿町鉱本ケ浦坑では国産の宝Ⅰ器株式会社製宝式収じん器)を導入し試用したが、なお性能が不充分であつたため、本格的に導入、使用するには至らなかつた。

2鹿町鉱西坑(昭和三〇年代初期の約二年半の間)、矢岳鉱矢岳坑、伊王島鉱業所(二区一一尺層)では、採炭切羽から高圧水を注水する炭壁注水が実施された。これは被告としてはガス抜き等の爆発防止目的のものであるが、粉じん抑止の効果をも有したものの、天磐を弱くする危険があるため、一時的に採用されたにすぎなかつた。

3伊王島鉱業所では、昭和四二年六月から四区掘進現場で、発破用填塞物として水タンパー(水筒用袋に水を入れたもの)を試験使用し、粉じん抑制の効果を得たが、一般的に普及するには至らなかつた。

4なお、防爆目的の岩粉散布に際しては石灰岩粉が用いられており、これは砂岩粉、頁岩粉に比べると人体に対する有害度が少ないものであり、防爆目的との兼ね合いからみてこれを安全配慮義務の不履行の一事由とすべきではない。

四坑内通気

坑内通気の確保は、当初は有害ガス排出、爆発防止、作業員への酸素供給を主目的としていたが、坑内の浮遊粉じんを排出する効果もあわせ有していた。ただし、防爆対策とじん肺対策との間に許容基準に差異があつたことは前記のとおりである。

本件各坑では、おそくとも昭和二〇年代には、排気坑口に主要扇風機を備えてこれにより入排気を行なう強制通気(機械通気)が採用された。

1主要通気

鹿町鉱東坑ではシロッコ型三〇馬力及びキャペル型三〇馬力、鹿町鉱西坑ではラトー型一〇〇馬力(当初はこれを七五馬力として使用)、鹿町鉱南坑はシロッコ型一五馬力、鹿町鉱小佐々坑はターボ型三〇馬力、同二坑はシロッコ型五〇馬力、鹿町鉱本ケ浦坑はターボ型一〇〇馬力、神田鉱神田坑はターボ型四〇馬力、御橋鉱一坑はシロッコ型三〇馬力(同二坑と通じて以降は六五馬力のものを使用)、同二坑はターボ型六五馬力、矢岳鉱矢岳坑はターボ型一五〇馬力、伊王島鉱業所伊王島坑では当初はターボ型四〇〇馬力、昭和三七年以降は軸流型四〇〇馬力、柚木事務所柚木坑は軸流型二〇〇馬力の各主要扇風機を備えていた。これらの主要扇風機は、本件各坑の主要通気を確保するに一応充分な能力を有していた。

本件各坑の坑道の展開は前記第二のとおりであるが、これにみられるとおり、通常入気坑道及び排気坑道となる坑道を二本併行して掘進し(但し神田坑では昭和二四年から伊王島鉱業所では昭和三七年から対偶式通気を実施した。)、通常約一五〇メートル間隔で目抜(二本の坑道を連絡する坑道)を作り通気回路をとつた。採炭切羽を展開する卸や昇の場合は片磐坑道が目抜の役割を果した。目抜(片磐坑道の場合も同じ)は一番奥の目抜を通気回路として使用し、手前の目抜は風門で遮断した。

通気回路の途中で採炭切羽等へ通気を廻わす場合は風橋を設けた。

しかし、掘進切羽から排出された空気が採炭切羽の入気となつたり、一つの採炭切羽の排気が他の採炭切羽の入気となるような通気回路が設けられることもあり、このような場合には、作業員が排気中の粉じんに曝露することは避けられなかつた。

昭和二三年八月、炭鉱技術調査団の神田炭鉱(神田、御橋鉱)調査の結果、通気状況不良と指摘された。

2局部通気

掘進延先への局部通気は、さく岩機が使用されるようになつたころから実施され、五ないし一〇馬力の局部扇風機で、風管を通じて送風する方法で行なつた。風管は、当初直径一〇ないし二四インチ、長さ1.5ないし2メートルの鉄製風管であり、これをボルトで連結し、またラッパ式と呼ばれるテーパ状の鉄風管はさし込んで連結し、連結部の隙間を粘土、藁で目ぬりしていた。その後、直径一六ないし二四インチ、長さ五メートルのビニール製風管を連結していた(このころも掘進延先の風管仮延長は鉄風管によつていた。)

しかし、風管が採炭現場付近を通過して設置されているところでは、コールプレーナーやスクレーパ等のロープ操作の障害となる時等、風管を取りはずしてしまうことがあり、このような場合、局部通気は断たれた。

また、鉄風管はビニール風管に比べ連結部から漏風しやすく、通気が不充分となることがあつた。

掘進延先における風管の仮延長は、当初は通気大工の職務であつたが、人数が少ない等のため、掘進現場の進行に応じた適切な風管の延長に遅れがちであり、昭和二五年ころからは掘進夫が自ら風管仮延長をなすこととされたが、風管の材料不足、この点についての被告の指導監督の不充分さもあつて、適切な位置まで風管が延長されないことがあつたため、通気による粉じん除去が効果的になされないことも少なくなかつた。

五防じんマスク

1昭和二四年八月炭則制定のころまで、被告は防じんマスクを作業員に貸与支給したことはなく、作業員は各自任意にタオル等を口にあてる等の方法で粉じん吸入を防ぐ程度であつた。炭則制定を機に、被告は、一般衛生上の観点から(当時被告に炭鉱でのじん肺発生の認識はなかつた)昭和二四年ころ以降、掘進夫のうち削岩機使用者と、坑内運搬員のうちの乗回しの者に防じんマスクを貸与することとした。その後、昭和二八年八月の人員整理により、直接員の職種転換がなされたことから、直接員全員及び払当番の間接員にも貸与することとし、昭和三〇年ころには坑内間接員全員に防じんマスクを貸与することとした。坑外作業員に対しては、昭和二八年ころからチップラー担当者に、昭和三〇年ころから同三二年にかけてはその余の坑外作業員にそれぞれ防じんマスクを貸与することとした。

2昭和三一年六月一五日、北松鉱業所では防じんマスク貸与規程を制定した。右規程によると、各鉱労務係において台帳を作つてマスクを貸与し、六か月に一度外観検査をし、一年に一度交換すること、不良となつたものは本人の申出により随時交換すること、保安課、各鉱保安主任はマスクの使用箇所、使用状況を把握、検討することとされていた。

昭和三六年四月一〇日、右規程は改正され、マスク貸与の対象を、じん肺対策委員会が必要と認めた職種とすること、貸与の期間は、当該業務に従事する間とするが、貸与の日から一年を経過し、防じん効果の低下した場合は、無償で交換すること、マスクの貸与を受けようとするものは、借用願を勤労課に提出し、保安課がマスクを交付することとした。

以上の取扱いは伊王島鉱業所でもほぼ同様であつた。

3被告が採用した防じんマスクは当初は重松製及び川崎機械工業製のものであつたが、その後重松製とサカヰ式(興進会研究所製)に次いでサカヰ式のものに統一され、昭和三七年ころからは静電炉層マスクであるサカヰ式一一七号(二級合格、塵効率86.6パーセント、吸気抵抗4.2ミリメートル)を採用した。

昭和三六年六月一日付の調査結果では、北松鉱業所では重松式DR5型(H4((国家検定高濃度試験第四種合格、すなわち吸気抵抗五ミリメートル以下、じん効率六〇パーセント以上の性能であることを意味する。以下同趣旨)))八個、同DR35型(H3、吸気抵抗八ミリメートル以下、じん効率七五パーセント以上)一〇一個、サカヰ式17P型(H2、吸気抵抗一二ミリメートル以下、じん効率九〇パーセント以上)六一一個、同C型(H2)二七個、同33B型(H3)一〇六三個を、伊王島鉱業所では、重松式NO2型(H3)三一個、サカヰ式16P型(H3)五六一個の防じんマスクを管理していた。

4しかしながら、右の防じんマスク貸与の方針は必ずしも徹底されず、現実には防じんマスクの貸与を受けるべき対象者でありながらその支給がなされないままになつていた作業員もあり、防じんマスクの交換については、これが周知されていなかつたため、労務係にその交換を申出る者はまれであつた。また防じんマスクを貸与されても、当初の防じんマスクは短時間のうちに粉じんで目づまりし、洗浄を要するなど取扱いに不便であつたこと、これらの点を含め徐々に改良がなされたが、なお防じんマスクには通気抵抗を伴うことは避けられず、特に硬積み等の激しい労働の際は呼吸が苦しくなり、熱さのため防じんマスクを装置することが苦痛であつたこと、更に作業員において、防じんマスクにより粉じんを吸入するのを防止することの重要性の認識が薄かつたこと等のため、防じんマスクを装置しない作業員も少なくなかつた。このような防じんマスク使用の実態に対する被告の指導、監督も十分ではなかつた。

六発破作業

1被告は、掘進作業の発破につき、上り発破、昼食時発破を指導していたが、作業条件、進行程度により、上り発破、昼食時発破は困難となることが少なくなく、掘進作業は一連の工程であるため、いつたんこのサイクルが崩れると、作業員数を調整することもあつたが、再び上り発破、昼食時発破に戻すのは現実には容易ではなかつた。

2被告は、発破後の有害ガス、硝煙吸入防止のため、発破の煙が通過するまで進入しないよう指導していたが、作業員は作業能率をあげることに専心し(直接員の給与は請負給が主たる部分となつていた。請負給は標準作業量制度を前提とするものであつて、被告においてもこの制度を採用しており、原告ら元従業員がこのために仕事に精励したことは認められるけれども、その標準作業量の設定は賃金協定書の中で決められていることであるので、そのこと自体に安全配慮義務の不履行を疑わせる事情を見出しがたい。むしろ問題のはじん肺(けい肺)防止に関し意識が薄かつたことにあり、ひいては後述のじん肺教育にかかつているものである。)未だ粉じんが排出されないうちに作業現場に進入することは少なくなく、この点についての被告の指導、監督は十分ではなかつた。

七健康診断

1一般健康診断

被告は、昭和二二年労働基準法施行後、同法(但し昭和四七年法律第五七号による改正前)所定の健康診断を実施した(右以前については不明である)。しかし右健康診断は、レントゲンは間接撮影である等のその検査内容からして、じん肺患者の発見は容易ではなく、特に初期のじん肺罹患者の発見は困難であつた。

2じん肺(けい肺)健康診断

(一) 被告は、後記のとおり、昭和二四年までの間、炭鉱従業員のじん肺罹患のおそれを全く認識しておらず、当然のことながらじん肺患者発見のための健康診断を実施したことはなかつた。この間の本件各坑の従業員についてのじん肺罹患に関する資料も存しない。

(二) その後、昭和三〇年までの間、被告は本件各坑の粉じん作業に従事する全従業員を対象とする組織的かつ定期的なじん肺健康診断を実施しうる体制になく、現に実施したこともなかつたが、個別的に次のとおりの対策がなされた。

(1) 昭和二五年ころ、被告は、けい肺が結核と関係が深いとの知見を得て、当時結核に罹患していた従業員のうち、鹿町鉱南坑所属の従業員二名につき、三井山野鉱業所の産業医学研究所に診断を依頼したところ、けい肺、結核合併と診断された。右診断をもとに労働基準局に申請したところ右二名については昭和二六年春、けい肺と認定された。

その後昭和二七年までに、けい肺を疑われた者につき労働基準監督署に申請し、矢岳鉱所属の二、三名の者がけい肺と認定された。

(2) 昭和二七年秋、北松鉱業所において労働省の巡回検診が実施され、作業歴一〇年以上の掘進夫及び作業歴一五年以上の採炭夫を対象に検診が実施された(昭和二八年一月一二日付で一七名の従業員がけい肺と認定されたのは右検診の結果に基づくものと推認される。)

(3) 昭和二八年三月、被告は、けい肺対策に資するため、山岸慈恵医科大学教授を北松鉱業所に招き、鹿町一坑(当時の一坑に含まれる坑の範囲は明らかでない)七五〇名、矢岳鉱九九二名の間接レントゲン写真読影(うち八二名につき後日直接レントゲン撮影し、同教授に提出することとなつた)、既にけい肺認定を受けた一三名とじん肺を疑われた九名についての精密健康診断等が実施された(その結果は不明である)。

(4) その後昭和三〇年までの間、けい肺を疑われた者について労働基準監督署に申請し、二ないし三名の従業員がけい肺と認定された。

(三) 昭和三〇年九月一日けい特法施行後被告は、同法三条所定のけい肺健康診断(就業時診断、定期診断等)を実施した(但し、同法附則三項により初回のけい肺健康診断等は都道府県労働基準局長が行つたため被告の実施にかかるのは昭和三三年からであつた。)。昭和三〇年度及び同三一年に北松鉱業所で実施した右診断の結果、鹿町鉱(本部を含む)では第一症度二〇名、第二症度二名、第三症度三名、矢岳鉱では第一症度八一名、第二症度一五名、第三症度六名、第四症度三名、小佐々鉱では第一症度一二名、第二症度一名、第四症度一名、神田鉱では第一症度二五名、第二症度四名、第四症度二名、御橋鉱では第一症度四九名、第二症度四名、第三症度二名、第四症度一名がそれぞれ認定された。

伊王島鉱業所では昭和三一年のけい肺健康診断の結果二名の有所見者が認められた。

(四) 昭和三五年四月一日旧じん肺法施行後被告は、同法七条ないし九条所定のじん肺健康診断(就業時診断、定期診断、定期外診断)を実施した(その結果は不明である。)。

3  診断の結果の通知

右けい肺健康診断及びじん肺健康診断の結果、けい特法、旧じん肺法所定の労働基準局長からのけい肺症状区分、じん肺管理区分の決定通知があつたときは、被告は、労務係を通じて、文書でこれを各本人に通知していた。しかし、右通知の際の当該従業員に対する健康管理を含めたじん肺教育は十分ではなかつた。

八配置転換

1被告は、配置転換を促進するため、配置転換した者に対し次のとおりの配置転換手当を支給することとした。

(一) 昭和二八年五月、被告は「珪肺症患者取扱内規」を定め、新珪肺措置要綱に基いて配置転換した者につき、(イ)坑内直接夫から坑外夫への転換の場合、平均賃金五〇日分、(ロ)坑内直接夫から坑内間接夫への転換の場合、平均賃金二五日分、(ハ)坑内間接夫から坑外夫への転換の場合、平均賃金二〇日分の手当を支給することとした。

(二) 被告は、昭和三〇年一二月二七日、日鉱鉱業九州地方労働組合連合会(日鉄北松労働組合、日鉄伊王島労働組合の上部団体)と「けい肺協定」を締結し、右協定に従い、けい特法により配置転換をさせるにつき、右(イ)の場合平均賃金九〇日分、(ロ)の場合、平均賃金四五日分、(ハ)の場合、平均賃金三〇日分の配置転換手当(同法による転換給付を含む)を支給することとした。

(三) 被告は、昭和三三年一月一六日、「職員けい肺患者の身分、給与特別取扱内規」を定め、職員(準職員を含む)に対し、右(二)と同様の配置転換手当を支給することとした。

(四) その後、昭和三六年二月一〇日、前記労働組合と、「じん肺協定」を締結し、旧じん肺法による配置転換につき、前記(イ)の場合、平均賃金九〇日分、(ロ)の場合、平均賃金五〇日分、(ハ)の場合、平均賃金四〇日分の配置転換手当(同法による転換手当を含む)を支給することとした。

2けい特法施行前、本件各坑において、珪肺措置要綱、新珪肺措置要綱に基づき、配置転換を要するとされた者の存否、人数等は不明であるが、前記珪肺患者取扱内規実施前に、二名の者が配置転換していた。右の者を含めて、昭和二〇年代に北松鉱業所所属の各坑で坑内直接員から坑外夫または坑内間接員に配置転換されたのは数名にすぎなかつた。

3前記のとおり、昭和三〇年、同三一年に実施されたけい肺健康診断の結果、北松鉱業所所属従業員のうち第二、第三症度該当者は三七名であつたが、昭和三三年一〇月一一日までに配置転換が実施された者は六名であり、被告は、その余の第三症度のもの七名を坑外作業に、第二症度のもの一二名を粉じんが極めて少い坑内作業へ転換を要するものとしたが、仕繰、坑内間接夫に作業転換した者はあつたが、従前の作業に従事したものも少なくなかつた。

その後も配置転換を要する者に該当しながら、掘進、採炭作業から仕繰作業に転換した者はあつたが、坑外作業、粉じんの極めて少ない坑内間接作業に転換した者は少なかつた。

4右のとおり、配置転換が必ずしも円滑には実施されなかつたのは、珪肺措置要綱以来の法令、通達上も、強制的に配置転換を実施することは許されないとされていたところ、従業員にとつては慣れた職を換わるのは苦痛であり、配置転換による収入の減少は配置転換手当によつても補いえないため、容易には配置転換に応じないことにもよつていたが、従業員が配置転換を勧められても、じん肺罹患の事態の深刻さを認識しえないでいたため、配置転換の重要性、必要性を認識しえないでいたこともその要因となつていた。

九じん肺教育等

1保安、衛生に関する体制

前記のとおり、通気、戸樋口撒水、大肩噴霧、発破作業方法、当初の防じんマスク支給等の保安、一般衛生に関する対策のうちには、同時にじん肺防止対策に資するものが含まれていた。その体制についてじん肺対策に関することがらを中心にみると次のとおりであつた。

(一) 被告本社

勤労部(昭和二九年九月までは総務部)は従業員の処遇に関する事項を所管し、けい肺・じん肺の健康診断、教育および関係法規の研究指導を担当した。環境保安部(昭和三八年一二月まで保安課、昭和四七年一〇月まで保安部)は保安に関する事項を所管し、遊離けい酸含有率の分析の指導、粉じん測定技術の指導、けい肺・じん肺についての教育、湿式さく岩機・防じんマスク等の紹介・指導を行うと共に撒水状況、通気状況、湿式化の状況、防じんマスクの状況等を検査し、あるいは報告させ監督指導を担当した。

(二) 北松鉱業所

(1) 本部総務課と勤労課はけい肺・じん肺問題に関しては、健康診断の実施、有所見者の健康管理、配置転換、教育啓蒙等を担当し、同保安課は、本社保安課と連絡をとり、保安の確保に努め、けい肺・じん肺問題に関しては、防じん対策の研究指導、監督、教育、遊離けい酸分析考察、粉じん測定の実施考察を担当した。

(2) 各鉱総務係(昭和三六年ころまでは労務係)は、けい肺・じん肺健康診断の実施、有所見者の健康管理、配置転換およびけい肺・じん肺の教育啓蒙等を担当した。

係員(技術助手を含む)は職制の末端において生産上の職責を荷うと共に、保安技術職員として保安上の職責を負い、現場における作業員たる鉱員の指揮監督教育、防じん対策の実施を担当した。

(3) 被告設立以来、各坑に安全委員会が設けられていたが、鉱山保安法に基づき、鹿町、神田各炭鉱に保安委員会を設け、安全委員会をその支部会に位置づけた。保安委員会及び安全委員会は、労使双方の委員で構成し、毎月一回開催され、鉱山保安監督局、本社及び毎月安全委員会の実施する保安検査結果についての協議、法規改正の伝達、通達事項の伝達、マスク等の保安用保護具の紹介、散水の状況、湿式さく岩機の使用等につき協議した。

(4) 鉱山保安法制定後、各坑に保安主任を設け、本部保安課と兼務させ、通気を担当させると共に防じん対策のチェック、教育を担当させた。

(5) 昭和三〇年、けい肺協定に基づき、労使双方の委員で構成するけい肺対策委員会(後にじん肺対策委員会)が設けられ、年一、二回開催し、防じんマスク、配置転換に関する事項を審議した。

(6) 病院を置き、本部、各坑に衛生管理者を選任した。

(三) 伊王島鉱業所、柚木事務所におけるじん肺対策の体制は、北松鉱業所におけるとほぼ同様であつた。

2教育体制

(一) 作業員教育

被告は、新採用者に対しては、「坑内での心得」等の教育資料により、通気、防じんマスク、発破後進入等に関する教育をした。

また、作業員には、同様の事項について規定した「保安規程抜粋」「炭鉱労働者保安心得」、各職種毎に作られた「作業手順書」等の資料を配布、回覧した。

変化

じん肺の

区別

通常型じん肺

急進型じん肺

吸じん量

多量

超大量

吸じん期間

比較的長期(一〇年以上)

比較的短期間(一―五年ないし一〇年以内)

粉じん巣の

分布

塊状巣は主として肺の後上部

塊状巣は肺の前、下部にも発生

肋膜変化

末期部分的

早期全般的

肺胞内変化

間質変化に付加

早期から広い肺野に発生

肺気腫

末期に著明

著明な気腫発生以前に、肺性心、結核、肺炎等により死亡

発破関係の炭則三八条所定の「有資格者」は、発破、防じんマスク等所定の教育を受けた者であつた。

作業員教育の方法として被告が最も重視したのは、係員による現場での機会教育であり、繰込場または作業現場での有付(当日の作業の割当)時等を利用して、繰返し、かつ工夫して作業員を教育することとし(被告はこれを「五分間教育」と称していた。)、作業員教育の中心とした。

(二) 係員教育

右のとおり、作業員教育の主たるものは係員によることとなつていたことから、係員教育が必要であつた。係員は前記有資格者のうちから任命されていたが、係員教育の主たるものとして職場会議(毎月一回程度、係別に全係員が集まつて開催された。)、係員会議(毎週一回、各方別に開催され、作業実績、作業計画等の連絡のほか、保安関係事項の検討、教育資料の配布がなされた。)があり、他に講習会、研究会に出席させ、報告会を開く等の方法もとられた。

係員教育は各係長、保安主任等の各主任らが担当し、鉱山保安法、炭則等の法規の制定、改正時にはその教育をした。

(三) その他、「みんなの保安」等の印刷物、ポスター、スライド、講演会、新聞等により、じん肺についての教育、啓蒙を図つた。

3じん肺教育

被告は昭和二四年末ころまで、石炭鉱山におけるじん肺発生を全く認識しておらず、昭和二五年八月の炭則改正の際の遊離けい酸分についての区域指定に関する教育が被告のじん肺教育の初めてのものであつた。その後前記のとおり、昭和二五年頃被告の従業員にけい肺の診断を下された者が生じ、爾後同様の診断を下された者が出たことに加えて、前記認定のとおり(第二)昭和二八年から同三一年まで鹿町鉱西坑、神田鉱神田坑、鹿町鉱本ケ浦坑、矢岳鉱矢岳坑、伊王島鉱業所伊王島坑と相次いで炭則上のけい酸質区域の指定を受けるなどしたことから、被告において、けい肺に関する意識が高まりけい肺教育に力を入れるようになつたものの、炭粉の危険性を認識するに至つたのは昭和三〇年代前半においてであつて、その後も含めて、被告のじん肺教育の内容の進展は、ほぼ関係行政法令の制定、改正の経緯と軌を一にするものであつた。

被告が石炭鉱山におけるじん肺発生の危険性を認識して以降も、じん肺教育について格別の方法がとられたわけではなく、従来の保安、衛生教育についてと同様の教育方法がとられていたが、とくに被告の重視した五分間教育による作業員に対するじん肺教育は現実には甚だ不十分なものであり、その他の前記の方法によるじん肺教育も効果的ではなかつた。

そのため、作業員のじん肺についての理解、防じん対策の重要性の認識は、徐々に浸透していつたものの、じん肺(けい肺)教育の効果は前記のじん肺対策の実態にみられるとおり、極めて不十分なものであつた。

一〇以上認定の事実を総括すれば、次のように言うことができる。

けい肺が石炭鉱山に発生することを被告において認識したのは早くとも昭和二五年頃であるので、本件安全配慮義務の不履行を検討するために、この時点の前後を区別することとする。

1昭和一四年五月から同二五年頃まで

被告の設立時である昭和一四年五月から炭則上けい酸質区域指定の改正があつた同二五年前後頃までは、被告はけい肺を含む炭肺ないしじん肺についてこれが石炭鉱山に発生するという認識がなかつたのであるから、当然これらの防止を目的とした措置を何ら講じなかつたこととなる。

しかし、被告は右期間においても少なくとも炭じん爆発防止のために炭じんの発じん防止及びその迅速な坑外排出のための通気の保全等の措置を講じたこと、そのうち発じん防止のための措置としては昭和二三年頃より主として採炭切羽や戸樋口又は捲立てにおける撒水、大肩の噴霧をしたこと、さらに、一般衛生的見地から通気の保全に配慮したこと、昭和二四年ころ以降一部の直接員に防じんマスクを支給したことを指摘することができる。

それゆえ、右期間中においては、被告は石じん等の炭じん以外の粉じんの発生防止、したがつて少なくとも掘進現場における撒水等の措置、防爆目的を越える程度の炭じん発生防止の措置、右以外の者に対する防じんマスク備付・貸付・着用督励・防爆・一般衛生目的の程度を越える通気の保全、発破後粉じん回避等の労働条件の改善、けい肺を含む炭肺防止のための健康診断、これに伴う配置転換、職場離脱の勧告及び補償、けい肺を含む炭肺防止のための教育といつた本件安全配慮義務を履行しなかつたこととなる。防爆又は一般衛生的見地からとつた前記の措置が副次的に本件安全配慮義務の一部の履行をした結果となる限度において、これを履行したにすぎないものといわなければならない。

防爆目的とけい肺を含む炭肺ないしじん肺防止目的とでは単純な比較は許されないとしても、少なくともじん肺対策が防爆対策よりもより入念な撒水、噴霧その他の防止じん措置を必要としたはずである。

そして、さらに、防爆対策のみの場合とじん肺防止対策がこれに加わる場合と比べると、作業員が対策実施に向う意欲は後者の場合より強く発現されることは経験則上明らかである。じん肺(けい肺)教育不足がこれに加わつたことにより、じん肺(けい肺)防止の対策が不十分となる結果となつた。

2昭和二五年頃から同四七年まで

被告は昭和二五年頃けい肺が石炭鉱山にも発生することを知つて以後は、行政指導、監督及び法令の動きに従つて、すでに防爆等別の目的のために実施している対策の流用を含め、けい肺を含む炭肺ないしじん肺防止のための相応の措置をとる方針をその都度定めて来たけれども、実際にはとくに末端においては必ずしも十分に方針どおり実施されず又実効をおさめなかつた。

それゆえ、その限度では本件安全配慮義務を履行したことになるけれども、右のとおり実施した方策が結果において不十分であるうえ、前記のとおり、行政法令、行政指導、監督は安全配慮義務の上限を画するものではないので、これに従つたからといつても本件安全配慮義務を尽したとはいえないので、この両面において不十分な義務履行しかしなかつたこととなる。

第六  因果関係

被告の前記安全配慮義務の不履行により原告ら元従業員がじん肺に罹患するに至つたのか否かについて検討する。

前認定のとおり(第三)本件各坑における掘進、採炭、仕繰、坑内外運搬、豆炭、コークス製造等の各種作業が防じん措置を施すことなしには粉じんが発生するということ、別紙9個別主張・認定綴・第一綴所掲の原告ら元従業員が(同別紙9の第二綴所掲の原告ら元従業員については同人らに関する請求権は後記認定判断のとおり(第八)消滅時効にかかつているので、この項においては判断を省く)、同所掲の「第三、当裁判所の認定」記載のとおり本件各坑における右各種作業に従事したこと、前認定のとおり(第五)被告が安全配慮義務を十分に履行しなかつたこと、右別紙9第一綴「第三、当裁判所の認定」記載のとおり原告ら元従業員がじん肺に罹患したことが認められる場合には、特段の反証がないかぎり、被告の安全配慮義務の不履行により本件各坑において粉じんが発生し、原告ら元従業員がこれに曝露してこれを吸入し、そのためにじん肺に罹患したということが、推認されるものというべきである。

なるほど、証人坂木英喜、同西田喜多雄、同金子寿男、同藤田光生、同鴨川純一郎、同深川佳晄、同深山慶生、同正法地直人、同橋口良治、同永井栄一、同萩尾稔及び同渡部能和の各証言中には、共通して、本件各坑には滴水、降水、出水が多く、全般に湿潤であり、加えて、被告は通気を保全し、切羽、戸樋口、捲立ての撒水及び必要により大肩の噴霧を実施し、湿式さく岩機も使用していたために坑内の空気は清浄であり、粉じんがあつてもその程度は僅かであつた旨の証言があるけれども、<証拠>に照らしてにわかに採用しがたいので右証言を右推認を妨げる証拠とはなしえず、他に右認定を左右する証拠は存しない。

又、安全配慮義務の中には、粉じんの発生があることを前提として、その上でのじん肺の早期発見、早期治療等の対策を内容とするものがあるが、前記認定(第三、第五)の事実にもとづいて考えると、これらの安全配慮義務の不履行のため右原告ら元従業員のじん肺の早期発見、早期治療等の対応が不十分となつて、その病状が重篤なものとなつたことが認められる。

第七  有責性

有責性が存しない旨の抗弁について判断する。

石炭鉱山におけるけい肺を含む炭肺に関する医学的知見の骨格となる部分が被告設立時の昭和一四年五月頃すでに存したこと、さらにこれを防止するための撒水用導管の敷設及び湿式さく岩機の使用が同様に右の頃に可能であつたこと、そして以後重点のおきどころに若干の差があるにしても中心となる内容は変わることなく、むしろ深化、発展して旧じん肺法施行の昭和三五年に至りその後本件各坑の閉山時までに及んでいることは前記認定のとおりであるので、右各知見の存在ないしは不十分を前提とする有責性不存在の抗弁は採用しえない。

なるほど被告主張のわが国の鉱業に関する法制の沿革及び粉じんの防止に関する法的規制の変遷に関する主張(抗弁第一、四)のうち法令、行政指導、監督の内容に関する主張事実(その評価を除く。かつ右事実中鉱警則に「けい肺ないしじん肺の予防に関し何ら見るべき規定はなかつた」旨の主張事実を除く。この点については昭和四年の改正により付加規定されたことは前記認定のとおりである。)は公知の事実として認められるけれども、その事実の存在は右認定を左右するに足りない。

ただし、<証拠>によると、被告設立時の前年である昭和一三年から同二〇年八月の終戦日まで国家総動員体制が続き、その体制下に石炭鉱業が種々の統制を受け、とくに終戦に近づくにつれて物的、人的資源に窮乏を強いられたこと、及び、終戦直後からほぼ昭和二二、三年頃までわが国の全国民、全企業が戦後の混乱にあえいだこと、並びに被告も石炭鉱業を目的とする企業の一つとして右の例にもれなかつたことが認められ、これら事実にもとづいて考えると、本件安全配慮義務の履行が著しく困難であつたことが認められるけれども、このことをもつて安全配慮義務の履行につき期待可能性がなかつたとはいえず、被告は右不履行の責任を免れない。このような事情は慰謝料算定の一事情として考慮されるにすぎない。

第八  消滅時効

本件損害賠償請求は雇傭契約から信義則上生じる安全配慮義務違反による損害賠償の請求である。すなわち、雇傭契約上被告は本来の給付義務として賃金支払債務の他、労働場所提供の債務をも負つていたところ安全性に欠ける労働場所を提供し、その他安全配慮義務を履行しなかつたために原告ら元従業員がじん肺に罹患して健康障害等の損害を受けた、というものである。右安全配慮義務は本来の給付義務に附随するがその内容を成すものではない。このような場合には右安全配慮義務の不履行は積極的な債権侵害として本来の給付義務の不履行の場合と異つて理解すべきであり、右安全配慮義務不履行による損害賠償請求権は本来の給付義務と共に消滅するものと解すべきではない。さらに、本件にそくして実質的にみるに、後記認定のとおりじん肺はその発症まで長期の潜伏期間があり、一定の程度に至つた病状は治ることなく進行するものであることを考えると、遅くとも本来の給付義務の履行請求可能な最終的である退職時から時効期間たる一〇年以上経過したのちに発症したときは、損害賠償請求権の行使の機会は全く失われることとなる。したがつてこのような具体的妥当性の観点からも右安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権が本来の給付義務と共に消滅すると解すべきではない。

しかしながら、本件損害賠償請求権は債務関係上の損害賠償請求権であるので民法一六六条、一六七条の適用を受けるものと解すべきである。それゆえ、権利行使の可能な時をもつて時効の起算点とすべきである。すなわち、それは権利行使をするにつき法律上の障害がなくなつた時と解すべきところ、本件にそくして言えば損害が発生したことを債権者において認識し又はその可能性がある時と解することができる。

ところで損害が発生しこれと牽連一体をなす損害で、当時すでに予見することが可能なものについては、その範囲にある損害について権利行使が可能であるので時効が進行するものというべきであり、このことは損害が進行し、拡大する場合も右の範囲内に含まれる限り同様であると解すべきである。

これを本件についてみるに、<証拠>を総合すると、原告ら元従業員(後記田中重信を除く)がじん肺に罹患したことを確定的に認識するに至つたのは、じん肺(けい肺)に関する行政上の決定(旧じん肺法上の健康管理区分決定、新じん肺法上のじん肺管理区分の決定)を知つた時であり、かつ、少なくとも各人にとつて最も重い各行政上の決定を知つた時にはすでにじん肺(けい肺)についての知見が原告ら元従業員間にも普及し、じん肺(けい肺)に罹患すれば死に至るかもしれないとの認識があり、又、その認識が可能であつたことが認められる。したがつて、原告ら元従業員が口頭弁論終結日から遡つてみて各人にとつて最も重い行政上の決定を受けた日、すなわち最終行政決定の日をもつて死亡を含む損害について予見可能であつたとみるべきであり、右各行政上の決定の日又はその通知書の日付のいずれか遅い日をもつて一〇年の時効の起算日とすべきである。

<証拠>によると、別紙7消滅時効一覧表(当裁判所の判断)所掲の原告ら元従業員については、右の最も重い行政上の決定(最終の行政上の決定)の日又はその通知書の日付のいずれか遅い日は同紙7記載のとおりであることが認められる(ただし、原告田中千代子本人尋問の結果によると、田中重信は死亡に先行する入院中にすでに死に至るかもしれないじん肺罹患の事実を知悉していたこと、同人がじん肺により死亡したことが認められるので、死に至るであろうじん肺に罹患したことを確定的に認識したのは遅くとも死亡の日というべきである。)。そして、被告が本訴において右の者について消滅時効を援用したことは当裁判所に顕著な事実であるので、右の各日から一〇年を経過した後に本件第一及び第二次事件の訴えを提起した右原告ら元従業員に係る損害賠償請求権は消滅時効により消滅したものといわなければならず、それは右別紙7記載のとおりである。なるほど右の原告ら元従業員中、最終の行政上の決定の日又はその通知書の日付が昭和三五年前の旧じん肺法施行前の者(谷村清助、早田勝、松尾愛義)又その直後である者(岳野音松、谷村仁太郎、西宮美好)が含まれているので、同人らがけい肺を含む炭肺ないしじん肺が死に至る病気であることを当時認識しえなかつた旨の反論が予想されるけれども、仮に右反論が正しいとしても、前掲の証拠によると遅くとも本件第一、二次事件の訴え提起の日から遡つて一〇年前頃には右認識は可能であつたものと認めることができるので、いずれにしても右の者に関する損害賠償請求権は消滅時効にかかるものと言わなければならない。

その余の原告ら元従業員については、右の各人にとつて最も重い行政上の決定の日は別紙9個別主張・認定綴・第一綴「第三、当裁判所の認定」記載のとおりであり、本件各事件の訴え提起の日から遡つて一〇年未満の日であることが明らかであるから、同人らに関する損害賠償請求権は消滅時効にはかからない。

そこで進んで消滅時効の援用権の濫用について検討する。

損害賠償請求権の消滅時効の援用が権利濫用に当るというには、債権者が訴え提起その他時効中断の挙に出ることを債務者において妨害し若くは妨害する結果となる行為に出た場合、又は債権者と債務者とが近親者等特殊な関係にあるため債権者に時効中断の挙に出ることを期待することが酷である場合など債務者が債権者において時効中断の挙に出なかつたことをもつて消滅時効を援用することが時効援用権について社会的に許容された限界を逸脱するものとみられる場合でなければならず、たんに時効にかかる損害賠償請求権の発生要件該当事実が悪質であつたこと、被害法益が重要でかつ被害が甚大であつたことは右時効援用権濫用の要件を構成しないものといわなければならない。

これを本件についてみるに、原告の主張する事実中提訴妨害の事実は検討に価することであるが、その余の事実はいずれも損害賠償請求権の発生要件該当事実が悪質であつたことに関わることであるので、時効援用権濫用の成否の判断のために考慮すべきことがらではない。

そこで、右提訴妨害の事実について検討するに、原告の主張中には、原告らが被告の職員から本件提訴前において提訴断念等の働きかけを受けた旨の主張はあるが、そのために提訴が妨げられ、ひいて消滅時効期間を徒過するに至つた旨の主張はみられず、又、本件全証拠を精査しても右提訴妨害により提訴が遅れたため消滅時効期間を徒過したことを認めることはできない。

その他、本件において消滅時効援用権の濫用に該当する事実は認められない。

以上の次第で、消滅時効援用権濫用の再抗弁は採用しえない。

第九  損害

別紙9個別主張・認定綴・第一綴所掲の原告ら元従業員(以下、「原告ら元従業員」と記すときは、これらの者を指し、同別紙第二綴記載の原告ら元従業員を含まない。これらの者に関する請求権は消滅時効にかかるので以下の判断を省く。)は、被告の前記債務不履行によつて、それぞれじん肺に罹患して損害を受けたと言うべきであるから、被告は右債務不履行によつて生じたじん肺によつて原告ら元従業員の損害を賠償すべき義務を負う。そこで以下損害額について検討する。

一じん肺の病像

1じん肺の病理

(一) 改正じん肺法二条一項一号は、じん肺を「粉じんを吸入することによつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう」とし、これについて労働基準局長通達(昭和五三年四月二八日基発第二五〇号)は、

「第一項第一号の『じん肺』とは、粉じんの吸入によつて肺に生じた線維増殖性変化を主体とし、これに気道の○ママ性炎症性変化、気腫性変化を伴つた疾病をいい、一般に不可逆性のものであること。

なお、じん肺有所見者にみられる肺気腫及び肺性心は、一般に、これらのじん肺病変が高度に進展した結果出現するものであること。

第一項第一号の『粉じん』とは、空気中に含まれる非生物体の固体粒子をいい、ヒュームも含まれるものであること。」

としている。

甲第六号証(争いがない)によると、右の定義は臨床病理学的に

「じん肺とは不溶、難溶の粉じんの吸入によつて、胸部X線写真に粒状、線状、輪状等各種の不整形陰影が現われ、進行に伴つて肺機能障害を起こし、肺性心にまで至る。剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、細気管支炎、肺気腫等を認め、血管変化を伴う肺疾患である。」

と言うことができることが認められる。

(二) 甲第一号証(争いがない)によると、その病理機序について次のように説明できることが認められる。

「吸入された粉じんは一部は気管支に付着し、気管支粘膜の上皮細胞の線毛のはたらきで痰にまじつて再喀出されるが、肺胞内に達すると壁から出てくる喰細胞がこれをその体内にとりこむ。粉じんをとつた細胞は肺間質のリンパ管に入り、リンパ腺に運ばれて、ここに蓄積される。けい酸ではリンパ腺にたまつた粉じんはさらにリンパ腺の細胞を増殖させ、その結果細胞がこわれて膠原線維が増加してくる。粉じんのために異常に多量な線維が出来てくると、その部の本来の機能は失われることになる。線維でおきかえられたリンパ腺には本来のリンパ腺の機能であるリンパ球の生産、害物の解毒、免疫体産生はもはやおこなわれない。

リンパ腺がこのように閉塞されてしまうと、そのあとでの吸じんは、肺胞腔内に蓄積することになるが、こうなると肺胞壁がこわれ、そこから線維芽細胞という線維をつくる細胞が出て来て、肺胞腔内にも線維が出来、かたい結節が出来てくる。これがけい肺結節であるが、他の粉じんはけい酸にくらべてリンパ腺に行きにくいものが多く、はじめから肺胞腔内の変化を主体とするものがある。これらがじん肺結節である。

じん肺結節の大きさは0.5〜5mm以上にわたるが、吸じん量が増加するほど大きさも数もふえて行き、最後には融合して手拳大の塊状巣をつくる。結節が増大するということは、その領域の肺胞壁が閉塞することであり、塊状巣のなかではかなり大きな気管支や血管も最後には狭窄したり、閉塞したりする。

このような粉じん変化の進行につれて、気管支変化も必発である。臨床的に気管支炎がなくとも、細小気管支腔は狭くなつて、呼気時気道の抵抗が大きくなつて、末梢の肺胞壁に負担がかかり、次第に壁がやぶれて、肺胞腔は拡大する。これが肺気腫であつて、正常の肺胞の直径は0.3〜0.5mmであるのに、一mmをこえ一〇mm以上時には一〇〇mmにも達する。

気腫壁にはほとんど血管を欠いているから空気が入つて来てもガス交換を行いえない。つまり、機能のない肺胞で、その点では粉じん巣と同じである。しかもこの変化も粉じん巣同様不可逆性である。

じん肺では粉じん巣、肺気腫、これらにともなう血管変化は不可逆性であり、肺気腫のもとになる気管支変化、気管支炎は初期には治癒させることが出来る。」

(三) 甲第一、六号証(前掲)、検証の結果(スライドフィルム、肺の切片標本)によると、じん肺の種類、形態、病理発生及び粉じんの有害性の考え方は次のとおりであることが認められる。

(1) 種類

「けい肺(典型けい肺、非典型けい肺、急進けい肺)石綿肺

けい酸塩肺(滑石肺、蝋石肺、ベントナイト肺、けい藻土肺、硫化鉱肺)

金属じん肺(溶接工肺―酸化鉄肺―、金属アルミニウム肺、アルミナ肺、硫化焼鉱肺)

炭素じん肺(炭素肺、黒鉛肺、活性炭肺)

有機じん肺(線香肺、穀粉肺、木工じん肺、綿工場じん肺)」

(2) 形態

「粉じんによる肺領域の変化は、粉じん蓄積部(粉じん巣)の線維化のみでなく、気管支炎、細気管支炎、肺胞壁変化、これらに伴う肺気腫、細気管支拡張等の気道変化が重要であり、これらの変化の進展は間質内と肺胞腔内を問わず、血管の狭窄、閉塞による循環障害をもたらす。このような形態学的変化を、次のように三大別すると、X線所見と肺機能の変化によく照合する。

① 大結節粗在じん肺(典型けい肺)

けい肺は血管、気管支周囲間質に移行し易く肺内の結節は大きいが粗在する。X線に現われ易いが、肺機能低下は遅れる。

② 小結節密在じん肺(非典型けい肺、けい酸塩肺、金属じん肺、炭素じん肺など)

間質に移行しにくい粉じんは、粉じん巣が小さく、線維化も弱いが、密在し、局所気腫を伴い易く、X線に現われる陰影量は少ないが、肺機能の低下は比較的早期から現われる。(1)(2)は呼吸細気管支梢以下の間質、肺胞腔内の変化である。

③ 粉じん性細気管支炎を主とするじん肺

石線肺、線香肺、線工場じん肺、木工じん肺等大型粉じんを混合するものは細気管支炎を起こし易い。その結果、無気肺巣と細気管支拡張を生じ、滑平筋増殖が強く、線維化も伴い、上皮の異常、異型増殖が著明で、しばしぼ発癌の母地となる。」

(3) 病理発生

吸じん量、吸じん期間と肺変化の関係から、次のとおり、通常型じん肺と急進型じん肺に分けられる。

(4) 粉じんの有害性の考え方

「粉じん巣の線維化が強いほど粉じんの害性が強いとする考えは、組織単位的、形態的、部分的で現実の有害度と一致しない傾向がある。

粉じんの有害性は、粉じん巣の増数、増大、ゆう合を促進する因子と気管支病変を増悪する因子に大別され、これらに関連するものとして、粉じんの肺胞内滞留性、線維化の強弱、壊死の強度、気管支刺激の強弱等があげられる。具体的な有害度を設定するためには、各要因を総合し、組織反応量(一定量の粉じんによる変化のひろがりに対応する数値)を参照することが必要で、線維化の強度は害性の一面を示すのみである。

高度有害のものは、壊死の強いもの(滑石、蝋石、硫化鉱等)、線維化の強いもの(けい酸高度含有じん、アルミニュウム等)、気管支変化の強いもの(石綿、アルミニュウム、けいそう土等)である。炭素系じん肺は、線維化も壊死も比較的に弱いために軽度有害と分類されるが、気管支変化、局所気腫の強いものもあり、時に粉じん巣の壊死をも示して、中等度有害と分類されるけい酸軽度含有じん、酸化鉄との区別は困難な点がある。

急進じん肺は、主として短期大量の粉じん吸入によつておこり、臨床所見も病理所見も粉じんによる差が少ない。じん肺の基本共通の病因は粉じんという異物に対する生体反応、すなわち異物炎症の発生である。結局、どの種の粉じんも有害であり、無害、良性のじん肺は存在しない。」

(四) 甲第一、六号証(前掲)、並びに後掲法令通達(公知の事実)によればじん肺の合併症及び全身への影響は次のとおり理解することができることが認められる。

(1) 合併症

じん肺の合併症としては肺結核が最重要であるが、一般的にいえば、じん肺の合併症とは、「じん肺と合併した肺結核その他のじん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる疾病」(改正じん肺法二条一項二号)であり、「じん肺の病変を素地として、それに外因が加わること等により高頻度に発症する疾病等のじん肺と密接な関連をもつ疾病であり、増悪期に適切な治療を加えれば病状を改善し得るものであり、一般に可逆性のものであること。」(昭和五三年四月二八日基発第二五〇号)とされている。

じん肺法施行規則(昭和五三年三月二八日労働省令第九号による改正後のもの)一条は改正じん肺法二条一項二号の合併症を、じん肺管理区分が管理二又は管理三と決定された者に係るじん肺と合併した肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症、続発性気胸としている。

右のとおり、合併症は治療可能なものであるが、じん肺に合併した肺結核は単純な肺結核に比べ一般に難治であるとされている。

(2) 全身への影響

じん肺の全身への影響という点では従来慢性の酸素不足による間接的影響のみが考えられていたが、クロム塩作業者の臨床病理学的研究が進められたことなどから、粉じんの各種臓器への直接の影響が指摘され、研究課題となつている。

又、<証拠>によると、海老原勇は、文献的考察から、じん肺の全身への影響として、胃腸管の疾患、肺に限らない各種臓器の悪性腫瘍(なお、労働省昭和五三年一一月二日基発第六〇八号通達により、管理四相当のじん肺罹患者の原発性の肺癌については業務上疾病扱いとされることとなつた。)、脳血管障害、虚血性心疾患、中枢神経系の障害、腎臓・肝臓・内分泌臓器の障害(肺塞栓等による)、急性死、自己免疫疾患を指摘していることが認められる。

2じん肺の症状

証人佐野辰雄の証言によると、じん肺の基本的な症状は肺機能障害による息切れ(呼吸困難)であり、気管支変化による咳、痰の増加がみられること、けい酸含有率の少ない粉じんによるじん肺の場合は咳、痰の増加が息切れよりも早期からみられ、その後痰が減少し、空咳のみとなること、その後更に期間を経て心悸亢進があらわれることが認められる。

3じん肺による病変の特質

以上認定の事実並びに<証拠>を総合するとじん肺による病変の特質として次の点が掲げられることが認められる。

(一) 不可逆性

前記のとおり、じん肺による病変は不可逆的であり、現在の医学をもつてしては治療は不可能である。

(二) 進行性

肺内に粉じんが存在し続けるかぎり、生体のこれに対する反応は継続する。粉じんによる肺の線維増殖性変化は、粉じんの量に対応する進行であり、無限の進行ではないが、気管支変化、肺気腫は進行し続ける。そのため、粉じん職場を離れた後、長年月を経て初めてじん肺の所見が発現することも少なくない。また、高齢になるほど、加齢による肺気能の低下に加え、粉じんの影響を長期間受けるため、重篤化する。

じん肺の経過は緩慢でも、結核の合併、肺感染の繰返しなどにより死へのテンポは早められる。じん肺そのものは全く不可逆性であるので、進行するものの予後は全く不良である。すなわち、心肺機能障害は乏酸素血症を招来し、その結果全身萎縮をきたし、あるいは心不全より肺性心を招来し、また肺感染症を合併して死亡に至る。

4炭鉱夫のじん肺

<証拠>並びに前記認定(第四)の事実によると次のことが認められる。

炭鉱でも岩石掘進に従事する者には、金属鉱山同様典型けい肺、急進性けい肺が発生する。採炭作業に従事する者も純粋な炭粉を吸入するわけではなく、けい酸は多少とも混入するから、非典型けい肺(炭けい肺)が発生する。

二じん肺罹患に伴う症状及び損害

別紙9個別主張・認定綴・第一綴「第三、当裁判所の認定」欄各記載のとおりである。

三原告らの請求について

原告らは本件各訴状において、原告ら元従業員が生命・身体の破壊、生活破壊、家庭破壊、人生破壊の損害を蒙つたとして、原告らの受けた損害の一部請求として、被害者一人あたり一律金三〇〇〇万円を請求する旨主張した。

次いで本件第一、二次事件に関する第三準備書面(昭和五六年五月一一日第八回口頭弁論期日陳述)において、その請求の趣旨を釈明して、「原告らの請求する損害は、原告らの被つた財産的損害、非財産的損害の総和のうちの一部であり、公害訴訟の経験の中で蓄積された理論である包括一律請求と同じ法的性格のものである。」と述べた。

ところが、第九準備書面(昭和五九年八月二〇日第三六回口頭弁論期日陳述)においては、「じん肺の症状は……〔中略〕……決して治ることなく、日々その症状が悪化していく。比較的軽症に見える患者もその症状を日々悪化させ、いつの日にかじん肺死に至る。じん肺患者は、長期間重篤な肉体的被害、経済的被害、精神的被害、家庭的被害、社会的被害を被る。それらの被害は一般的にいつて肉体的被害が増大するに従い相乗的に増大していくのである。いうなれば、じん肺症の特質と同様に進行性であり不可逆性である。しかも、これらの被害は長期間に相互に密接にかかわりあい、相互の被害を相乗的に高めている。じん肺被害は、本質的に流動的であり、成長的であり、関連的である。このような、じん肺の被害は損害を固定化し細分化し分断することに適さない。じん肺被害は被害そのものを総体としてとらえ、包括的に請求することが科学的である。」「さらにじん肺訴訟の原告らはいずれも重症であり、高年齢者であり、死に直面している。これらの原告が多数参加している本件集団訴訟においては、立証を能率化するため包括一律請求が最も適切である。」「原告らの請求は、以上の通り包括一律請求によるものであり、決して慰謝料一本にしぼつた請求ではない。慰謝料、逸失利益その他一切の損害を包括する請求である。」と主張するに至つた。

しかしながら、債務不履行を原因とする損害賠償請求訴訟においては、損害は主要事実をなすものであるので、債権者は損害費目とその額及びその損害算定の基礎となる事実を具体的に主張し立証する必要があると解すべきところ、原告らは精神上の損害以外の損害については、これにそう具体的主張、立証を行わなかつた。

原告らの本件訴訟における主張、立証の全体から原告らの意思を合理的に解すると、前記の訴訟終了を控えた段階に至つて陳述された準備書面の明言にもかかわらず、財産、生命、身体ないし人格その他一切の損害に共通する精神的損害に対する慰謝料の請求をしているものと解さざるを得ない。

そして、本件において弁護士費用のほかは慰藉料のみを請求するものとして賠償額を算定することとなるが、原告らは財産上の損害については、現在及び将来共、これを別訴提起等によつて請求する意思がないことは原告らにおいて自陳するところであるので、このことをも考慮に入れて慰謝料額を算定する。

次に、債権発生の基礎である契約関係、債務不履行の態様、損害等において多数の債権者に共通する点が存するときは、債務不履行による損害賠償請求の訴えにおいて債権者らは一部請求の方法により最も低い損害額に合わせて一律に請求することができ、裁判所はこれに応じて全債権者につき一律に認容し、又は債権者を共通事実ごとにいくつかの群に区分して各群ごとに一律に認容することもできるものと解すべきである。

これを本件について言えば、以上の認定の事実によれば、原告ら元従業員はいずれも炭鉱を経営する被告に雇傭され、長崎県下(伊王島鉱業所伊王島坑を除き北松地域)に所在する本件各坑に稼働していたこと、本件各請求はいずれも各種作業場における粉じん発生、粉じん吸入防止、罹患者対策の不十分といつた右雇傭契約上の安全配慮義務の不履行により損害を受けたことによる損害賠償請求であること、その各損害はいずれもじん肺という肺疾患を基本とし、その罹患に伴い、生命身体、生活、家庭、人生の破壊を来たして精神的損害を受けたということ、さらに、その損害のいずれについても後記のとおり行政上の管理区分決定がなされ、原告ら元従業員各人につき疾病、症状等の軽重により区分が可能であること、等の共通の事実が存することが認められるのであるから、本件において原告らが右の一律請求をなし、裁判所がこれに応じて判断することができる。

四損害賠償額の算定

当裁判所は損害賠償額算定にあたつて右の行政上の管理区分を重視する。

以上認定の事実にもとづいて考えると次のようなことを指摘することができる。

じん肺については、新旧じん肺法により行政上の管理区分決定制度が設けられ、医師によるじん肺診断の結果に基づく決定申請並びにじん肺診査医の診断及び審査を経てじん肺有所見者と認められた者については、旧じん肺法上の健康管理区分又は新じん肺法上のじん肺管理区分(以下単に管理区分という)が決定され、右管理区分に応じた健康管理の措置が採られ、あわせて労災法あるいは厚生年金法による公的給付がされている。

原告ら元従業員は、いずれも現に肺機能障害を中心とする不可逆性、進行性のじん肺疾患に罹患し、それぞれ各管理区分相応の健康被害を受けている。

いうまでもなく、民事上の債務不履行による損害賠償と行政上の健康管理とはその制度目的を異にするけれども、管理区分は公定の診断方法に従い専門医が診断し、これにもとづいて行政機関が慎重に検討した上で決定したものであるので、その手続においても、その内容においても最も信頼さるべきものといわなければならず、民事上の債務不履行による損害賠償請求事件である本件における賠償額の算定に際して重要な要素として考慮しなければならない。

そして、考慮すべきは、過去に一定の管理区分の決定を受け、これが現在すなわち本件口頭弁論終結日又は死亡日まで継続しているということである。したがつて、原告ら元従業員の一部の者に関する現症の診断書中に軽症化を疑わしめる記載があるとしても、前記じん肺の不可逆性、進行性という特徴及び本件民事上の損害賠償請求が過去の長期に亘るじん肺による苦痛に対する慰謝料請求であるという事案上の特徴にかんがみるとき、その一事をもつて、右管理区分が右損害賠償額算定の要素たる意味を失うことはありえない。

それゆえ、右管理区分に応じかつ各管理区分に属する者には一律に賠償額を算定することが相当である。

次に、前記認定のとおり(第七)、被告設立時である昭和一四年から同二〇年八月の終戦に至るまでの間国家総動員体制下にあり、石炭業界も種々の統制を受けざるをえず、終戦直後から同二二、三年ころまでは戦後の混乱期にあり、じん肺の知見を得又はこれにそう対策を実施することを含め本件安全配慮義務の履行につき著しく困難を来たしたことも賠償額の算定に当つて考慮せざるをえない。

さらに、弁論の全趣旨によると原告ら元従業員は、いずれも管理区分の認定を受け、右管理区分に対応する労災法、厚生年金法上の給付を受けていることが認められる。

その他、以上認定のすべての事情を総合すると、原告ら元従業員の本件じん肺罹患に対する慰藉料額は、本件口頭弁論終結時の管理区分に応じ次のとおりの額とするのが相当である。

1  死亡を含む管理区分4該当者 金二、三〇〇万円

2  管理区分3該当者 金一、八〇〇万円

3  管理区分2該当者 金一、〇〇〇万円

五弁護士費用

本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額及び被告の応訴態度等諸般の事情を考慮すると、各認容金額の7.5パーセントに相当する金額(ただし一、〇〇〇円未満を切捨てた額)が被告の債務不履行と相当因果関係にある損害と認められる。

第一〇  相続

原告ら元従業員中、別紙6相続関係一覧表記載の死亡従業員についての相続関係は、前記認定のとおりであるので、別紙4原告別認容金額一覧表中の遺族原告は、同表認容金額欄記載の金額の請求権をそれぞれ承継取得したと認められる。

第一一  他粉じん職歴等による減額について

本件におけるような安全配慮義務の不履行の積極的債権侵害による損害賠償請求事件においては、債権者が他粉じん職歴を有したとしても、右債務不履行と損害との間に相当因果関係が認められる以上債務者は原則として全損害について賠償の義務を負うけれども、当該職場における粉じんの種類、程度、防じん対策の有無ないし程度、勤務期間、職種等にかんがみ、原告のじん肺罹患及びその病状拡大に作用したとして減額するに価する特段の事由が認められるときは、それが作用した程度に応じて、損害賠償額を相応に減額すべきである、と解することができる。

これを本件についてみるに、別紙10個別主張・認定綴の各綴中の被告主張の欄において被告が他粉じん職歴として主張するものの中、旧じん肺法上の粉じん職場以外の職歴として、伐採、製材、チップ、大工、製紙工、紙の型ぬき、農業、製パン、菓子職、兵役、造園業、倉庫管理、アーチ枠工、ブロック積工等があるが、これらは主張自体からみて右損害賠償額を減額すべき場合に当らないことは明らかである。

さらに、同欄において被告は旧じん肺法上の粉じん職場に係る職歴として、炭鉱、汽関車の釜たき、鍛治作業、炭焼、レンガ工、窯入れ、製瓦工、土木作業、配管工、熔接工、船舶修理、サンダー使用を含む研磨作業、冶金、鉄工関係等を主張し、右の中特に炭鉱は被告と同種の業務であつて、それ自体粉じん発生の可能性ないしは粉じん吸入の可能性が認められるけれども、仮に被告の主張のとおりに職歴が認められたとしても、右各職場における粉じんの程度、防じん対策の有無ないし程度について右損害賠償額の減額を相当とする程度の具体性をもつて認めるに足りる証拠が存しない。

その他、大気汚染、喫煙、加齢、肺機能低下傾向の体質など被告主張の減額事由はその主張自体からみて、人間自然の生態ないし属性の範囲内に入ることがらであるので、これらを右損害賠償の減額事由と解することは相当でない。

第一二  過失相殺について

原告ら元従業員につき、それぞれ被告主張にかかる各事実が認められるとしても、次の理由によりこれを過失相殺の事由とはなしえない。

マスク不着用については前記認定のとおり(第五)、原告ら元従業員は被告が行うべきじん肺教育を怠つた結果、マスクによるじん肺罹患の防止効果及び着用の必要性を認識しえなかつたこと及び被告における作業内容及び作業状況によつては、常時マスクを着用することが困難であつたことに起因する。

配置転換についても前記認定によれば(第五)、被告のじん肺教育不履行の結果、粉じん職場からの配置転換の必要性を原告ら元従業員において認識しえなかつたことに由来するから、その責任を原告ら元従業員に転嫁することは許されない。

喫煙については、被告主張に沿う乙第二〇六号証の一(争いがない)によつても、喫煙がじん肺の発生及び進行に具体的にどのような影響を及ぼすかは明らかでなく、他にこの点を明らかにする証拠はない。

療養懈怠の過失があるとする事由のうち、退職後身体の不調を自覚しながら医師にかからなかつた点については、前記認定の事実(第五)にもとづいて考えると、被告のじん肺教育の不履行によるものと言わざるをえず、又、けい肺、じん肺の診断を受けながら医師の指示に従わず療養していない者については、右所為によつてじん肺の進行上如何なる影響が生じたかは明らかでないから、いずれも賠償額算定について考慮されるべき過失に該当しないことは明らかである。

以上によれば、原告ら元従業員には、本件損害賠償額につき斟酌すべき過失は存しないというべきであるから、被告の過失相殺の抗弁は採用できない。

第一三  損益相殺について

被告は損害につきその填補があつたとして損益相殺を主張するのでこの点について判断する。

一労災法及び厚生年金法による保険給付金

労災法による各労災補償は、労災事故により労働者の被つた財産上の損害の填補のためにのみされるものであつて、精神上の損害填補の目的をも包含するものではないから、原告ら従業員及び遺族原告らがそれぞれ受領した労災法による各給付金は、いずれも慰藉料請求権とは性格を異にし、これには及ばないというべきである。したがつてこれらについてその全部または一部を精神上の損害を填補すべきものとして認められた慰藉料から控除することは許されないというべきである。又、厚生年金法による各給付金も同様趣旨による生活保障を目的とするものと解するのが相当であり同様慰藉料から控除すべきでない。

二亡高富千松に対する閉山協定等による見舞金

別紙9個別主張・認定綴・第一綴・一次一一番の「第三、当裁判所の認定」記載のとおり、同人がじん肺健康管理区分3の行政認定を受けたのは、昭和四一年六月に至つてからであり、同人が矢岳鉱閉山の同三七年当時、被告主張の三万円を現に受領したものと認めるに足る証拠はないから、同人に見舞金三万円が支払われたことを認めることはできない。

第一四  結論

以上によれば、別紙4原告別認容金額一覧表記載の原告らの被告に対する請求は、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する同表末尾記載の遅延損害金起算日からそれぞれ完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、右原告らのその余の請求及びその余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言については同法一九六条に従い各認容金額の二分の一の限度においてこれを付することとし、仮執行免脱の宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(東孝行 伊藤新一郎 高野伸)

別紙

1原告目録<省略>

2訴訟代理人目録<省略>

3訴訟復代理人目録<省略>

4原告別認容金額一覧表

5原告別請求金額一覧表

6遺族原告相続関係一覧表<省略>

7消滅時効一覧表(当裁判所の判断)

8消滅時効一覧表(被告の主張)

<省略>

9個別主張・認定綴

第一級

一次 一番  阿曽末治

一次 二番  有川春幸<省略>

一次 六番  大串岩吉<省略>

一次 七番  大宮金重<省略>

一次 九番  高祖六次<省略>

一次 一〇番 副島ケサ<省略>

一次 一一番 高富千松

一次 一二番 竹永格<省略>

一次 一三番 谷川春美<省略>

一次 一五番 田渕栄<省略>

一次 一六番 玉置利夫<省略>

一次 一七番 十時為生<省略>

一次 一八番 中薗繁<省略>

一次 二〇番 藤井秋行<省略>

一次 二一番 堀内亮次<省略>

一次 二二番 眞崎光次<省略>

一次 二三番 増本京一<省略>

一次 二四番 松尾茂

一次 二五番 松尾ハツノ<省略>

一次 二六番 松永繁男<省略>

一次 二七番 松永為市<省略>

一次 二八番 松山虎一<省略>

一次 二九番 山中サキ<省略>

一次 三〇番 山中秀吉<省略>

一次 三一番 山道吉松<省略>

一次 三二番 吉福恕<省略>

一次 三四番 浦光春

一次 三七番 竹永岩市<省略>

一次 四五番 山手照三<省略>

二次 一番  石丸源市<省略>

二次 二番  柿木秀雄<省略>

二次 三番  久世光治

二次 五番  畑原松治<省略>

二次 七番  松田新一郎<省略>

二次 八番  山田政次<省略>

三次 一番  伊藤敏明<省略>

三次 二番  角藤巳<省略>

三次 三番  正法地秀夫<省略>

三次 四番  橋本利夫<省略>

三次 五番  山口進<省略>

三次 六番  若林千代人<省略>

四次 一番  井手留雄<省略>

四次 二番  西岡萬太郎<省略>

第二綴<省略>

10じん肺の知見に関する文献

――石炭鉱山を中心として――

1 明治・大正期の文献 (一)〜(一〇)

2 昭和一年から同五年までの文献(一)〜(一五)

3 昭和六年から同一四年(被告設立時)までの文献 (一)〜(一七)

4 昭和一四年(被告設立時)から同二〇年(終戦)までの文献 (一)〜(一二)

5 昭和二〇年(終戦)から同二七年(けい肺症患者取扱内規作成の前年)までの文献 (一)〜(一〇)

6 昭和二八年(けい肺症患者取扱内規作成)から同三五年(旧ぜん肺法制定)までの文献 (一)〜(一八)

11石炭鉱山における粉じん防止に関する法的規制の主な経緯(被告設立時から被告の本件各抗の最終の閉山時までに限る)

12一 昭和二四年八月四日基発第八一二号(珪肺措置要綱)

二 昭和二六年一二月一五日基発第八二六号(珪肺措置要綱の改正について)

13本件各抗の図面<省略>

(一) 鹿町鉱西坑坑内概要図

(二) 鹿町鉱東坑坑内概要図

(三) 鹿町鉱本ケ浦坑坑内概要図

(四) 鹿町鉱南坑坑内概要図

(五) 鹿町鉱小佐々坑、小佐々二坑坑内概要図

(六) 矢岳鉱矢岳坑坑内概要図

(七) 矢岳鉱矢岳坑坑内概要図

(八) 神田鉱神田坑坑内概要図

(九) 御橋鉱第一坑、第二坑坑内概要図

(一〇) 伊王島鉱業所伊王島坑坑内概要図

14損害填補額一覧表<省略>

別紙4

原告別認容金額一覧表

(遅延損害金起算日末尾記載)

提訴次

原告番号

原告氏名

認容金額

慰謝料 (円)

弁護士費用 (円)

合計 (円)

阿曽末治

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

有川春幸

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

大串岩吉

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

大宮金重

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

高祖六次

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一〇

副島ケサ

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一一

高富キマ

六六六

六六六

五七三

三三三

二三九

九九九

高富新

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

川口陽子

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

澁川信子

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

高富真理

五三三

三三三

一一四

六六六

六四七

九九九

高富英明

五三三

三三三

一一四

六六六

六四七

九九九

高富慎吾

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

一二

竹永格

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一三

谷川春美

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一五

田渕榮

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一六

玉置利夫

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一七

十時為生

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

一八

中薗カズエ

一一

五〇〇

〇〇〇

八六〇

〇〇〇

一二

三六〇

〇〇〇

中薗かをる

七五〇

〇〇〇

四三〇

〇〇〇

一八〇

〇〇〇

中薗優

七五〇

〇〇〇

四三〇

〇〇〇

一八〇

〇〇〇

二〇

藤井利行

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四〇

七二〇

〇〇〇

二一

堀内和恵

一一

五〇〇

〇〇〇

八六〇

〇〇〇

一二

三六〇

〇〇〇

浅田洋子

三〇〇

〇〇〇

一七二

〇〇〇

四七二

〇〇〇

前田孝子

三〇〇

〇〇〇

一七二

〇〇〇

四七二

〇〇〇

堀内克子

三〇〇

〇〇〇

一七二

〇〇〇

四七二

〇〇〇

堀内明子

三〇〇

〇〇〇

一七二

〇〇〇

四七二

〇〇〇

堀内省三

三〇〇

〇〇〇

一七二

〇〇〇

四七二

〇〇〇

二二

眞崎光治

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

二三

増本京一

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

二四

松尾茂

一〇

〇〇〇

〇〇〇

七五〇

〇〇〇

一〇

七五〇

〇〇〇

二五

松尾ハツノ

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

二六

松永ハツノ

六六六

六六六

五七三

三三三

二三九

九九九

森洋子

一一一

一一一

三八二

二二二

四九三

三三三

宮木幸子

一一一

一一一

三八二

二二二

四九三

三三三

松永実

一一一

一一一

三八二

二二二

四九三

三三三

二七

松永シゲ

一一

五〇〇

〇〇〇

八六〇

〇〇〇

一二

三六〇

〇〇〇

松永末雄

九一六

六六六

一四三

三三三

〇五九

九九九

松永繁利

九一六

六六六

一四三

三三三

〇五九

九九九

松永陸雄

九一六

六六六

一四三

三三三

〇五九

九九九

松永幸男

九一六

六六六

一四三

三三三

〇五九

九九九

松永静徳

九一六

六六六

一四三

三三三

〇五九

九九九

松永一男

九一六

六六六

一四三

三三三

〇五九

九九九

二八

松山虎一

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

二九

山中サキ

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

三〇

山中秀吉

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

三一

山道吉松

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

三二

吉福恕

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

三四

浦ミセ

六六六

六六六

五七三

三三三

二三九

九九九

浦美光

四〇七

四〇七

二五四

八一四

六六二

二二一

須田京子

四〇七

四〇七

二五四

八一四

六六二

二二一

浦幸生

四〇七

四〇七

二五四

八一四

六六二

二二一

三七

竹永ヨシノ

六六六

六六六

五七三

三三三

二三九

九九九

竹永寛

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

竹永憲之

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

竹永寛

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

岩崎靖子

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

竹永隆

〇六六

六六六

二二九

三三三

二九五

九九九

四五

山手ヨシ子

六六六

六六六

五七三

三三三

二三九

九九九

嶋岡八重子

一五

三三三

三三三

一四六

六六六

一六

四七九

九九九

石丸源市

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

柿木秀雄

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

久世シズ子

〇〇〇

〇〇〇

六七五

〇〇〇

六七五

〇〇〇

久世孝男

五〇〇

〇〇〇

三三七

五〇〇

八三七

五〇〇

吉田郁子

五〇〇

〇〇〇

三三七

五〇〇

八三七

五〇〇

畑原松治

一〇

〇〇〇

〇〇〇

七五〇

〇〇〇

一〇

七五〇

〇〇〇

松田新一郎

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

山田政次

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

伊藤敏明

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

角藤巳

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

正法地秀夫

一八

〇〇〇

〇〇〇

三五〇

〇〇〇

一九

三五〇

〇〇〇

橋本利夫

一〇

〇〇〇

〇〇〇

七五〇

〇〇〇

一〇

七五〇

〇〇〇

山口進

一八

〇〇〇

〇〇〇

三五〇

〇〇〇

一九

三五〇

〇〇〇

若林千代人

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

井手留雄

二三

〇〇〇

〇〇〇

七二〇

〇〇〇

二四

七二〇

〇〇〇

西岡シツ

一一

五〇〇

〇〇〇

八六〇

〇〇〇

一二

三六〇

〇〇〇

西岡正幸

八七五

〇〇〇

二一五

〇〇〇

〇九〇

〇〇〇

野田満恵

八七五

〇〇〇

二一五

〇〇〇

〇九〇

〇〇〇

神田友恵

八七五

〇〇〇

二一五

〇〇〇

〇九〇

〇〇〇

西岡睦雄

八七五

〇〇〇

二一五

〇〇〇

〇九〇

〇〇〇

遅廷操害金起算日

第一次事件  昭和五四年一一月三〇日

第二次事件  同 五五年八月一九日

第三次事件  同 五六年五月一九日

第四次事件  同 五七年一月一四日

別紙5

原告別請求金額一覧表

原告番号

原告氏名

請求金額 (万円)

遅延損害金起算日

(昭和年月日)

提訴次

番号

慰謝料

弁護士費用

合計

阿曽末治

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

54.11.30

有川春幸

内野春次郎

浦田喜八郎

五 ノ一

大野シマ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

日数谷幸枝

四〇〇

四〇

四四〇

〃三

大野三二

〃四

大野房男

〃五

工藤茂子

〃六

前田逸子

大串岩吉

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

大宮金重

八 ノ一

木村ミツ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

木村利夫

五〇〇

五〇

五五〇

〃三

木村博隆

〃四

木村和巳

〃五

木下真奈美

一六六

一六

一八二

〃六

木下陽子

〃七

木下愛

高祖六次

三、六〇〇

三〇〇

三、三〇〇

一〇

副島ケサ

一一ノ一

高富キマ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃一

高富新

四〇〇

四〇

四四〇

〃三

川口陽子

〃四

澁川信子

〃五

高富真理

二〇〇

二〇

二二〇

〃六

高富英明

〃七

高富慎吾

四〇〇

四〇

四四〇

一二

竹永格

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

一三

谷川春美

一四

谷村静

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

〃二

谷村栄子

三七五

三七

四一二

〃三

山本涼子

〃四

前田清美

〃五

谷村寿美子

一五

田渕榮

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

一六

玉置利夫

一七

十時為生

一八ノ一

中薗カズエ

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

〃二

中薗かをる

七五〇

七五

八二五

〃三

中薗優

一九

西田秀夫

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

二〇

藤井利行

二一ノ一

堀内和恵

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

〃二

浅田洋子

三〇〇

三〇

三三〇

〃三

前田孝子

〃四

堀内克子

〃五

堀内明子

〃六

堀内省三

二二

真崎光次

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

二三

増本京一

二四

松尾茂

二五

松尾ハツノ

二六ノ一

松永ハツコ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

森洋子

六六六

六六

七三二

〃三

宮木幸子

〃四

松永ズ実

二七ノ一

松永シゲ

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

〃二

松永末雄

二五〇

二五

二七五

〃三

松永繁利

〃四

松永陸雄

〃五

松永幸男

〃六

松永静徳

〃七

松永一男

二八

松山虎一

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

二九

山中サキ

三〇

山中秀吉

三一

山道吉松

三二

吉福恕

三三ノ一

伊福保子

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

〃二

伊福良男

三四ノ一

浦ミセ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

浦美光

四四四

四四

四八八

〃三

須田京子

〃四

浦幸生

三五ノ一

住吉ツタエ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

住吉義隆

五〇〇

五〇

五五〇

〃三

浦淳子

〃四

松尾清子

〃五

住吉安男

三六ノ一

早田ミツエ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

井元シモエ

五〇〇

五〇

五五〇

〃三

長江イネ子

〃四

山口春代

〃五

早田三十四

三七ノ一

竹永ヨシノ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

竹永寛

四〇〇

四〇

四四〇

〃三

竹永憲之

〃四

竹永寛

〃五

岩崎靖子

〃六

竹永隆

三八ノ一

岳野ミサエ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

岳野シズエ

二八五

二八

三一三

〃三

岳野和雄

〃四

岳野光男

〃五

木村ちえ子

〃六

岳野健三

〃七

岳野芳男

三九ノ一

田中気代子

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

田中重洋

〃三

田中初音

四〇ノ一

谷村静野

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

宮本初代

五〇〇

五〇

五五〇

〃三

服部道子

〃四

谷村久志

〃五

谷村澄子

四一ノ一

村本恵美子

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

西川慶子

六六六

六六

七三二

〃三

橋本正人

〃四

橋本孝一

四二ノ一

松尾ハツノ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

保田ミエ子

〃三

松尾千津子

四四ノ一

松下キクエ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

松下秀喜

六六六

六六

七三二

〃三

藤原千鶴子

〃四

榎木由美子

四四ノ一

山下シカ

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

山下邦夫

六六六

六六

七三二

〃三

山下信男

〃四

山下博幸

四五ノ一

山手ヨシ子

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

嶋岡八重子

二、〇〇〇

二〇〇

二、二〇〇

石丸源市

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

〃.8.19

柿木秀雄

三 ノ一

久世シズ子

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

〃二

久世孝雄

七五〇

七五

八二五

〃三

吉田郁子

四 ノ一

小林勝紀

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

小林忠文

〃三

内藤孝義

畑原松治

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

松崎寿男

松田新一郎

山田政次

九 ノ一

崎本フサ子

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

川端輝代

三三三

三三

三六六

〃三

腰地美智子

〃四

崎本富吉

〃五

伊藤直子

〃六

志方正子

一〇ノ一

西宮エン

一、〇〇〇

一〇〇

一、一〇〇

〃二

西宮昭好

六六六

六六

七三二

〃三

宮本まき子

〃四

広瀬恵美子

伊藤敏明

三、〇〇〇

三〇〇

三、三〇〇

56.5.19

角藤巳

正法地秀夫

橋本利夫

山口進

若林千代子

井手留雄

ニ ノ一

西岡シツ

一、五〇〇

一五〇

一、六五〇

57.1.14

〃二

西岡正幸

三七五

三七

四一二

〃三

野田満恵

〃四

神田友恵

〃五

西岡睦雄

別紙7

消滅時効一覧表

(当裁判所の判断)

原告

番号

原告ら元従業員

の氏名

最終の行政決定の日

(カッコ内は右決定の

通知書の日付)(昭和年月日)

消滅時効完成の日

(昭和年月日)

備考

(第一権事件関係)(訴提起の日は昭和五四年一一月一日)

内野春次郎

(43.10.8)

53.10.8

浦田喜八郎

40.4.15

50.4.15

大野茂男

(42.4.14

52.4.14

木村亀吉

42.11.24

(42.11.29)

52.11.29

一四

谷村清助

33.12.8

(同日)

43.12.8

一九

西田秀夫

(44.7.17)

54.7.17

三三

伊福太吉

(39.12.28)

49.12.28

三五

住吉計清

(49.7.15)

54.7.15

三六

早田勝

33.7.15

43.7.15

三八

岳野音松

(37.7.31)

47.7.31

三九

田中重信

40.12.23

(死亡40.11.27)

40.11.27

じん肺により死亡した日

より起算する。

四〇

谷村仁太郎

(37.12.14)

47.12.14

四一

橋本伊七

42.4.14

52.4.14

四二

松尾愛義

(33.6.27)

43.6.27

四三

松下千代吉

(39.6.11)

49.6.11

四四

山下徳市

(43.5.27)

53.5.27

(第二次事件関係)(訴提起の日は昭和五五年八月一日)

小林忠義

41.12.14

(42.1.30)

52.1.30

松崎寿男

42

52.12.31

遅くとも42年12月31日

より起算する。

崎本正直

(42.10.19)

52.10.19

一〇

西宮美好

37.6.30

47.6.30

別紙9

《個別主張・認定綴》

一 ここでは原告ら元従業員の各人につき次の事項を掲げる。

(1) 損害に関する当事者双方の主張事実

(2) これに対する当裁判所の認定

(3) 他粉じん職歴等に関する被告の主張事実

(4) 過失相殺の療養懈怠に関する被告の主張事実

第一綴においてはこれら全項目を掲げるが、第二綴においては、同所に掲げる原告ら元従業員に関する原告らの各請求権が本文記載のとおり消滅時効にかかつているので、右(2)の項を省略する。

なお、右(3)及び(4)に関する原告らの主張並びに当裁判所の判断は本文に記載する。

二 記載要領

1 各綴中各人の冒頭掲記の番号は生存原告については原告番号、死亡従業員についてはその遺族原告の原告番号の元番を記載する。

2 第一、原告の主張中「一、粉じん職歴」欄は、各原告ら元従業員が鉱名欄(上段)記載の各坑(鉱)で、職種欄(中段)記載の作業に、期間欄(下段)記載の期間(「昭和二二・五〜二四・三」は昭和二二年五月から昭和二四年三月までの期間であることを意味する。)従事したことを示す。

3 第三、当裁判所の認定中の「証拠」記載について

(一) 書証下の括弧内の記載は、その書証の成立の根拠を示す。

(○)は成立に争いがないことを、(証人某)は証人某の証言、(原告某)は原告某本人尋問の結果、(弁)は弁論の全趣旨によりそれぞれの成立の真正が認められることを意味する。

(二) 「(原告)」「原告本人尋問の結果」は当該生存原告の本人尋問の結果を意味し、遺族原告又は他の原告本人尋問の結果を掲げるときはその氏名を記載する。

4 (株)は株式会社、(有)は有限会社の略称である。

第一綴

一次 一番阿曽末治

第一 原告の主張

一 粉じん職歴

1 鹿町鉱西坑 坑内機械 昭和二二・五〜二四・三

2 同 採炭、仕繰、掘進 昭和二四・四〜二四・八

3 同 掘進 昭和二四・八〜二八・八

二 家族関係等

原告阿曽末治は、大正七年二月八日生まれで、住所地において妻ミヤ子、次男阿曽孝一の家族と同居している。

三 症状の経過

1.同原告は、昭和二七年頃より、たんが多くなる、昇坑時に斜坑を登る際息切れしてきつい等の症状が出はじめた。昭和二七年夏、結核と診断され、同二八年八月まで鹿町の療養所に入院後、退職した。以後は妻に質屋を営業させ、同原告自身はその手伝い等の仕事をした。

2 昭和四五年にはいり、体調が悪くなつたため、江迎病院で診察を受けたところじん肺の診断を受け、昭和四五年一〇月三一日管理四(PR3F3K2TB(±))の認定を受けた。

その後は、全く働けず、病弱の妻の看病、妻の営んでいたタバコ屋の手伝い等をして現在に至つている。

3 同原告は昭和四五年当時、ゆつくりであれば二キロ位は歩けたが、現在は、平地でも一キロ歩くことができず、急坂は一〇メートル登るには何回も休まなければならない。

同原告は主治医より、かぜをひかないようにと厳重に注意されており、それを忠実に守つているため、最近は急激な症状の変化はないが、いつ寝たきりになり酸素吸入が必要になる程、重い状態になるかわからないという不安は常に抱いている。

四 じん肺罹患による損害

1 同原告は、昭和二七年、被告の病院において、結核と診断され一年程入院生活を送つている。昭和二七年には北松において既にけい肺患者が発生していることは被告自身認めており、しかも同原告は岩石掘進夫である。これらの点よりすれば、被告の病院の医師が、同原告にけい肺との診断を伝えなかつたことはじん肺を隠したものと考えられる。仮に、真実じん肺の診断ができなかつたものとすれば、じん肺に対する取り組みがいかに遅れていたかを如実に示すものである。

2 同原告が昭和二七年じん肺に罹患したことにより(当時の診断は結核ということであつたが)、昭和二八年退職を余儀なくされ、妻が質屋を経営して昭和二八年から三八年まで生活を支えた。この間、同原告は三五歳から四五歳までの働きざかりであり、友人が元気に働くのを見るにつけ、くやしさ寂しさを感じていた。その後、炭鉱が閉山になつた昭和三八年以降数年間、出かせぎで働いていたが、体力もなく、長続きしなかつた。同原告は、発病した昭和二八年より認定を受ける昭和四五年まで何等の補償を受けることなく、妻の犠牲、病身ながら自ら働いた収入で生活を支えてきた。

第二 被告の主張

一 職歴

1 被告における職歴

(一)(1) 同原告は昭和二二年五月より昭和二四年三月まで鹿町鉱において坑内機械の職種で就労し、ポンプ運転の業務に従事した。

(2) 同原告は昭和二四年四月より昭和二四年八月まで鹿町鉱において採炭の職種で就労した。

(3) 同原告は昭和二四年九月より昭和二八年八月二〇日まで鹿町鉱において掘進の職種で就労し、同日付で退職した。

(二) 同原告が掘進の職種で就労した右期間のうち、退職前一年間は休業しており、掘進実作業就労は約三年間である。

2 被告入社前の職歴

(一)(1) 小学校卒業(昭和七年)より昭和一一年まで農業

(2) 昭和一一年より昭和一八年まで南満洲鉄道・機関車釜たき

うち三年間は兵役に服した。

(3) 昭和一八年より昭和二一年まで満洲栗本鉄工所・機械発送

(4) 昭和二一年九月頃より昭和二二年三月頃まで楠久炭鉱・大工

(二)(1) 同原告が就労した農業は原告らがいう粉じん作業である。佐野辰雄は農夫肺についてその具体的発塵現場として脱穀・枯草処理等を挙げている。

(2) 同様に木の皮、葉の粉じんもじん肺の成因とされていることから、これらの切削、組立にあたる大工も当然に粉じん職場である。

(3) 機関車釜たきが粉じん作業に該当することは明らかである。

(4) 同原告は南満洲鉄道は昭和一一年より同一八年まで勤務し、うち三年間は兵役、釜たきは二年五カ月で、初めは機関車みがきというが、当時長期間に亘つて機関車みがきのみを担当するとは考えられない。仮にそうとしても機関車みがきに伴う粉じん発生は否定できない職場である。まして、機関庫自体粉じん職場である。

(5) 同原告が就労した満洲栗本鉄工所において機械発送の仕事をしたというが同原告が被告北松鉱業所に機械夫(坑内ポンプ運転員)として採用されているところから、機械夫としての経験があつたと考えられる。右機械夫の作業内容は通常研磨・熔接。旋盤・製罐等であつて、これら機械夫ないし機械発送の作業及び清掃に伴う粉じんの発生は否定できない職場である。

(6) 凡そ、兵役が粉じん職場に相当することは否定できない。兵役は演習に明け暮れるものであつて、兵営にあつては土埃りの中で匍伏前進等土を噛むような諸演習に励み、営外に出でんか土埃りと汗にまみれて全身真黒になることさえ稀でない。戦地に出でんかこれらのことは倍加され日夜に亘る強行軍で土ぼこりや泥土の中で眠るという環境に加えて塹壕掘りなど陣地構築に伴う各種土木作業に従事することも当然であつて、これら壕掘りに随所で行われたが、特に戦局劣勢化以降における内・外地の壕掘りは正に土石掘さくそのものであつた。

又、軍隊には各兵科があつてあるいは工兵における土木の如く、あるいは砲兵、輜重兵における挽馬(獣毛・わらくず)の如く、あるいは炊飯における穀粉の如く、無機・有機粉じんに曝露すること極めて多く、更に一般兵科にあつても原告らの中には特技によつて造船業務に従事した例もあり、特に敗戦後ソ連に抑留された者のうちには無防備の中で伐採、土木建設、炭鉱作業に従事させられ、いわゆるシベリアけい肺あるいはシベリアじん肺という急進じん肺に冒された例もある。

以上述べたことは他の兵科についても共通することで、なべて粉じん職場に相当することを否定できない。

3 被告退職後の職歴

(一)(1) 昭和三二年五月より昭和三三年五月まで神林炭鉱 坑内夫

(2) 昭和三七年より昭和四二年までヤマモリ製パン 倉庫係

(3) 昭和四三年より昭和四四年半ばまで大平工業 電気熔接

(4) 昭和四五年より昭和四六年一月まで大栄開発ボーリング 手伝

(二)(1) 同原告が就労したヤマモリ製パン倉庫係も、原材料・製品の搬入・搬出・保管・清掃に伴う粉じん発生を否定できない職場である。

(2) 同原告が就労したボーリング作業は粉じん職場ではない。

(3) 同原告が就労した電気熔接はいわゆる熔接工肺として佐野辰雄もその著書において「今後もつとも警戒すべきじん肺の一つである」と指摘しているものである。

二 じん肺罹患の時期

1 同原告が昭和二七年にじん肺罹患によつて、被告退職を余儀なくされたとの主張は否認する。

同原告が被告在職中けい肺・じん肺に罹患した旨診断された事実は皆無であつて、昭和二八年八月退社するまでに一年位北松鉱業所の病院(いわゆる炭鉱病院)に入院していたのは、結核の診断を受け、その結核の療養を受けたにとどまる。又、退社当時には治癒した。

2 又、被告の北松鉱業所において、昭和二七年当時には他にけい肺患者が発生していたこと、同原告が岩石掘進夫であることを理由に、被告の病院の谷村医師は同原告のけい肺罹患を確知していた筈であると主張する。

しかし、当時けい肺診断技術の水準、谷村医師の人格・経歴・技倆並びに被告がけい肺対策の一環として、当時結核患者の内から積極的にけい肺罹患者の発見に努力し、現にその発見と治療を推進していた実情に照らし、全く根拠なき独断であると云う外ない。

同原告は、被告が意図的に「じん肺かくし」を行つた旨論難するが、そもそも右前提事実そのものが根拠のない架空の事実であるから、右主張自体為にする悪意の中傷である。

三 現在の健康障害

1 同原告は昭和四五年に至つて初めて管理四の行政上の決定をうけたが、エックス線写真の像は三型であつて、肺機能障害によつて決定されたものである。なお、進行性の恐れがある結核があつた。

2 現在二週間に一回程度通院していると云うが、日常生活に特段の支障がない程度である。

3 同原告は被告退職前一年間は入院療養し、その後約一〇年間は主として妻によつて生計をたてたというが、同原告は退職後約九年四ケ月間粉じん作業職場にも断続的に就労しており、同原告の結核は比較的軽症であつたと推認される。

4 同原告に現在合併症たる結核はなく、治癒している。「肺機能検査」においても肺胞気動脈血酸素分圧較差を含め著しい肺機能障害はない。従つて、現在の同原告の症状は改正じん肺法の診断基準によれば、管理四ではなく、管理三相当程度以下である。

5 更に同原告は、本訴提起後五年間余に亘る本法廷に毎回の如く出廷していること、法廷における態度、発言なども、同年令の健常者と特段に変ることがないことも顕著な事実である。

以上のような客観的事実からも判明するとおり、同年令の健康者と特段に変るところはない。

四 自己健康管理の懈怠

同原告は、昭和三五年結核入院療養、昭和三八年合併症と診断されたにも拘らず、右診断後においてもあえて粉じん作業職場に就労していたのであつて、自からまもるべき健康管理を故意に放棄していた。、

五 生計状況等

同原告の提訴当時の生計状況は労災給付一六八、八五七円(月額・以下同じ)、厚年給付四一、九六六円、合計二一〇、八二三円、雑貨販売等収入一八一、〇〇〇円(推計)があり、少くとも月収三九一、八二三円を下らないことが推認される。

従つて、同原告には経済面においても、また前記の健康状態からしても、日常生活破壊の事実はない。

第三 当裁判所の認定

一 職歴

1 被告での職歴

(一) 原告の主張一、1、2のとおり。

(二) 同原告は昭和二四年九月から約三年間、鹿町鉱西坑で掘進に従事した。

2 被告以外での職歴

(一) 被告の主張一2(一)(1)(3)、3(一)(2)ないし(4)のとおり(但し大栄開発ボーリングでの就労期間は一ないし二か月である。)。

(二) 同原告は昭和一一年から昭和一八年まで南満洲鉄道に勤務したが、うち三年間は兵役に服し、約二年五か月機関車釜たきに、その余は機関車みがき等に従事した。

(三) 昭和二一年九月から昭和二二年三月まで楠久炭鉱で坑外大工作業(炭鉱住宅修理等)に従事した。

(四) 被告の主張一3(一)(1)を認めるに足る証拠はない。

二 家族関係等

原告の主張二のとおり。

三 症状の経過及び生活状況

1 原告の主張三のとおり。

2 同原告は昭和三八年ころ佐々療養所でじん肺と診断されたが、じん肺についての知識が乏しく、認定手続もしなかつた。

3 現在、同原告は二週に一度通院している。草花を育てたりするごく軽い趣味程度の仕事を一時間以上続けることはできない状態にある。経過は良好であるが、今後も対症療法を要する。頻発性心室性期外収縮を認める。

四 証拠<省略>

一次 一一番高富千松

第一 原告の主張

一 粉じん職歴

矢岳鉱 採炭 昭和一四〜三七

二 家族関係等

高富千松は明治三八年二月三日出生し、昭和三七年キマと結婚し、同年新を認知し、千松もキマもともに再婚であつた。

三 症状の経過

1 千松は定年(昭和三五年)の前ころから、疲労感、息苦しさを感じるようになつた。息苦しく夜眠れないこともあつた。仕事を休むことも次第に多くなつた。

昭和三七年ころには、よく風邪を引いていた。風邪を引いた時はぜん息のようなひどい咳をしていた。ひどい時には四〜五日間と寝込むようなこともあつた。

2 矢岳鉱を退職したころ結核ではないかと心配したキマに勧められて、佐世保の労災病院で検査を受けた。その結果管理三の認定を受けた。

3 老後は静かな田舎で、花を作つたり、魚を釣つたりしたいと千松は望んでいたので、矢岳鉱退職後、退職金の大部分をつぎ込んで漁船を購入し、体の具合の良い日には釣りに出かけていた。しかし、一級の身障者である新の治療費などを捻出しなければならなくなつたため、昭和四三年ころから再び神原炭鉱で働き始めたが、体がきつく、出たり出なかつたりの状態で、一年位しか続かなかつた。その後大工の小取りの仕事をしていたが、昭和四四年暮れに倒れ、そのまま入院した。昭和四五年四月二五日、管理四(PR2FK2TB(±))の認定を受けた。

4 その後は通院しながら自宅療養をしていた。息切れがひどくなり、坂を登るのが苦しくてたまらないようになつた。毎晩ひどく咳込むので、家族の者は別の部屋で寝ていた。

5 昭和五五年七月江迎病院に入院した。その二週間位前から殆ど食事をとらなくなり、一週間位前から起き上れないような状態になつた。体はガリガリにやせこけていた。入院してしばらくして意識不明となり、同年八月一三日に死亡した。

四 じん肺罹患による損害

1 じん肺の自覚症状が出始めたのは昭和三五年ころから次第に仕事を休むことが多くなつたので、当然賃金額も低下したはずである。矢岳退職当時はまだ五七歳位であつたから、本来ならばまだまだ働き盛りである。しかし、症状はかなり進行していたので、気分のいい日だけ船を出して、一本釣り漁をする位しかできなかつた。その後新の治療費などを稼がなければならなくなつたので、炭鉱で働いたり、小取りとして勤めたりしたが、いずれも長続きせず、四四年暮れころに倒れてしまい、その後は完全に就労不能状態となつてしまつた。当時六四歳位であつたが、就労の意欲はあり、もともとは頑健な身体であつたから、じん肺さえなかつたらまだまだ働いていたはずである。

2 じん肺に罹患して以来、いつもひどい咳をしていたので、人からは肺病だとか結核もちだとか言われ、そばに寄るのも嫌がられることがあり、悲しい思いをしていた。健康には人一倍気をつかつていたが、患者仲間が苦しみながら死んでいつた話を聞くにつけ、せめて苦しまずに死にたいと願つていた。また、キマに対しては、せめて労災補償金だけでも間違いなく支給されるようにと、死後は必ず遺体を解剖に付するようキマに言い残して死んだ。

第二 被告の主張

一 職歴

1 被告における職歴

(一)(1) 千松は昭和二二年一〇月より昭和二九年五月まで矢岳鉱において採炭の職種で就労した。

(2) 同人は昭和二九年五月より昭和三五年二月まで矢岳鉱において坑外運搬の職種で就労し、定年により同日付で一旦退職した。

(3) 同人は昭和三六年三月より昭和三七年七月三一日まで矢岳鉱において坑外運搬の職種で就労し、同日付で退職した。

(二) 坑外運搬には積卸作業等粉じんに関係のある作業と、連結・切離し・油差し等粉じんに関係のない作業があるが、同人が積卸作業に就労した事実はない。

2 被告入社前の職歴

(一) 同人は被告入社前、次の作業に就労していた。

(1) 昭和五年三月より昭和一〇年まで 農業

(2) 昭和一一年より一年間位山野炭鉱 採炭

(3) その後一年間位 たどみ炭鉱 採炭

(4) その後一年間位 大島炭鉱 採炭

(5) 昭和一四年頃より昭和一八年三月まで 日産化工(株)矢岳炭鉱採炭

(6) 昭和一八年四月より昭和二〇年四月まで 日本鉱業(株)矢岳炭鉱採炭

(7) 昭和一七年一一月より昭和二二年九月まで 兵役(戦後シベリア抑留)

(二) 右兵役及び農業は粉じん職場に相当する。

3 被告退職後の職歴

(一) 同人は被告退職後、次の作業に就労していた。

(1) 昭和三七年頃より昭和四二年頃まで 自営 漁業

(2) 昭和四三年頃より一年位神原炭鉱・萩野組 採炭

(3) 昭和四四年頃より同年末まで 池島炭鉱・一力組 大工小取

(二) 右(3)の大工の作業は粉じん作業である。

二 健康障害

1 同人は昭和四五年に至つて管理四の行政上の決定をうけたものであるが、その内容をみるにエックス線写真の像は未だ二型(PR2)であつて軽いが、偶々活動性の肺結核があつたために「管理四」とされたに過ぎない。

2 昭和三八年に管理三の行政上の決定をうけたとする原告らの主張は誤りである。

昭和五五年二月当時同人のレントゲン写真の像はPR1(最も軽い)で、昭和四五年管理四の行政上決定通知書の活動性結核が不活動性結核に軽症化している。

3 昭和五五年二月二〇日の診断によつて明らかなとおり同人の結核は治癒している。また肺機能検査においても肺胞気動脈血酸素分圧較差において著しい障害がなく、総合判定においても著しい肺機能障害はない(+)とされている。改正じん肺法の診断期準によれば管理四でなく、少くとも管理三相当程度以下である。

4 我が国の男子平均寿命をこえる高令(七五才)で死亡している。

三 自己健康管理の懈怠

1 同人は昭和四一年管理三の行政上の決定をうけた後も神原炭鉱(下請萩野組)のほか粉じん作業に就労していたものであつて、自ら守るべき健康管理を故意に放棄していたことに帰し、その懈怠は原告の症状及び死亡に至る重大な要因となつている。

2 同人は二度目の江迎病院入院の際、帰つたら悪くなるとの医師の注意を無視して自己の意思で退院した。自己健康管理の懈怠も甚しい。

四 生計状況等

1 同人は提訴前から自己所有の住宅(建坪63.00m2)に居住し、当時労災給付一四六、七七二円、厚年給付七四、七八三円を受給し、少くとも月収二二一、五五五円を下らない。

2 同人の労災給付受給額は第一次原告のうち中位に属している。

3 承継人らは現在軍人恩給四二万円(年額・以下同じ)、障害福祉年金三〇万円、厚生年金六八万円、労災遺族補償年金約一三九万円、合計二六〇万円の外同承継人新について障害福祉年金四五万円を受給している。

従つて、同人および承継人らについて日常生活破壊の事実はない。

第三 当裁判所の認定

一 職歴

1 被告での職歴

昭和二二年から昭和三七年まで矢岳鉱で採炭に従事した。(被告の主張一1(一)(2)(3)、(二)を認めるに足る証拠はない。)

2 被告以外での職歴

(一) 昭和一一年ころまで農業に従事し、松島炭鉱に一年足らず(職種不明)勤務した。

(二) 被告の主張一2(一)(2)ないし(6)のとおり。

(三) 昭和二二年まで(始期不明)兵役に従事した。

(四) 被告の主張一3(一)のとおり。なお、同3(一)(1)の後、しばらくの間西部道路に勤務した。

二 家族関係等

原告の主張二のとおり。

先妻テヤとの間に二男四女が出生した。

三 症状の経過及び生活状況等

1 原告の主張三1、3ないし5のとおり。

2 昭和四一年六月ころじん肺管理三(PR1F2K1TB(±))と診断された。

3 昭和五五年二月の診断では進展したじん肺であるが経過は良好とされていたが、同年七月容態が悪化して入院し、じん肺症、急性炎を原因とする心不全により同年八月一三日死亡した。

四 証拠<省略>

一次 二四番松尾茂

第一 原告の主張

一 粉じん職歴

1 鹿町鉱小佐々坑 採炭 昭和二二・二〜二五・九

2 同 仕繰 昭和二五・一〇〜二六・一二

3 同 坑内運搬 昭和二七・一〜三一・四

4 同 掘進 昭和三一・五〜三二・

5 同 仕繰 昭和三二・五〜三六・一〇

6 矢岳鉱 仕繰 昭和三六・一〇〜三七・六

二 家族関係等

原告松尾茂は大正八年一一月二五日出生し、昭和二二年一二月キミエと結婚し、長女秀子、長男光弘をもうけた。

三 症状の経過

1 昭和三一年ころから疲れやすくなり、息切れがするようになつた。おかしいと思い矢岳鉱の病院で診察を受けたところ、三二年一〇月にけい肺症度一の認定通知を受けた。しかし、けい肺とはどういうものか、その恐ろしさについて被告からは何の説明もなかつたので、大したことはないと考えていた。

当時は掘進作業に従事していたが、体が大分弱つていたので、仕事についていくことができず、希望して仕繰りに替えてもらつた。

2 被告を退職したころは、息切れがひどく、すぐ風邪を引くようになつていた。風邪を引くと血痰がでたり、発熱して起き上れなくなることが多かつた。

退職後はしばらく武藤建設で働いたが満足に仕事を果たせない状態になつたので、そこも退職した。

3 その後の検査の結果、結核と診断されたので、昭和四〇年二月に佐々療養所に入院した。

昭和四五年七月同療養所を自らの意思で退院した。家族を養うため、働いて生活費を稼ぐ必要があつたからである。

4 退院後しばらく自宅で療養した後、西日本外材工業や松南チップ工業で働いたが、体がきつく、いずれも長続きしなかつた。

その後、再び症状が悪化したので、昭和四六年六月同療養所に入院した。昭和四八年五月、一旦退院して自宅で療養していたが、昭和五三年にまた入院し、現在まで療養所生活を続けている。

昭和五三年五月一二日管理区分二(PR1F()、肺結核)の認定を受けた。

5 現在の症状は、息切れがひどく、軽い外出程度でもすぐ疲れてしまう。ゆつくりと散歩する程度の運動でも三〇分が限度である。入浴の後などはひどく疲れる。

少し寒い時や入浴の後などにすぐ風邪をひく。風邪を引くとせきがひどく、高熱が出ることもある。呼吸困難になり、息が出来ずに苦しい思いをすることもよくある。風邪をこじらせて点滴を受けたこともある。食欲はない。

6 原告の管理区分は二であるが、実際は四相当の症状である。昭和四〇年二月の診察時にすでにじん肺に罹患しており、同五三年の管理区分認定後も進行し、呼吸機能が低下している。

四 じん肺罹患による損害

同原告は三〇代後半の若さで人並の仕事ができなくなり、四〇代半ばにしてほぼ完全に労働能力を失つてしまつた。働くことが生きがいであつた同原告にとつてはとても惨めなことであつた。

同原告の収入が激減し、又、全く収入がなくなつてしまつたため、妻キミエは家族の生活費を稼ぐため、もともと病弱であつた体を酷使し、とうとう健康を損なつてしまつた。今では定期的にじん臓透析を受けなければ生きていけない体になつてしまつた。

収入が乏しかつたので、子供たちの望みも全くかなえてやれなかつた。長男を高校の修学旅行に行かせてやる金さえなかつた。希望の学校に進学させてやることもできなかつた。

じん肺という病気さえなかつたら、妻のキミエをこんな体にしなくても済んだかもしれない、また子供達にも人並の学生生活を送らせてやることもできたのにと思うと悔しい思いで胸が一杯になる。

同原告自身、将来に何の望みも持てないばかりでなく、もし自分が死んだら病弱の妻や、障害を持つ長女がどうなるだろうと考えると、心配で夜も眠れないことがある。

第二 被告の主張

一 職歴

1 被告における職歴

(一) 原告の主張一1ないし3は認める。

(二)(1) 同原告は昭和三一年五月より昭和三四年七月まで鹿町鉱(小佐々坑)において掘進の職種で就労した。

(2) 同原告は昭和三四年八月より昭和三六年九月まで鹿町鉱(小佐々坑)において採炭の職種で就労した。

(3) 同原告は昭和三六年一〇月より昭和三七年六月二〇日まで矢岳鉱において採炭の職種で就労し、同日付で退職した。

2 被告入社前の職歴

(一)(1) 新聞配達 約一年間

(2) 松島雪沢製材所 截材工約三年間

(3) 松島炭鉱、大島炭鉱、坑外運搬夫 約半年間

(4) 三菱長崎造船所 鍛冶工約三年半余り

(5) 農業 約八ケ月

(二)(1) 右(2)の截材工は帯ノコを操作し木材を切断する作業で木材切断の際は木くずが出るもので粉じんが発生することを否定できない職場である。

(2) 右(4)の鍛冶工の作業は船の部品を作る鍛冶作業でアングルを焼いてハンマーで叩き型に合わせる仕事であつて粉じん作業である。

(3) (5)の農業は粉じん作業である。

(4) 同原告は前後二回に亘つて約五年一か月間兵役に服している。

右兵役は粉じん職場に相当するものである。

3 被告退職後の職歴

(一)(1) 昭和三八年七月より昭和三九年一二月まで (有)武藤建設 測量手伝、伐採、雑務

(2) 昭和四五年七月から昭和四六年二月まで 西日本外材工業 木材の皮むき

(3) 昭和四六年二月から同年四月まで 松南チップ

(二)(1) 右(1)のうち伐採作業は切削及び後整理に伴い木皮等粉じんの発生を否定できない職場である。

(2) 右(2)の木材の皮むきは、これに伴い粉じんが発生することは否定できない職場である。

(3) 右(3)の松南チップは製紙原料として木片を粉砕する作業で、これに伴う粉じんの発生を否定できない職場である。

二 じん肺かくしの主張について

被告はおよそ「じん肺かくし」をするような企業体質では全くないし、又そのような事実も全くない。昭和三〇年けい肺法の施行に伴つて国による健診が行われたが(全国一斉のため年次を分けて事業場巡回)、被告の北松鉱業所では三〇年、三一年に実施され、三一年度分の結果は翌三二年九月から一〇月にかけて通知された。

同原告はその後受診していないというが、被告において引続き健診を適正に実施し、その結果を通知し、必要な教育・配転等を実施してきた。

三 現在の健康障害

1 同原告は昭和三二年九月けい肺法により第一症度の行政上の決定をうけ、その後二〇年を経過した昭和五三年(被告退職後二七年)に至つて改正じん肺法により管理二であるが、結核合併があるため要療養の行政上の決定をうけた。

2 同原告は管理二であるにも拘わらず、実際には管理四の患著にも等しい重い症状を呈していると主張するが、事実に反する誇張である。即ち同原告の昭和五九年一月二八日付「診断書(じん肺用)」の「日常生活状況」のとおり日常生活に特段の支障がないこと明白である。同原告は九月一二日付診断書を書証として提出するが、その不自然さに強い疑念が生ずる。

3 前述の昭和五九年一月二八日付同原告「診断書(じん肺用)」によればエックス線写真の像は二割型(2/1)に過ぎず、更に肺機能においても著しい肺機能障害はない(F+)とされており、到底管理四の決定をうけるような健康障害ではない。

現に証拠調前の七月四日法廷にも出廷しており、法廷における態度・発言などからしても、少くとも同年令の健常者と特段に変ることがなかつた。

4 同原告の本人尋問の発言においても正常であつた。

四 自己健康管理の懈怠

同原告は昭和四〇年二月空洞結核療養のため県立佐々療養所に入院しながら、同四四年同原告本人の意思で退院し、敢えて粉じん作業職場に就労していた。このように自から護るべき健康管理を故意に放棄していた事実があり、その懈怠は同原告の現在における健康障害の重大な要因となつていることは何人も否定できない。

五 生計状況等

同原告は長男を大学まで進学させている。また提訴前から自己所有の住宅(土地402.38m2、建物83.63m2)に居住し、提訴当時においても労災給付215.982円、厚年給付九〇、七五〇円を受給し、少くとも月収三〇六、七三二円を下らない。現在療養中であるとは云え、日常生活に支障のない状況にあることは前述のとおりであり、経済面も含めて日常生活破壊の事実はない。

第三 当裁判所の認定

一 職歴

1 被告での職歴

(一) 原告の主張一1ないし3(当事者間に争いがない。)、6のとおり。

(二) 被告の主張1(二)(1)(2)のとおり。

2 被告以外での職歴

(一) 被告の主張2(一)、3(一)のとおり。

(二) 二回にわたり合計約五年一か月兵役に服した。

二 家族関係等

原告の主張二のとおり。

三 症状の経過

1 昭和三一年ころから息切れがし、疲れやすくなつた。昭和三一年のけい肺健診の結果、昭和三二年一〇月、けい肺第一症度(SR1)と認定された。体力が続かなかつたため、掘進から仕繰に配置転換をしてもらつた。

2 原告の主張三2、3、4のとおり。

3 現在も肺結核のため療養が必要であり、今後も入院加療を要する。

四 生活状況

原告の主張四のとおり。

五 証拠<省略>

一次 三四番浦光春

第一 原告の主張

一 粉じん職歴

1 鹿町鉱 採炭 大正九・五〜昭和五・四

2 同 坑内係助手 昭和五・五〜一四・一二

3 同 坑内係員 昭和一五・一〜二〇・一〇

4 同 外傭 昭和二一・八〜三〇・七

5 本ケ浦坑 事務 昭和三〇・八〜三二・三

二 家族関係等

浦光春は明治三五年三月一三日出生し、ミセと昭和九年頃同居し(婚姻届昭和一二年九月二七日)、その間に二男二女をもうけた。同人は昭和五四年一月三日じん肺症から急性肺炎を起こし心不全のため死亡した。

三 症状の経過

光春は昭和二〇年一〇月頃には息苦しさ、疲労を訴え、咳や痰も出ていた。

体がきついということで、疲れをとるため晩酌はしていたが、どうしても体がもてないということで昭和二〇年一〇月被告を退職した。

妻のミセは何か病気ではないかと思つたこともあつたが光春自身、別に病院に行つて診てもらうということもしていなかつた。又近所に、病院らしい病院もないため、結局、光春夫婦には何の病気かもわからずじまいであつた。

ただ退職前から赤松の葉の粉を買い求め、それを煎じて飲んでいた。しかし、たいした効き目はなかつた。

今から思えばこのころじん肺症にかかつていたのではないかと考えられるが、光春夫婦には、そのような病気であることは全くわからなかつた。

光春がじん肺症であると気づいたのは、昭和五〇年頃江迎病院に通院していて、じん肺ではないかということで申請したときで、その結果、同年六月二日付で管理区分四(PR2F3K1TB(−))の決定通知をうけた。

一度退職したものの生活が苦しく、再度翌二一年体の無理をおして被告で働くようになり昭和三二年三月定年で退職した。結局在職中被告から、じん肺症であるときいたことはないままに終わつた。

定年退職してからは、仕事ができるような状態ではなかつた。体の調子のよいとき、好きな魚つりに行くぐらいであつた。しかし、咳や痰は、退職前から吐いており、これは止まることがなかつた。臼の浦の久田病院に、昭和四五年頃からかかつていたが咳や痰が出て苦しい時には生活が苦しい中に割高になる治療費は大変痛手であつたが、やむをえず夜中の診療も受けることがあつた。

光春は、昭和五二年一月江迎病院に入院し酸素吸入をうけながらの療養を続けたが、わずか二年後の昭和五四年一月三日、たんがのどに詰まりミセが痰をとる器械を使つて取つてもらおうと看護婦を探しに行つている間に、間に合わず、亡くなつた。七六歳であつた。

四 じん肺罹患による損害

じん肺症と思われる症状のため、光春が一度退職したのは、四三歳の時であつた。普通ならば男四〇歳代は働き盛りであり今からが人生であると張切る年代であつた。しかし、病に冒された体では、働く元気がわいてこなかつた。末の子が四歳であれば、生活のため働かなければいけないのは理の当然で、翌二一年八月再度被告に就職した。しかし、賃金の高い坑内夫ではなかつたし、又、体がきつかつたため休みがちであり収入は低かつた。他人からの借金でやりくりしてきた。まことに二重三重の打撃であつた。

昭和三二年三月定年退職してからはとても働ける体ではなかつた。五五歳。男はまだまだ一〇年以上働ける年代であるのに、じん肺症ゆえに働けない体になつてしまつた。精神的にはもちろんのこと金銭的にみてもこのように多大の被害を光春は蒙つたのである。

子供達も、学校を出ると働きに出た。美光は成績がよく親として高校を出たらどこまでも学校に出してやりたかつたが、定年退職の年に高校を卒業するところとなつては、苦しい生活の中から収入もなくなり、とても進学させてやれる状態でなかつた。

昭和四八年頃、光春の入院中、生活保護を受けたこともあつた。光春は労災補償を受給していない、浦セミも労災関係の補償は受けていない。じん肺症にかかりながらうけていないことは大なる損失である。浦ミセは現在、国民年金と子美光の援助で、かつて光春と一緒に住んでいた町営住宅で一人、夫の供養をしながら生活している。

第二 被告の主張

一 職歴

1 被告における職歴

(一)(1) 同人は昭和一四年五月より同年一二月まで鹿町鉱において採炭係に所属し技術助手(坑内保安係員助手)の職名で就労した。

(2) 同人は昭和一五年一月より昭和二〇年一〇月まで鹿町鉱において採炭係に所属し、坑内保安係員の職名で就労し一旦退職した。

(3) 同人は昭和二一年八月より昭和二七年五月まで鹿町鉱において事務助手(採炭係)の職名で就労した。

(4) 同人は昭和二七年六月より昭和三〇年七月まで鹿町鉱において事務助手(労務係)の職名で就労した。

(5) 同人は昭和三〇年八月より昭和三一年三月まで鹿町鉱本ケ浦鉱において坑外火薬庫番の職名で就労した。

(6) 同人は昭和三一年四月より昭和三二年三月一三日まで本部業務課において事務助手(倉庫係)の職名で就労した。

(二)(1) 同原告が就労した坑内保安係員・同助手の担当業務は採炭とか掘進とかに固定されているものでなく、業務の都合によつて担当は替るものであつた。

(2) 同人が昭和二一年八月以降就労した事務助手および火薬庫番の業務はいづれも坑外事務の作業であつて粉じん職場ではない。

2 被告入社前の職歴

(1) 大正五年四月より大正九年四月まで 浜野鉱業(株)鹿町炭鉱 採炭   (2) 大正九年五月より昭和九年一月まで 官営八幡製鉄所鹿町炭鉱採炭・係員助手

(3) 昭和九年二月より昭和一四年五月まで 日本製鉄(株)鹿町炭鉱 係員助手

3 被告退職後の職歴はない。

二 健康障害と死亡原因

1 同人は被告退職後、実に一八年間を経過した昭和五〇年六月に至つて、七三才で初めて管理四の行政上の決定をうけたが、その内容をみるに、エックス線写真の像は二型(PR2であつて軽く)にすぎず、肺機能障害があつた(F3)ため管理四の決定を受けたものである。

2 さらに、右管理四決定当時、同人は既に七三才の高令であつて、加令による肺機能低下現象はさけられず、じん肺症状に類似する肺機能障害を呈する他の疾病(老人肺等)の要因もまた否定できないところである。

3 同人は喫煙の常習者であつた。肺機能障害の要因となることは否定できないところである。

4 同人の昭和五〇年一月二一日付「じん肺健診結果証明書」によれば、その既往症欄に「肺炎(三〇才)」の記載がなされている。同人が三〇才の当時(昭和七年頃)とすれば、被告創立前のこととなる。肺機能低下に全く関係がないとは断定し難いところである。

5 同人の「死亡診断書」によれば、死亡の原因は「急性肺炎」である。

6 同人の死亡年令(七六才)は我が国の男子平均寿命をこえている。

三 生計状況等

1 同人は、長男及び二男を高校に進学させ(うち一名中退)さらに同人が昭和三二年三月被告を定年退職するまでに同人の子供らは全員就職して、現在に至るまで夫々独立の生計を維持している。

2 遺族原告ミセは、その生活収入として、昭和四八年以降生活保護費(月額三万七千円)を受給し、さらに現在国民年金老令福祉年金(年額約三〇万円)を受給している。昭和五〇年じん肺管理四認定後死亡までの間、被告から労災特別援護措置として合計八九万一千円を受給(月額平均二万五千円)している。なお、同ミセは現在八三才である。

以上のとおり、日常生活破壊の事実はない。

第三 当裁判所の認定

一 職歴

1 被告での職歴

(一) 被告の主張一1(一)(1)ないし(4)のとおり。

(二) 昭和三〇年八月から昭和三二年三月まで鹿町鉱で火薬庫番(坑外)に従事した。

右(一)(二)のうち、昭和二一年八月以降の職種はいずれも粉じん作業ではなかつた。

2被告以外での職歴

被告の主張一2のとおり。

但し、同一2(2)のうち、採炭に従事したのは大正九年五月から昭和五年四月までである。

二 家族関係等

原告の主張二のとおり。

他に光春には前田キノとの間に昭和二年八月二〇日光徳が出生した。

三 症状の経過

1 光春は昭和二〇年ころから、息苦しさ、疲労を訴え、せき、たんの症状があり、それまでの職種での就労が苦痛となつて同年一〇月いつたん被告を退職した。その後昭和二一年再度被告に入社してからは、坑外の軽作業に従事していた。

2 昭和三二年定年退職後は仕事はできず、身体の調子のよいときに魚つりに行く程度であつた。

3 せき、たんの症状は続いており、昭和四五年ころから久田病院で通院治療を受けていたが、夜間診療を必要とするときもあつた。

4 昭和四九年末、江迎病院で受診し、じん肺と診断され、昭和五〇年六月二日管理四(PR2F3K1TB(−))と決定された。

5 昭和五二年一月から同病院に入院したが、家族の付添看護を要し、用便も便所ではできない状態であつた。昭和五四年一月三日、じん肺症による急性肺炎を原因とする心不全で死亡した。

四 生活状況等

光春は前記のとおり身体不調のため昭和二〇年被告を退職したが、家族(当時末子は四歳に満たなかつた。)を養うためには働かざるをえず、被告に再就職したが坑内に比べ賃金は低かつた。昭和三二年三月定年退職後は無収入となり、高校に在学していた二男幸生は生活苦のため中退した。借金をして分割弁済したこともあつた。

昭和四八年に入院してからは生活保護を受けた。労災補償給付は受給しなかつた。

五 証拠<省略>

二次 三番久世光治

第一 原告の主張

一 粉じん職歴

1 鹿町鉱小佐々坑 掘進 昭和二二・一〜三六・九

2 矢岳鉱 採炭 昭和三六・一〇〜三七・三

二 家族関係等

久世光治は大正七年一一月六日出生し、昭和二二年シズ子と結婚し、長男孝男、長女郁子をもうけた。同人は昭和五七年四月六日死亡した。

三 症状の経過

1 昭和三二年ころから次第に風邪を引きやすくなり、仕事をやすむことがあつた。

昭和三七年に大阪に行つたころから咳がひどくなつた。

昭和三九年ころ咳が余りにもひどいので診察を受けたところ、喘息と言われた。初めは、注射を打つと治まつていたが、発作の期間が次第に短くなつた。漢方薬も試してみたが、効き目があるのは使い始めのころだけであつた。

2 昭和五三年北野病院で受診したところじん肺であることがわかり、五三年初めころ入院し、同年六月七日管理三ロ(PR3)続発生気胸と決定された。

それ以前からたんが多く出るようになつていたので、右入院のころたんの吸引器を購入した。約半年入院し、退院後は自宅療養を続けていた。

音や臭いに対して敏感になつていた。少し強い臭いを嗅いだだけで咳込む有様であつた。具合の悪い時は、テレビの音や、孫の泣き声すらうるさがつて、苦しそうな様子であつた。子供達はイヤホーンをつけテレビを見ていた。

3 昭和五五年ころからはほとんど動けなくなり、寝たきりの状態であつた。

少し体を動かしただけで、息が切れて苦しがつていた。苦しそうにしている時は、妻シズ子が何時間も背中をさすつてやつていた。

用便や入浴も一人ではできなくなつた。シズ子が肩を貸したり、おぶつたりして連れて行かなければならなかつた。その後ろを長男の嫁がイスを持つてついて来て、時々休憩しながらでなければ、トイレや風呂場まで行くこともできなかつた。用便後はひどく苦しい様子で、自分で尻を拭くこともできなかつたので、いつもシズ子が拭いてやつていた。そして、部屋に戻つてからは、背中をさすつてやらなければならなかつた。風呂には胸までつかることができなかつた。胸が圧迫されて苦しかつたからである。入浴後も、同じく背中をさすつてやらなければならなかつた。

いつも暑がつていた。冬でも厚手の服は着れなかつた。ひどい時は真冬でも窓を開け放して扇風機を回していた。ストーブをたくとすぐ苦しそうな息をし始めた。

横になつて眠ることさえできなくなつた。横になると胸が圧迫されて苦しいと言つて、座つたまま眠つていた。

4 昭和五六年一二月、吸引器でもたんを吸い出すことができなくなり、呼吸不全を起こしたので、再び北野病院に入院した。いつも、酸素吸入と点滴と排尿の管を三本つけていなければならなかつた。眠る時も三本の管をつけたまま、壁に寄りかかつて座つて眠つていた。食欲もなく、体はやせた。せめて死ぬ前だけでも楽な思いをさせてやりたいと考えて、シズ子が医師に頼み込んで、モルヒネ注射を打つてもらつた。注射の後はしばらく横になつて眠つていた。

入院中も、シズ子がいつも背中をさすつてやらなければならなかつた。薄手での服はすぐ背中が破れてしまつた。甚兵衛も二枚、背中がすり切れてしまつた。シズ子の両手の指からは指紋が消えてしまつた。

光治はよくシズ子に「こんな苦しい思いはもうたくさんだから、この管を外してくれ」と頼んでいた。

昭和五七年二月、たんがたまつて取り出せなくなつたので、喉を切開した。一時良くなつたかにみえたが、その後また呼吸不全を起こし、同年四月死亡した。

四 じん肺罹患による損害

光治が元気なころは、仕事一筋の男であつたので、家族揃つてどこかに出かけるようなこともほとんどなかつた。

具合が悪くなつてからは、臭いや音にまで過敏になつたので、家族は皆光春の顔色をうかがいながら暮していた。

シズ子は料理にまで気を使わなければならなかつた。子供達はテレビをつけることすらままならなかつた。光治はいつも死の恐怖に怯えていたので、知人の死亡報告も気分の良さそうな時にしかできなかつた。音のない、家族の会話のない暗い家庭であつた。

光治は、老後は田舎でのんびり暮らしたいと考え、被告退職時に佐世保に土地を買い求めていたが、そのささやかな望みすら実現できない体になつてしまつた。そして、いつも「何であんなにむちやくちや働いたんやろうか。もう小しほどほどにしとけばじん肺にならずにすんだかもしれんな」と後悔していた。

第二 被告の主張

一 職歴

1 被告における職歴

(1) 光治は昭和二二年一月より昭和三四年七月まで小佐々坑において採炭の職種で就労した。

(2) 同人は昭和三四年八月より昭和三六年九月まで小佐々坑において掘進の職種で就労した。

(3) 同原告は昭和三六年一〇月より昭和三七年三月一二日まで矢岳鉱において採炭の職種で就労し、同日付で退職した。

2 被告入社前の職歴

(一)(1) 昭和八年より三年間 山野炭鉱(モチオトシ) 測量

(2) その後 三年間 同鉱掘進

(3) 昭和一八年頃半年間 昭和炭業(株) 平田山炭鉱 鉱内係員

(4) 昭和一四年頃より同一七年頃まで   同一八年一二月より同二一年一一月まで 兵役

3 被告退職後の職歴

(一)(1) 昭和三七年四月より約六年間 安積瀘紙(株) 機械操作

(2) 昭和四四年頃より昭和五三年初めまで 同社 仕入管理

(二) 右(1)の機械操作は粉じん作業である。

二 健康障害と死亡原因

1 同人は被告退職後、一六年間を経過した昭和五三年に至つて、管理三ロ(エックス線写真の像は三型)とされたが、続発性気胸の合併症があるため「要療養」の行政上の決定をうけた。

2 原告らは昭和三二年頃の健診でじん肺に罹患したことを被告において知つており乍ら適切な措置をとらなかつたと言うが、全く事実に反する。即ち、健診において光治がけい肺ないしじん肺症と診断されたとする何らの裏付けもなく、又被告退職後においても就労先の安積炉紙(株)の健診は勿論、小林医院及び城東区の病院においてもけい肺・じん肺症と診断された事実すらない。昭和五三年北野病院において初めてじん肺症の診断をうけたのである。

3 同原告は昭和五七年四月六日、六三才で死亡した。外形上の死因は硅肺及び非定型好酸菌性を原因とする呼吸不全とされているが、その死因の記載からみても、一義的なものではなく種々の要因からなつていることが判明する。

なお「六〇才をこえると都市居住者の四〇%においてエックス線上じん肺一型以上に該当する」という医学知見が発表されていることに注目すべきである。

三 生計状況等

1 同人は提訴前より自己所有の住宅(マンション・居宅部分66.23m2)に居住し、当時も労災給付二二九、二二〇円(月額換算。以下同じ)、厚年給付一四〇、九九二円を受給し、少なくとも月収三七〇、二一二円を下らない。このほか妻も就労し、勤労収入がある。

2 承継人である妻久世シズ子は、現在労災給付約二一一万円、厚年給付約一二一万円、合計年額約三三二万円(月額換算二七七、〇〇〇円)を受給し、同久世孝男と同居している。また同吉田郁子は嫁いで独立の生計を営んでいる。

したがつて、同原告及び承継人らについて日常生活破壊の事実がない。

第三 当裁判所の判断

一 職歴

1 被告での職歴

被告の主張一1のとおり

2 被告以外での職歴

被告の主張一2(一)、3(一)のとおり。

二 家族関係等

原告の主張二のとおり。

三 症状の経過

1 原告の主張三のとおり。

2 合併症として昭和五四年及び昭和五五年には続発性気管支炎、続発性気胸が、昭和五六年にはこれにさらに肺結核が加わり、昭和五七年初めころには続発性気管支炎、肺性心が認められた。

3 光治の死因は、けい肺症及び非定型好酸菌症を原因とする呼吸不全によるものであつた。

四 生活状況等

光治は安積紙株式会社では係長、課長代理と昇進したが、昭和五三年の入院後は稼働できず、定年まで休職扱いとされた。

同人の症状が重くなるにつれて家庭は暗い雰囲気となり、妻は看護に苦労した。

五 証拠<省略>

第二綴<省略>

別紙10

じん肺の知見に関する文献

―石炭鉱山を中心として―

(凡例)

(△)印は炭じんによるじん肺が鉱じんによるじん肺よりも軽い旨、又炭じんが有益、無害、少なくとも害が少ない旨主張している文献の記述を示す。

1 明治・大正期の文献

(一) 「三池炭坑夫の病源」東京医事新誌五五六号(明治二一年一一月、甲第一八号証)

第五高等中学校医学部大谷教務が三池炭坑夫を調査し、研究したものの報告文。

五名の坑夫のうち一名は肺労(肺結核)であるが、他の四名の坑夫の肺患は、「真の肺労にあらずして単に炭粉刺激に原由する慢性肺炎即ちアントラコージス(所謂坑夫肺労)なると判然たり」と指摘する。

(二) 関場不二彦「肺ノ石炭粉末吸引症ノ一例」北海医報八巻二号(明治四一年六月、甲第四七号証)

アントラコーシスの症例報告を目的とした文献。

当時、「アントラコーシス・プルモースム」(肺の炭疾)の訳をめぐつて、「炭塵ヲ吸引スル肺病」とか、「肺臓黒質浸潤病」、「仮性黒病」、「坑夫肺炎」、「肺ノ石炭粉末吸引症」、「石炭肺」等、色々の訳が試みられていたことが紹介されている。

さらに、筆者は自分の診察した坑夫のじん肺患者について、その症状等を「体格強壮偉大、筋肉発育優等ナル一丈夫ニシテ呼吸不利、脈拍頻数、偸汗、食欲不振、咳嗽激烈、鼻閉塞等ヲ訴フ」とし、肺に「笛様音」等があり、墨汁のような純黒色の痰汁を鏡検すると「炭塊末ハ殆ト一視野ヲ充填」し、無数の上皮細胞や白血球が炭粉を包含しており、弾力繊維がはなはだ多量であつたなどと紹介したのち、「患者ニシテ猶其業ヲ牢守シ摂生ヲ敢テセザルニ於テハ将来ノ続発ヲ予期スルニ難カラズ」と論じている。

(三) 林郁彦「炭肺ニ就イテ」第一七回九州沖縄医学会誌(明治四五年三月、甲第四八号証)

炭肺について多くの例を診察し、剖検を重ね、炭肺標本をいくつも作つている者が、肺の炭粉沈着の様子、患者の臨床的変化、結核との関係等について詳しく報告している。

著者は炭肺について

1 炭粉の肺の小葉間等への沈着

2 肺胞壁の一部消失

3 所々の真黒色の小結節化

4 栗粒大、鶏卵大の大結節化

5 結節が肺の大部分を占め黒色硬変となる(血管を消失させ栄養障害をきたす)。

6 肺の中心部が軟化し、黒汁様内容の空洞ができる。

という段階を説明し、五種の各段階の標本を示している。

また、臨床的変化については、急性肺炎を起こしやすいこと食欲欠損、体力消耗、衰弱、乾性咳嗽等を論じており、炭鉱夫歴二三年の患者について、その症状(呼吸ひつ迫、心悸抗進、黒色痰等)、剖検結果(黒色硬変、右肺空洞化全身うつ血)を報告している。

さらに、続発症状として肺気腫、心臓拡張肥大、肋膜肥厚・癒着、気管支拡張、気管支炎があるとの説明もある。

また著者は炭肺と結核の関係についても、議論を紹介し、炭肺と結核を併発している標本について述べ、その区別について論じている。

(四) 白川玖治「炭鉱十年以上勤続(又ハ在勤)鉱夫ノ健康状態調査成績」衛生学伝染病学雑誌一七巻二号(大正一〇年一二月、甲第五〇号証)

筆者が、大正九年一一月に北海道の九炭鉱で実施した鉱夫の健康状態調査の成績。調査は健康全般に関するものであるが、とくに炭鉱病のひとつとして炭肺を指摘し、この部分について詳しく報告を行つている。結論として、炭肺については、次のとおり述べている。

(イ) 罹患数意外ニ少ク検査人員ノ約八分ニシテ一割ニモ達セズ、即チ真症ノミナレバ坑内夫ノ5.2%ニシテ疑症ヲ入ルモ猶7.8%ニ過ギズ、坑外夫ニハ疑症一名アルノミ(第一五表)。

(ロ) 罹患率ハ一般ニ坑内勤続年数ト共ニ増加(殊ニ二十年以上者ニ至リテ激増)スレドモ又素因ニヨリ十数年ニシテ罹病スルモノアリ又四十余年ヲ過グルモ異常ナキモノアリ(第一五表)。

(△)(ハ) 鉱山(金属山)稼働ノ既往ヲ有スルモノハ純炭山稼働者ニ比シ約五倍の罹患率ヲ示シ且ツ罹患者ノ病症多クハ前者ニ重キ事実ハ呼吸器ヲ侵害スル点ニ於テハ炭粉ニ比シ石粉ノ害毒大ナリトノ定説ニ一致ス(第一六表)。

(ニ) 職別ヲ見ルニ炭塵吸入ノ最モ多キ掘夫ノ罹患率最モ高ク支柱夫之レニ次ギ坑外夫トシテハ撰炭夫ニ唯一名ノ疑症者アリシノミ(第一七表)。

(ホ) 病型ハ肺気腫型最モ多ク全数ノ過半ヲ占メ又何等所見ナク坑内永年稼働ノ既往ヨリ推断シテ疑ヲ置クニ止マルモノ三四%以上アリ(第一八表)。

(△)(ヘ) 罹患者ノ症状ハ一般ニ鉱炭山稼働者ニ重ク休業者ハ全部嘗テ金属山ニ稼働セルモノナリ。

罹患者中就業上何等影響ナキ軽症者ハ八五%ニシテ多少影響アル中等者八九%休業中ノ重症者六%ニ過ギズ。

重症者ト雖モ猶所謂廃朽ニ属スベキ程度ノモノ一名モナシ(廃業者ニハ廃朽一名アリ鉱炭山稼働者ナリ)(第一九表)。

(ト) 稼働後症状起始ニ至ル迄ノ年数ハ素因、坑内ノ事情等ニヨリ異ルコト勿論ニシテ本調査ニテハ平均19.6年ナリ。

(△)(チ) 上記ノ如ク罹患率少ク軽症者多ク且ツ鉱炭山稼働者ニ影響大ナル事実ハ鉱山ノ場合ト大ニ趣ヲ異ニスル所ニシテ炭塵吸入ノ害毒ハ従来考ヘラレタルヨリモ(炭山ハ鉱山ヨリ害少シトハ従来ヨリ一般ニ認メラレタル事ナレドモ猶危険視サレ居タリ)遙カニ少キモノナランカ。

(リ) 礦山稼働者の炭鑛使役ニ就キテハ常ニ将来スベキ虞アル炭肺ニツキ考慮スルヲ要シ且ツ一度症状起始スレバ坑外ニ転業セシメ疾病防止ノ策ヲ講ズベキモノトス。

礦夫中ニハ嘗テ鉱山稼働中咳痰出始メタルタメ怖ロシクナリ廃業ノ上数年農業又ハ漁業ニ従事シ健康恢復後更ニ炭礦ニ入リタルモノ可ナリアリタリ。

(五) 大西清治「鉱山衛生ニ関スル研究(其ノ三)所謂鉱業塵ニ就テ」十全会雑誌二八巻八号(大正一二年八月、甲第五二号証)

大阪鉱務署技師大西清治が「鉱山衛生に関する研究」の一環として行つた「鉱山塵」についての研究を報告した文献。外国の研究成果を調べ、鉱業塵の種類、性質、定量法、各作業場の発生量等を詳しく紹介している。

筆者は、「鉱業的ニ生ズル塵埃」について、「鉱山衛生上亦重要ナル問題ニシテ各作業場ニ於ケル発生量ノ多キニ至リテハ只唖然タルノミ」、「工業的ニ来ル健康障害ノ大部分ハ実ニ之ニ伴フ塵埃ニ起因スト看做セリ」、「塵埃作業ニ従事セル労働者ノ健康状態ハ極メテ不良」と述べる。そして、その「塵埃ノ有害作用」として、「肺組織ニ著明ナル変化ヲ呈スルニ至ル」と指摘し、その具体例として「炭肺」と「ヨロケ」をあげる。特に、炭肺に関連して、「有機酸鉱塵」の害性として、「石炭、褐炭、及「アスファルト」ハ之ニ属スベキモノニシテ、其ノ吸入ニヨリ Anthra-kosis ヲ起シ得ベキハ著明ナル事実ナリ」と指摘している。

筆者は結論として次のように述べている。

一 鉱業塵ノ研究ハ直チニ鉱床ト疾病トノ関係ヲ論ズルニ当リ最モ有力ナル助言ヲナス。

二 鉱業塵ハ機械的及化学的ノ刺戟ノ二作用ヲ現シ共ニ強烈ナリ。

三 坑内採鉱ニアリテハ水洗式ニアラザル「ストーパー」鑿岩最モ粉塵飛散甚ダシク空気一立方米突中最大五四五mgヲ含有ス。

四 製錬作業ハ其ノ操作状態ニヨリ粉塵飛散度ヲ異ニス、即チ主トシテ粉鉱処理ノ其ハアラユル過程ニ於テ極メテ多量ノ粉塵ヲ飛散セシム。

五 黒鉛撰鉱場ニアリテハ他種鉱山ノ同作業ニ比シ遙ニ多量ノ粉塵飛散アリテ最大四九二mgヲ示セリ。

六 粉塵飛散甚ダシキ工場ニテハ其ノ食堂、休憩室或ハ浴室等ハ別個ノ建築物中ニ設ケシムルヲ要ス。

七 鉱業塵ノ定量ハ濾過法ニヨリテ相当ノ成績ヲ得ベク、其ノ大サ最大46.0mgヨリ最少0.3mgノ間ニ在リ。

(六) 大西清治「鉱山衛生ニ関スル研究其ノ五防塵マスクノ効力ニ就テ」十全会雑誌二九巻六号(大正一三年六月、甲第五三号証)

前記(五)に引き続き、大西が鉱山衛生、とりわけ防塵対策の一環として、マスクの防塵効果等について行つた実験をまとめたもの。防塵のためのマスクの効用が強調され、当時まで「レスピラートル」とよばれる防塵マスクの効果について外国で相当数の調査研究が行われていたことが紹介されている。また、実態として、坑夫は塵埃特にはなはだしい場合に、一時的に手拭で鼻口を被うのみであるが、それでは不完全であると記されている。実験によれば入手容易な濾過材としては脱脂綿が最も効果が高いとされている。

坑内でのマスク使用は煩雑で不快感があり、使用が嫌忌されやすいため、構造が簡易で重量が軽く、呼吸抵抗が少いこともマスクの重要条件としてあげられる。

(七) 内務省社会局「坑夫ヨロケ病及ワイルス病ニ関スル調査」(大正一三年八月、甲第五四号証)

仙台鉱務署技師原田彦輔が、大正一〇年および一二年に行つた金属山における「ヨロケ」調査をまとめ、報告した文献。

本文献では、患者の年令、業種、勤続年数、主訴、臨床所見、予後経過、発病原因について詳しく調査結果が報告されておる。

本文献は、「鉱肺トハ所謂『坑夫ヨロケ病』ノ義ニシテ」「坑内作業殊に坑内採鉱ニ長期勤続セル鉱夫ニ発病スル慢性呼吸器病ナリ」と定義し、主訴として呼吸障害、胸痛、食欲不振、衰弱を報告している。臨床的所見としては、衰弱、皮下脂肪組織消耗、皮膚弾力減少、老人様顔貌、咳嗽・呼吸の促迫、肺組織の浸潤、胸濁音、呼吸音の変化及び雑音、墨汁様や粘液様の喀痰などがあげられている。予後経過については発病初期にして軽症なるものは大多数二ケ月未満にして治癒し健康を回復するも再び入坑就業するときは再発するもの多く、かつ再発患者は漸時治癒期間遷延し重症に移行する旨述べて、早期の職場離脱を強調している。業種別、勤続年数の統計では、粉じんの多い職場に長くいる程発病が多く重いという関係が明らかになつている。また結核との合併が多いことも指摘している。

発病原因については、「鉱肺カ多年坑内作業殊に採鉱ニ勤続セルモノニ発患スル慢性呼吸器病ナルニ依リテ見レハ発病ノ原因カ坑内ニ於テ発生スル塵埃即チ鉱石塵、岩片ノ吸入竝坑内ノ不良ナル衛生状態等ニ帰スヘキヲ推測スルコト難キニアラス又体質的素因ノ関係アルヘキヤ勿論ナレトモ発患ノ誘因トシテ寒冒ハ重要ナル関係ヲ有スルモノナリ」とする。

第一回報告の総括として次のとおり述べている。

「一 鉱肺トハ所謂『坑夫ヨロケ病』ノ義ニシテ坑内作業殊ニ坑内採鉱ニ長期間勤続セル鉱夫ニ発病スル慢性呼吸器病ナリ。

二 患者ハ殆ント悉ク坑夫ニシテ八四、一%ハ坑夫トシテ従業セル間に発病セリ。

三 患者年齢ハ平均四十九歳弱ニシテ其ノ発病ニ至ル勤続年限ハ普通十年以上平均二十二年弱ナリ。

四 発病ノ誘因トシテ寒冒ハ重大ナル関係ヲ有ス。

五 診断上老人様顔貌、墨汁様喀痰、極端ナル呼吸障害、肺浸潤等ハ本病ノ主徴ナリト称セラルル所ナレハ重症者ニノミ認メラルル症候ナリ。

六 喀痰中ニハ屡多数ノ塵細胞ヲ発見スルモ喀痰墨汁様ナル場合ハ細胞外顆粒多量ニシテ形態上岩片、鉱石塵卜認メラルルモノヲ混ス。

七 墨汁様喀痰ノ多数ノモノニ於テハ結核菌ヲ認ム(71.4%)

八 臨床的ニハ肺結核、肺気腫、慢性間偵性肺炎、慢性気管技炎等ニ類別セラルルモ初期ニハ慢性気管支炎トシテ発病シ肺気腫、或ハ慢性間偵性肺炎ニ移行シ末期ニハ肺結核ヲ合併スルモノ多数ナルカ如シ。

九 豫後ハ甚タ不良ニシテ死亡者竝解雇者(癈朽)五〇%ニ達シ初期軽症ナルモノハ治癒ニ赴クコトアルモ屡反複再発シ漸次重症ニ移行ス。就業ヨリ癈朽ニ至ル迄ノ期間ハ普通二四年以上ニシテ平均二十九年強ナリ。」

次に第二回報告の中で坑内採鉱について次のように述べる。

「鑿岩機ハ生野及明延ニテハ悉ク水注式ナレトモ足尾ニテハ採鉱ニ使用スル所謂足尾式小型機尤モ多数ニシテ注水装置ヲ欠キ機械ノ使用ニ際シ鉱塵発生最モ多シ別子ニ於ケル別子式小型機ハ殆ント悉ク注水装置ヲ有スレトモ鉱夫ハ使用ニ際シ水ヲ注加セサルモノ少カラス肉眼的観察トシテ最モ鉱塵発生多キハ足尾銅山使用ノ足尾式ニシテストーバ式機之ニ次キ其ノ他ハ大同小異ナリ。

手掘作業ハ各鉱山トモ肉眼的所見ニ於テ大差ナク上向穿孔ナラサル限リ注水シテ作業スルヲ常トス

地質及鉱床ニ於テハ各々特色ヲ有ス。」

本文献中原田が担当する調査は専ら金属鉱山に関するが、「鉱肺ニ関スル文献概要」の項で石炭にもふれるハルダンの説を次のように紹介している。

(△) 「無機性塵埃ノ内媒煙、石炭、頁岩、石灰岩、石膏、長石等ハ比較的無害ニシテ石英、燧石、ガニスター砂、花崗岩等石英ガ純粋無水硅酸ノ形ニテ含マルル岩石塵ハ一般ニ危険ナリ……(中略)……而シテ石炭其ノ他非結晶性無定形、不溶解性物質ハ多少吸収性及凝縮性ヲ有スル為此等ノ物質カ原形質内ニ遊離溶解スル為細胞ヲ刺激シ排除作用ヲ起サシム、即チ石炭坑内爆発予防ノ為ニ行フ頁岩塵散布ニ際シ頁岩カ平均五〇%ノ硅酸特ニ約三五%ノ純石英ヲ有スルニ拘ラズ実際上無害ナルハ頁岩塵中ノ無定形微粒カ喰細胞ノ生理的活動ヲ刺激スルニ依リテ結晶性石英ヲモ同時に排除スル為ナリ、然レトモ結晶性不溶解塵タル雲母、長石ヲ混セル花崗岩塵ノ如キ場合ニハカカル作用ヲ認メ得サル為花崗岩塵ハ硅石等ト同様ニ有害ニ作用スルモノナリ。」

右に関連し硅酸の繊維化作用が化学的作用であつて理学的特質ではないとするガイ及ケツツルの所説を紹介したうえ、結論として、鉱肺一般に関し次のように結論している。

「要スルニ鉱肺発生の病理ニ関シテハ未タ鮮明ナリト云フヲ得サレトモ無水硅酸ハ最モ重要ナル根本的関係ヲ有スルモノニシテ肺組織ヲ繊維化セシメ且ツ結核菌感染ノ好機ヲ与フルモノナルヤ疑ヒナキモノナリ、但シ一般ニ塵埃吸入ハ其ノ量多ケレハ常ニ肺組織ヲ障害スルノミナラス気管支炎ヲ誘起シ得ルモノナリ。」

(八) 全日本鉱夫総連合会、産業労働調査所共著、「ヨロケ=鉱夫の早死はヨロケ病=」大正一四年五月(甲第五五号証)

鉱山労働者を代表する側からヨロケの実態や被害状況を明らかにし、労働者にわかりやすく解説したパンフレットである。

ヨロケの症状とその進行、これによる死亡は「すでに金属山の鉱夫諸君は皆よくその惨状を見分して既によく知つているところである」と記され、また、大正一三年の内務省社会局の「坑夫ヨロケ病及びウイルス病に関する調査」をもとに、発病の実態を説明し、「飯を食うためには働かなければならない。しかも精出して働けばこうした死神が両手を広げて待つている。まさに人生悲惨の極みではないか。」と、その悲惨さを明らかにしている。

原因としては、飯場制度等住居の非衛生、低賃金による栄養不良、坑内の衛生設備の不完全を前提に、石塵、鉱塵、埃烟の吸入により肺構造が変化するためと分析されている。

予防法としては、賃金を増加させ栄養をよくすること、通気、温度等の坑内衛生状態の改善、労働時間、坑内滞留時間の短縮、さく岩機の湿式化、マスクの支給、防塵器具の使用、開発等が要求され、さらに定期健康診断、発症による粉塵職場からの離脱も要求されている。さらに、ヨロケ保護に関し療養手当の支給、廃疾者の生活の保護、遺族への扶助料の充分な支給が要求され、国に対しても職業病としての認定とこれに対する療養保護の使用者への強制、最高労働時間、最低賃金の決定、衛生監督局の設置を要求している。

(九) 商工省鉱山局「本邦重要鉱山要覧」(大正一五年七月、甲第五七号証)

鹿町炭鉱において大正一四年に「湿式さく岩機」が使用されていたことを記している。

本文献は、鹿町炭鉱の場合につき、「岩盤開鑿には手掘又は「インガーソル」手持噴水鑿岩機を用ふ」と述べている。

(一〇) 南俊治「鉱山衛生」(大正一五年一一月、甲第五八号証)

内務省社会局技師である著者が著した鉱山衛生についてのきわめて詳しい概説書、職業的疾患の第一に鉱肺、炭肺があげられ、相当量のスペースをさいてその解説を行つている。その解説は金属鉱山、炭鉱を含む鉱山に関する。

鉱山労働及びその危険の予防の項で、まず粉塵がさく岩機によつて多量に生ずること、湿式さく岩機の使用は粉塵防止上の一大福音であることが記され、湿式さく岩機を高く評価している。また、坑外でも選鉱場等で、粉塵が多量に発生することが述べられている。粉塵の有害性について次のように述べる。

「鉱石塵ノ有害作用ハ其種類、性質、量等ニヨツテ差異ヲ生ズルノハ勿論デアルガ、主トシテ機械的作用ト化学的作用トニ分ツコトが出来ル、即前者ハ呼吸器粘膜及眼粘膜ニ作用シ、後者ハ直接皮膚又ハ粘膜ニ作用スルカ或は吸収セラレテ全身症状ヲ呈スルノデアル。例ヘバ石英粗面岩、硅酸鉱塵ノ如キハ尖鋭デアリ、硬度モ高ク従テ一度吸入サレルト排除スルコトガ頗ル困難デアルカラ炭塵ノ如キ軟柔ノモノニ比シテ其ノ呼吸器粘膜ニ及ボス傷害ハ甚ダ大デアル、又方鉛鉱塵、満俺鉱塵等ノ如キモノハ吸収セラレルト往々ニシテ中毒を起ス虞ガアル。

本来健全ナル呼吸器管ハ塵埃ノ如キ異物ノ侵入ニ対シテ有力ナル防禦力ヲ有シテハ居ルケレドモ、粉塵ノ飛散甚シキ場処ニ労働シ絶ヘズ之レヲ吸収スルト遂ニハ種々ノ病的症状ヲ呈スル様ニナルモノデ、其軽度ノモノハ気管支加答児トシテ現ハレ、時日ノ経過、症状ノ進行ト共ニ上皮細胞ノ微細ナル間隙ニ集積シ、更ニ進ムデ肺組織ニ著明ナル変化ヲ呈スルニ至リ、カクシテ所謂塵埃着肺(鉱肺、炭肺等)トナルノデアル。豫防トシテハ可成的粉塵ノ発生セヌ様ニスルコトハ勿論デ個人的ニハ「防塵マスク」ノ使用デアル。

炭肺について次のように述べる。

「炭肺。鉱塵ノ吸入ガ鉱肺ヲ発スル如ク、長年月間ノ炭坑労働ニヨリ吸入シタル炭塵ハ漸次肺実質ニ侵入沈着シテ炭肺ヲ生ズル。

症状。軽度ノ場合ニハ自覚的症状ヲ欠除スルノガ普通デ、炭塵ノ沈着ガ或ル程度ニ迄達スルト咳嗽・黒汁咯痰・呼吸困難・貧血等ノ諸症状現ハレ終ニ肺気腫ニ移行スルコト多ク又炭塵ノ沈着過度トナレバ終ニ肺ニ空洞ヲ生ズルニ至ルコトガアル。

診断。炭肺モ又鉱肺同様何等特異ノ臨床的症状ヲ有セザルガ故ニ其診断ハ困難デアル。

豫防。個人的ニハ防塵「マスク」ノ使用ヲ第一トスルガ坑夫ハ其使用ヲ好マヌ傾向ガアルカラヨク訓練スル必要ガアル。一般ニ炭肺ハ炭塵ガ細末トナレバナル程、通気ガ不良ナレバナル程又切羽が狭溢ナレバナル程罹リ易イモノデアルカラ此等ノ点ハ豫防上充分考慮スベキコトデアル。豫防ニ関シテハ鉱肺ノ場合デモ同様デアル。」

2 昭和一年から同五年までの文献

(一) 原田彦輔「坑内作業の衛生」・鉱山講話第三冊(昭和三年五月、甲第一四号証)

日本鉱山協会が発行した平易な本であり、鉱山監督局技師兼商工技師・医学士である著者が執筆したものである。「石炭坑」も眼中において述べている。そのうち、「坑内空気の衛生」の項の中で「粉塵」について次のように述べている。

(△) 「粉塵、採掘作業には常に鉱物岩石の粉塵を発散せしめる、石炭塵は割合無害であるけれども総て粉塵は甚だ多量なれば有害である、殊に岩石塵(石英質)は少量でも呼吸器を害し鉱肺を起す危険がある、予防には鑚岩機其の他に可成水を用ふること、粉塵の多い所の作業には防塵仮面の使用を必要とする。」(ふりがな省略)

(二) 「外報摘録」石炭時報三巻一一号(昭和三年一一月、甲第五九号証)

(1) 「炭塵の成因と其防止法」

米国鉱山局の炭塵の成因とその防止法に関する報告の概要。

炭塵発生の最大の要因として「下透し掘り」を指摘。また「機械穿り」、「炭車運搬路での振動」による発塵についても指摘する。乾燥下での「下透し掘り」では、一立方メートル当り九八億一、〇〇〇万粒(9,810個/cm3)の発塵があるという。

炭塵防止策としては、截炭棒への散水、注水、積込前後の散水、空車への散水、その他、坑内要所への散水をあげるほか、崩落石炭への散水、切羽水洗、炭車注水など、徹底した注、散水の必要を指摘する。

(2) 「岩粉の検査に就て」

南アの研究を紹介した外報。岩粉の有害度を顕微鏡検査する場合、通常光線使用と偏光光線使用とを比較してみたもの。

(三) 日本鉱山協会「鉱夫ノ疾患ニ関スル統計」(昭和三年五月、甲第六〇号証)

本報告は、商工省鉱山局が大正六年から発表してきた「本邦鉱業ノ趨勢」のうち、「鉱夫死傷病者半年報」および「鉱夫死傷病者月報」をもとに、これを統計資料としてまとめたものである。編者は、「鉱山ノ衛生状況ヲ察スルニ足ルベキモノト信ズ」と緒言に述べている。

本統計によれば、鉱業全般を通じて呼吸器疾患がきわめて多く、とりわけ石炭山での患者数が最も多いことが指摘されている。

(四) 小池謙三(訳)「炭塵防止の新方策」労働科学研究五巻二号(昭和三年、甲第六一号証)

炭塵防止についてのドイツの報告の訳文。

炭塵の発生が「鉱業の発達特に採炭及運炭の漸次増大する機械化」に伴つて激しくなることを指摘。その対策として、散水法、岩粉法と発達してきたことを紹介し、岩粉法については、「健康障害の問題がある」とし、続けて、軟かい岩粉を使用する岩粉法についても、「少くとも炭塵同様に有害である」、「岩粉が長期に亘つて何等人間に健康障害の作用を及ぼさないというのは無稽である。何故なれば、あらゆる不潔な、塵埃を含有する空気は、長期に亘れば人間に対して有毒であるからである」と指摘する。

そして、このような理解の下に、瓦斯排除法をあるべき炭塵対策の方向として示す。この方法は、主としてガス抜きを目指したものであるが、これに除塵法を組み合わせ、塵埃吸出組織とし、除塵管により炭塵を吸い出す。この方法は、炭塵の危険を抜本的に克服し、費用も岩粉法に比してさほど高くないと述べている。

(五) 大西清治「鉱肺(硅肺)に関する輓近の研究」石炭時報四巻八号(昭和四年八月、甲第六二号証)

内務省社会局技師である筆者が硅肺について石炭鉱業連合会で行つた講演内容をまとめたもの。

鉱肺の医学的方面として、臨床症状、罹病率、就業年数、調査研究機関について紹介され、また、被害者に対する補償についての各国法制が紹介されている。わが国の状況については、研究が進むつつあることが指摘され、特に、「極めて最近北海道の石炭山にて本病と認むべきものが可成り多数に経験せられつゝあることが、札幌鉱山監督局の西島技師から知ることを得た。その後夕張炭鉱の白川学士が炭肺と結核に就いて余程詳細なる研究を遂げられつゝある事がわかつた」として、石炭山の珪肺について特に触れている。

(六) 大西清治「鉱夫の災害と疾病」石炭時報五巻三号(昭和五年三月、甲第六四号証の二)

本文献は、これら鉱山衛生に関する統計資料を内務省社会局技師である筆者が分析し、まとめたものである。

呼吸器の疾患について、「坑夫の疾患中最も多き疾患である。鉱夫保護問題としても等閑視するを得ざる方面である。之に属するものとして、気管支炎、肺炎、肺気腫、炭肺、結核等を挙げることが出来る」と指摘する。

次いで筆者は、炭肺について論及し「石炭坑夫に炭肺の来ることは、余程古くより知られていた事実である」と指摘する。なお、筆者は、炭肺と言われていても、実際には炭粉のほか、石粉をも吸収し肺組織変化が生じていると報じたベーメおよびワインスタインの報告を紹介している。

このあと筆者は、けい肺の項において「元来本病は鉱山に於ては主として金属山に来る疾患であるが、最近我国に於ても石炭坑夫にも現はるる事実が判明したのである。何故石炭山にも本病が発生するかといふに、勿論炭層のみを採つていては、先づ本病に罹る機会はないのであるが、炭層以外の岩石部分の掘進をやつている者には、夥しく硅酸塵を吸入する機会がある。即ち砂岩及び頁岩であるが、我国の石炭山の事例も全く此の掘進夫であつた。此の硅肺が石炭夫にも現はれる事は独り我国のみではない。ルール地方の炭山にも此の事実がある。」

他方、炭肺と結核との関係について次のように述べる。

(△) 「元来炭肺と結核との関係に就いては二つの学説がある。一は炭肺あるがために結核感染を制止すると見做す説であつて、世間一般に信じられつつある炭坑夫に結核少なしとする一つの根拠となつている。他の説は炭肺と結核には斯くの如き関係がなく、炭山に結核少きとする原因はむしろ他に存在するのであるといふのである。」「元来炭粉のみにては、今日の学説にては、塵埃としての作用を有するに過ぎないのであつて、結核感染に極めて好都合である特種なる変化を現はさない。炭塵そのものが直接結核に対して好影響がないとしても、坑夫の結核罹患率の低き事は事実である。」

(七) 中川信外「改正鉱業警察規則並に石炭坑爆発取締規則の説明」

石炭時報五巻三号(昭和五年三月、甲第六四号証の三)

「鉱業警察規則」(昭和四年改正)について、これを鉱山経営者に周知徹底させるため、商工省技師である筆者らがまとめた逐条解説である。

「第六十三条 坑内作業に依る粉塵の防止

坑内は地表の如くに十分なる照明を装置することが出来ぬ、照明不十分なる場所の空気中粉塵は見脱すことが多い、従つて相当清浄と思はれる坑内でも一日巡視すると鼻腔は粉塵に被はれ相当期間粉塵に汚染された鼻汁或は喀痰を出すのを普通とする。此の粉塵は概して大部分鉱塵である。鉱塵の吸入が漸次呼吸器や消化器を害することは説明する迄もないことで、硅肺や炭肺が坑内就業者に多いことは周知の事実である。即ち本条は此等粉塵を著しく飛散せしめ又は飛散せしめる虞ある作業に対して予防施設を為さしめるものである。

粉塵の吸入を予防する施設としては粉塵の飛散を防止することが専一である、従つて鑿岩機、截炭機の如き著しく粉塵を飛散せしてる機械に対しては鑿孔或は截断面に注水するとか、粉塵発散部位に収塵嚢を使用する等の防塵施設を為すべきで、此等機械に或は作業箇所の状況が施設を加へ得ざる場合、若は上向きに手掘鑚孔を為すときその他粉塵防止施設を為し得ざる作業には適当なる防塵具『マスク』を設備して置いて鉱夫に之を使用せしめねばならぬ。尚金属山で発破後排煙十分でない箇所は著しく粉塵を浮遊せしめて居る故、此等の場所でも『マスク』を使用せしめられたい。

(参考)英国炭鉱法には粉塵の飛散を予防する為め噴水又は噴霧或は有数なる他の方法を使用せざれば鑿岩機にて『ガニスター』堅砂岩其の他堅硬なる硅質岩に鑚孔するを得ずと規定し、又独乙『ハルレエ』警察規則には機械作業殊に鑿岩機作業及機械室作業の際には健康上有害なる粉塵発生に対する適当な施設により鉱夫を保護すべきことを命じて居る。」

(八) 「労働時事」石炭時報五巻七号(昭和五年七月、甲第六五号証)

労働時事として、「鉱務監督官会議」の模様が紹介され、内務省社会局長が、その挨拶で「鉱夫の硅肺は業務と密接の関係あるものでありますが、永年の労働の結果来るもので且多くは廃疾となりますものである為めに、之を業務上のものと見るや否やは鉱業法施行以来明確なる解決を見ていないのでありますが、今回此の点に付取扱方法を決定致し度いと考へて居るのであります」と指摘したことを紹介している。

又、この労働時事では、別に、炭鉱坑内夫の労働時間に関するILOでの検討内容についても触れられている。

(九) 「岩粉防止装置」石炭時報五巻七号(昭和五年七月、甲第一二七号証)

外報摘録として、さく岩機の収塵装置が紹介されている。

これは、さく岩機に「スゴニナ岩粉袋」という収塵装置を取り付け、繰り粉を収塵する方法である。英国サウス・ウエールズ地方の炭鉱に広く用いられるに至つていると紹介されている。

(一〇) 「鉱夫扶助に関する通牒」石炭時報五巻七号(昭和五年七月、甲第六六号証)

「鉱夫硅肺及眼球震盪症の扶助に関する件」と題する昭和五年六月三日付内務省社会局労働部長発労第一五四号通牒の全文紹介。

この通牒は、同一鉱山に三年以上(ただし特別の事例については三年未満)就業してけい肺に罹患した鉱夫に、鉱業法に基づく鉱夫労役扶助規則を適用し、補償を行うことを定めている。

(一一) 「鉱夫硅肺及眼球震盪症の扶助取扱方に関する説明」石炭時報五巻九号(昭和五年九月、甲第七一号証)

右雑誌編集部が前項の内務省社会局労働部長昭和五年六月三日付通牒を解説しているものである。

本文献は、右通牒第一項但書の解説として、「……硅酸と比較的縁の遠い石炭山であるからと言つて、鉱業そのものに本病発生の原因なしとは認め得ないのである。」とし、続いて、「既に石炭山の鉱夫に本病の発生しつゝある事実は英の南ウエールズに於ける炭坑或は独のルール地方に於ける諸炭坑等にて経験せられているのであり、且つ我国にても既に北海道の某炭坑にて著明なる実例が発見せられているのである」と述べている。

なお、本文献は、けい肺患者への療養の給付に関連して、治療の困難と症状の深刻さについて触れ、「硅肺のごとき疾病は引続き一年近くも治療を施して治癒せざるときは殆んど全治の見込みなく、所謂癈疾に近き状態となるものである。」と指摘している。

(一二) 「二重の接続筒を有する空気管」石炭時報五巻九号(昭和五年九月、甲第六七号証)

漏風防止を目的として風管を紹介した外報摘録である。

鉄製風管は、その接続部で漏風を起こす。本文献は、その漏風率を示し、これを防ぐための風管の接続筒として、接続部分を二重としたうえ、パッキング、リングをはめて漏管を防止する器具を紹介する。

(一三) 有馬英二外「炭肺ノレントゲン学的研究」日本レントゲン学会雑誌八巻三号(昭和五年一〇月、甲第六八号証)

北大教授有馬英二と北炭の医務部長で北炭夕張病院長であつた白川玖治の炭肺についての共同研究結果である。

緒言において、次のように述べる。

「鉱夫ノ疾患トシテ最も注目セラレテ居ル塵肺ノ研究ハ近来ニ至テ特ニ著シイモノガアル」

「従来炭塵ハ諸塵の中デハ比較的無害ノモノト見做サレテハ居ルガ然シ石塵ノ如ク特有ノ塵肺ヲ惹起スルモノトセラレテ居ル」

文献的考察の項においても、「要スルニ凡テノ鉱肺(炭肺ヲ含ム)ハソノ種類ノ如何ヲ問ハズ一定ノレントゲン像ヲ呈スルモノデ、軽重ノ差ハ塵ノ種類トソノ吸入ノ年月ノ長短ニヨルモノト解セラレテ居ル」という形で指摘されている。

有馬・白川の研究は、夕張炭鉱に永年勤務した五七三名を主体とし、これに、その家族等で病院を受診した九〇名の患者を参考に加えたものである。有馬・白川は、これらを炭肺者、石肺者、炭石肺者の三者に区分し、その比較、検討を中心に研究を行つている。その結論について、有馬・白川は、「純炭塵モ純石塵モ質的ニ同一ノ組織的変化ヲ肺ニ惹起スルモノト断定スベキデアル。カク考フルトキハ肺組織ニ及ボス影響ニ於テハ石塵ト炭塵ニ於テ何等ノ差異ヲ認メ難イト称シテヨロシカル可シ」と指摘する。

もつとも、有馬・白川も、「余等ノ研究ニヨレバ夕張炭鉱(及附近炭鉱)労働者ニ認メタル炭肺ハ主トシテ軽度(第一期)ノモノニシテ第二期及第三期ノ如キ進行型ト見做ス可キモノハ寧ロ例外ト称シテ可ナリト信ンズ」と述べている。しかし、その理由について、二人は、「ガ然シナガラ勤続年数ノ増加ト共ニ炭肺機転ガ進行スルモノデアルトノエ氏ノ論旨ハ正当デアル」「総ジテ夕張炭鉱鉱夫ニ第二及第三期炭肺ノ少数ナルハ欧米ノ様ニ永年勤続労働者ガ少イ為メト軟炭質トノ為メデハナイカト思ハレル」と論及し、むしろ、炭肺と石肺との間に質的な組織的変化のないことを繰り返し強調しているのである。

なお、有馬・白川は、「炭肺ニハ肺気腫ガ合併スルコトが又一ツノ特有ナル事実ト認メラレテ居ル」と指摘している。そのうえで、有馬・白川は、肺気腫をたんなる合併症として、炭肺から除外する。

他方、純炭塵による炭肺が比較的軽いとして次のように述べている。

(△) 「以上純炭塵ト純石塵又ハ炭石塵混合吸入ニヨル肺ノ線学的所見ヲ比較シテ是等ノ異同ヲ論ズルハ本論ノ要旨デアルガ之レヲ単ニ質的ニ観察スルトキハ是等ノ間ニ何等ノ差異ヲ認メルコトガ出来ヌ、即チ純炭塵吸入者ニ於テ見ル第一類、第二類及ビ第三類ノ階梯的所見ハ同ジク純石塵吸入ニ於テモ見ルトコロデアル、例之バ第三類ノ融何性或ハ腫瘍状大斑ヲ示スモノハ純炭肺ニ於テモ又純石肺ニ於テモ同様ニ之レヲ発見スルモノデアル、デアルカラ純炭塵モ純石塵モ質的ニ同一ノ組織的変化ヲ肺ニ惹起スルモノト断定ス可キデアル、カク考フルトキハ肺組織ニ及ボス影響ニ於テハ石塵ト炭塵ニ於テ何等ノ差異ヲ認メ難イト称シテヨロシカル可シ、然シナガラ此所ニ顧慮ス可キハ両者間ノ量的差異デアル、第一類ノ炭肺ヲ暫ク措キ、古来塵肺ニ固有ノ所見トセラレタ第二期及ビ第三期ニ属スルモノハ純炭塵吸入者ニハ漸ク五例ニ過ギヌ、然ルニ石塵又ハ主トシテ石塵吸入者ニ於テハ是等ノ進行型ガ合計二十五例ヲ算スル、此ノ両者ノ数ノ比較ハ一対五ノ比率ニ過ギヌカラ餘リ重大ナル価値ヲオクニ足ラヌ様ニ見エルガ之レヲ炭礦労働者中ノ炭塵吸入者ト石塵吸入者ニ割当テ考フルトキハ實ニ甚ダシイ相違が歴然ト生ズル(……〔中略〕……)。

即チ余等ノ研究ニヨレバ夕張炭礦(及附近炭礦)労働者ニ認メタル炭肺ハ主トシテ軽度(第一期)ノモノニシテ第二期及第三期ノ如キ進行型ト見做ス可キモノハ寧ロ例外ト称シテ可ナリト信ンズ、然ルニ炭石塵混合吸入者及石塵吸入者ニ於テハ進行型ハ彼レニ比シテ甚ダ多数デアル、此ノ事実ハ真ニ注意ス可キトコロデアル。」

(△) 「余等ノ統計結果ニ於テモ明カナル如ク軟質炭塵ハ塵肺発生機転ニ於テハ是等ノ塵種中最モ無害ノモノデアル、而シテ金属山ノ石塵ガ最モ有害デアルガ故ニ石塵ト炭塵混合吸入ニヨル塵肺ノ発生機転ニ主役ヲツトムルモノハ石塵ニ外ナラヌモノデアル。従来石炭山労働者中屡々甚ダシキ塵肺症状ヲ見出サレタノハ、カゝル混合吸入者ニ外ナラヌモノガ誤テ純炭塵吸入者ニモ起ルカノ如ク考ヘラレタモノト思ハレル。

尚此所ニ附記シタイノハ炭山ノ石塵ガ金属山ノ石塵ヨリモ確カニ其ノ塵肺性作用ノ少イコトデアル、之レモ白川ノ塵肺統計表ニ付テ明カニ証明ガ出来ル、此ノ事実モ亦石炭礦労働者ニ第二期以上ノ特有ナル塵肺ガ少イ事ノ有力ナル一原因デハナカラウカ。

余等ノ以上ノ結果ハ従来炭塵ハ煤煙ト共ニ諸塵中最モ害ノ少イモノナリトノ学説ヲ確カメタト共ニ余等ノ一人白川ガ多年炭礦医務従事中純炭礦労働者ニハ「ヨロケ」ナシトノ信念ヲ如実ニ証明シタモノト云フ可キデアル。」

以上の結論として次のように述べる。

「一 六百六十三名ノ炭礦労働者及炭礦従業員及家族ニ就テ炭肺ニ関スル線学的研究ヲ行ツタ。

二 五百七十三名ノ炭礦労働者線学的研究ニ於テハ肺ニ変化ナキモノ二百八十三名、炭(石)肺二百八十四名、孤立性浸潤六名(但シ内一名ハ後日ニ至リ肺結核ナルコトヲ確診セリ)肺気腫百三十六名、肺結核十五名ヲ見出シタ。

(△)三 純炭塵肺ノ線学的変化ハ石塵若シクハ炭石混合塵ニヨル肺ノソレト質的ニハ同一デアルガ量的ニハ大ナル差異ヲ認メル。

四 純炭肺ノ変化ハ線学的ニ三期ニ区分シ得ル、第一期ハ肺紋理増強、肺門濃大ノ像デアル、第二期ニハ肺ニ点滴状小斑影ノ瀰蔓性ニ存在スルモノ、第三期ハ肺野ニ融合性又ハ独立性腫瘍状大斑影ヲ認ムルモノデアル。

(△)五 永年勤続炭礦労働者中純炭塵吸入者ニハ主トシテ第一期炭肺ヲ認メル、第二期、第三期炭肺ハ寧ロ例外デアル。

六 余等ハ炭塵吸入者中ニ孤立性肺浸潤ヲ認メタ、此ノ中ニハ結核早期浸潤ガ存在スルコトヲ確カメ得タト同時ニ其ノ他ノ例ガ結核性浸潤ト如何ナル関係ニアルカハ断定シ得ナイ。

七 炭礦労働者中ニ少数ノ肺結核像ヲ認メ得タ、或ハ硬化性デアリ或ハ結節性増殖性デアル、空洞性肺結核ハ一名ニ存在シタ。

八 炭肺ト肺結核トノ間ニ直接相互的関係ヲ見出サヌ。

九 第三期炭肺ト結核トノ相互的関係ニ就テハ確実ナル根拠ヲ得ナカッタ。」

(一四) ピー・エス・ヘー「圧縮空気鑿岩機の岩粉集収装置」日本鉱山協会資料第一〇〜一四輯(昭和五年、甲第六九号証の二)

英国鉱山保安調査局技師ピー・エス・ヘーが考案した乾式さく岩機用収塵器を紹介した論文。

なお、論文中に、一九一一年英国炭鉱条例の紹介がある。

「機械力に依る鑿岩機は硅岩、硬砂岩及他の多硅質岩石の如く其岩粉が繊維性肺癆を惹起すべき虞ある岩石に使用するを許さず、若し是に使用せんとするときは噴水、水煙又は此等と同等の効果ある方法により岩粉の空気中に散逸するを予防すべし」と紹介されているが、この収塵器は、この炭鉱条例に基づくものである。

(一五) 大津虎夫「鑿岩機刳粉収塵装置」日本鉱山協会資料一〇〜一四輯(昭和五年、甲第六九号証の三)

足尾鉱山の工作係、大津虎夫が考案した乾式さく岩機用収塵器を紹介した論文。

大津は、「永く坑内作業に従事した者が俗に『ヨロケ』即ち鉱肺或は炭肺と称する病に侵されるのは、この粉末を知らず知らずの中に呼吸して長年月を経るからである。この事柄は鑿石機使用者の保健上重大問題で、欧米諸国ではこれに対して国法さへ設けられている。英国では『ガニスター、硬質砂岩又は硅石分を多量に含有する岩石の如く其の刳粉が肺浸潤を誘発する如き虞れある岩石の掘鑿に際しては、其等刳粉の空中に飛散するを防止する装置を施すに非れば、機械力による鑿岩機を使用する事を得ず』と規定して居る」と指摘している。

3 昭和六年から同一四年(被告設立時)までの文献

(△)(一) 白川玖治「炭肺と肺結核(岩礦ノ肺結核)・結核第九巻第二号(昭和六年二月・乙一三号証)

この論文は北海道炭礦汽船株式会社医務部長兼夕張炭礦病院長であつた論者が昭和四年七月七日に第七回日本結核病学会総会において講演したものを掲載した論文である。

筆者は、炭じんの一般衛生的意義にふれて次のように述べている。

「元来塵埃ノ結膜刺戟度ハ塵埃ノ量ヨリハ其物理的、化学的及伝染的性質ニ関スルモノニシテ、硬クシテ稜角、尖鋭ナル金属粉(倒鉤ヲ有スルモノアリ)及石粉ノ如キモノハ概シテ粘膜ノ破砕作用強ク、時ニ有毒ニ働キ、有機性粉塵ハ気道ニ固著シ且伝染性ニ富ミ屡々粘膜ノ化膿性加答児ヲ惹起スルニ反シ、柔軟無定形ニシテ脆ク、全ク又ハ比較的無菌且無毒ナル炭粉及煤煙ノ如キモノハ其作用一般ニ弱キモノナルコト想像ニ難カラズ(Lindemann一九二一年、安藤大正一四年)。」

次いで、結核に対する炭じん又は炭肺の影響について、有効説、中間説、無効(無害)説有害説に分けて文献的考察を試みて紹介している。その総括として、次のように述べる。

「第六章 従来ノ学説ニ対スル総括的考察

炭鉱夫は他職ニ比シ一般ニ保健上特ニ良好ニシテ、一般死亡就中肺結核罹病及死亡関係ニ於テ然リトハ大多数の学者之レヲ賛シ、種々ナル方面ヨリ炭塵吸入ノ結核ニ対スル効ヲ認メントスルモノ甚ダ多シ。然レドモ亦或ル少数ノ学者ハ之レニ反対シテ炭鉱夫ノ一般死亡竝ニ肺結核関係ハ他ト何等変リタルトコロナシトテ一切炭塵ノ効ヲ認メザルノミナラズ更ニ進ンデ之レヲ有害視セントシツツアリ、之レ前者ハ炭塵ノ機械的(特ニLymphwegblockadth-eorie)、化学的(中ニ含マルル炭素、Ca、硫黄、『テール』、『フェノール』等)及生物化学的作用ヲ認メントシ、後者ハ単ニ炭鉱夫ノ強壮ナル素質ヲ重要視セントスルニ帰因ス。蓋シ炭塵ノ身体ニ対スル影響タルヤ全ク無キカ、少クトモ頗ル微温的ニシテ決シテ顕著ニ現ハルルコトナク又他ノ条件ニヨリテ容易ニ打チ克タル、程度ノ低キモノナルハ一般ニ認メラル、所ニシテ、職業精選等之レニ抵抗的ニ働ク作用ノ除カレタル所ニ漸ク病因トナルニ過ギズ。加フルニ動物実験ニ拠ル結核ト炭塵トノ相互関係ハ到底大量観察ヲ許サヾルノミナラズ、其成績ガ種々ナル事情ニ支配セラル、為メ、人ニヨリテ其報告区々ニシテ帰スル所ナク茲ニ強大ナル体格ヲ保有シ特殊ノ環境ニ置カレタル炭鉱夫ノ肺結核対炭塵問題ガ益々因果錯雑紛糾シテ研究ノ興味ヲ惹クニ至ル又止ムヲ得ザルナリ。

而シテ又岩石塵吸入ノ害毒ガ純炭塵吸入ニ比シ著シク不良ナルハ一般学者ノ認ムル所ナルガ、炭礦ニ於テハ其鉱山ノ事情ニヨリ両者ガ種々ナル程度ニ混在シテ炭礦衛生考察上重要ナル因子ヲナスモノゝ如クナルニ、従来餘リ顧ミラレザリシハ甚ダ遺憾トスベク、近来漸ク此点ガ各炭礦地方ノ種々ナル保健状態ノ説明ニ引用セラル、傾向アルハ注目ニ値ス。更ニ近来二三有力ナル学者ノ研究ニヨリテ塵肺ト肺結核トノ相関的事情ニ関シ新説提唱セラレ、『結核菌ノ共同作用ナクシテハ塵肺発生セズ、結核ヲ併発セザル肺ハ塵ヲ吸入シテ之ヲ肺内ニ蓄積ハスレドモ、結締織ノ増殖ヲ惹起シ真ノ塵肺ヲ発スルモノニアラズ』ト塵肺生成上結核ノ意義ヲ重要視スルニ至レリ。而シテ塵肺問題ノ此新生面ニ対シテハ之レヲ賛スルモノ漸ク多キヲ加ヘ塵肺予防ノ実際方面モ亦之レニヨリテ着々効ヲ収メツ、アルガ如シ。」

さらに、筆者の研究の結果を実証的に論じ「炭礦坑内塵」の項のもとに、その組成を次のように説明している。

「石炭礦坑内塵ニツキテハ、炭礦作業ノ実際ニ照ラシ従来ノ医書記載甚ダ意ニ満タザルモノアリ、就中炭鉱夫ト蝟モ凡テ炭塵ノミヲ吸入スルモノニアラズ、多少共石塵ヲモ混吸シ、又職種ニヨリテハ全ク石塵ノミヲ吸入スルモノモアルノミナラズ、炭塵其モノ、中ニモ亦石炭本来ノ成分トシテ石塵ノ有害成分タル硅酸分ヲ含有ス、加之炭鉱夫ノ身体的素質ニモ既述セルガ如ク、彼等ノ中ニハ作業ノ相似タル点ヨリ、炭礦来山前、既ニ我ガ北海道炭鉱夫ノ如ク金属山稼働ニヨリ豫メ硅肺ノ素地ヲ有スルモノサヘ甚ダ多キ特殊ノ事情アルモノナルニ拘ラズ、内外文献ノ此点ニ触レタルモノ寥トシテ乏シキヲ遺憾トス。而モ坑内塵ハ炭鉱夫ノ肺結核問題ヲ論ズル上ニ於テ最モ重要ナル関係ヲ持ツモノナレバ、少シク余ノ調査研究セル所ヲ述ベントス。

(イ) 坑内塵ノ種類ト其発生

抑石炭礦ノ坑内塵ハ之レヲ分ツテ左ノ種類トス。

一 炭塵

二 石塵

(イ) 砂岩塵

(ロ) 頁岩塵」

同項中の坑内岩石(石炭を含む)の成因とその化学的成分に関する所論の中で石炭について次のように述べる。

「石炭=石炭ハ其種類多ケレドモ……〔中略〕……本邦ニ於ケル大炭田ノ石炭ハ主トシテ瀝青炭ニシテ、余ガ行ヘル統計及健康調査ノ対象タル炭鉱夫中、坑内夫及撰炭夫竝ニ実験用動物ハ凡テ低度瀝青炭ノ炭塵ヲ浴ビタルモノナリ。其化学的成分ハ次表ノ通リナルガ夕張炭ハ大体平均一〇%ノ灰分(元来純石炭ト雖モ三%迄ノ灰分ヲ有ス)ヲ有シ、其内ニ約五〇%ノ硅酸分ヲ含有スルモノナレバ石炭ノ硅酸含量ハ約五%ト見ルヲ得ベク、其少量ナル点ヨリ炭塵無害説ノ出ヅルモ無理ナラヌヲ肯定シ得ベシ。然レドモ仮令微量ト難モ、硅酸ノ存在スル以上、多年又ハ多量ニ之レヲ吸入スレバ塵肺生成上重要ナル意義ヲ有スルモノト云フベシ(〔略〕)。」

又、坑内じんの衛生学的意義に関する所論の中で次のように述べている。

「(二) 石炭山ト金属山トノ相違(炭塵ト石塵トノ相違)

北海道炭鉱夫間ニ「金山(金属山ノ意)ハ『ヨロケル』ガ炭山ハ『ヨロケヌ』、『金山ノ『ヨロケ』ハ漁場又ハ炭山ニ行ケバ治ル」ノ語アリ。

而シテ Ickert(一九二八年)モ亦Mansfeld銅鑿鉱山ニ於テ之レニ似タル観察ヲナシ坑ロヨリ遠ク距リタル村ニ住メル鉱夫程硅肺及ビ鉱夫結核ノ病症少キハ、塵ノ集積セル肺臓ニ対シ空気ヲ通ズト云フコトガ良好ナル影響ヲ齎ラス如ク思ハシムト。

蓋シ『ヨロケ』トハ硅肺症状就中作業又ハ歩行ニヨリテ起ル呼吸促迫ヲ意味セルモノニシテ(後ニ詳述)塵肺発生又ハ塵肺的病訴ニ対スル石炭山坑内塵ト金属山坑内塵トノ相違、換言スレバ炭塵ト石塵トノ侵害的相違ヲ、経験上ヨリ表明セル名言ト云フベシ。石炭山坑内塵就中炭塵吸入ニ拠ル炭鉱夫ノ健康障碍度、殊ニ呼吸器ニ対スル侵害度ハ頗ル僅微ナルモノゝ如ク、余ハ永年ノ純炭鉱夫診療中、未ダ一回モ金属山鉱夫ニ見ルガ如キ症状ノ進メル硅肺患者―貧血贏痩シテ呼吸困難ヲ主徴トシ、老人ノ如ク腰ヲ曲ゲ杖ニ槌リテ蹣跚タル歩行ヲナシ、即チ全ク『ヨロヨロ』(『ヨロケル』)シ、其甚ダシキモノハ静止時モ脊ヲ延バス事不可能ニシテ、立テ膝ノ間ニ上体ヲ深ク落シ、気息奄々惨タル苦悩ノ状ヲ呈シ、一見全クSchrderノ云フ如ク心臓病患者ヲ想ハシムルガ如キ者ヲ経験シタルコトナク、余モ亦鉱夫同様、「炭山ニ『ヨロケ』無シ」ト確信シ来タルモノナルガ、今回更ニ有馬教授トノ詳細ナル研究ニ拠リ此信念ヲ一層深カラシムルニ至レリ即有馬及余ノ研究ニ拠レバ、線学的ニハ比較的早期ニ炭肺又ハ炭硅肺ヲ診断シ得レドモ、其他ノ自他覚的症状ハ永年ノ稼働者ニモ多クハ全ク之レヲ欠除シ、又有リテモ頗ル軽微ニシテ金属山鉱夫ノ場合ニ比スベクモアラズ、特ニ純炭塵吸入ノ場合即チ石掘ヲ為サヾル場合ニ於テ然リトス。」

さらに、石炭山石塵と金属山石塵との相違について、「余ハ上文末節ニ、炭鉱夫塵肺ノ線所見及自覚症状其他ノ点ニ於テ、石炭山石塵ト金属山石塵トノ間ニ呼吸器ニ対スル侵害力ノ相違アルヲ認メタリ。而シテ同ジク石塵ニシテ両鉱山ノ間ニ如斯差異アルハ何ゾヤ。コノ解決ハ仲々困難ナル問題ニシテ如何ナル因子ガ最モ重大ナル役目ヲ演ズルモノナリヤ、文献的考察ノ拠ルベキモノ甚ダ乏シク、俄カニ決シ能ハザレドモ之レヲ列挙スレバ左ノ如ク(1)硅酸含量説、(2)硅酸組型説、(3)非硅酸説等ヲ挙ゲ得ベク以下是等ニ就テ少シク卑見ヲ述ブベシ。」として、諸説を紹介し、その中において次の点を指摘している。

「第三 非硅酸説

Mavrogordato・Fenn・Haldane等ハ炭礦坑内塵ノ衛生学的意義ニ関シ、見逃スベカラザル新説ヲ提供(……〔中略〕……)シテ曰ク、『無害ノ塵埃ヲ混和吸入スレバ硅酸塵モ其危険性ヲ減弱スルモノニテ、動物実験ニ拠ルニ、仮令硅酸含有量ガ同一ニテモ炭塵ノ如キ無害性塵埃混入ノ場合ハ肺ヨリ塵ノ除カル、コト早シ』ト。果シテ然ラバ炭坑内ニ於ケル砂頁岩塵ノ害毒ハ勿論、炭塵中ニ石炭自体ノ成分トシテ含マル、硅酸ニ因ル不良ナル影響モ確カニ減弱セラル・モノト謂フベク、採炭夫ハ勿論、石掘ヲ主トセル掘進夫モ時ニ炭塵ヲ吸入スル意味合に於テ(……〔中略〕……)炭礦ニ於ケル坑内衛生上非常ナル福音ト云フベシ。」

諸説の紹介のまとめとして、次のように述べる。

「之レヲ要スルニ金属山及石炭山ニ於ケル両坑内石塵ノ衛生学的相違ハ、其成因上結晶度、硬度、形態、有毒性分、硅酸特ニ遊離硅酸含量等ニモ関スレドモ、其主ナルモノハ硅酸ガ完全結晶ノ状態ニアリヤ、将又膠質状態ニアリヤノ点、竝ニMavrogordato等ノ仮説ニ基因スルモノ、如ク、而シテ膠質状態ニアレバ何故ニ侵害力弱キカノ詳細ナル点ニ就キテハ更ニ今後ノ研究ヲ要スル問題ナリトス。」

そして、筆者は、石炭鉱における肺結核関連の労働衛生学的事情の総括的考察として次のように論じている。

「要之炭鉱夫ハ元来其素質一般ニ強健ナルモノナルニ、更ニ強キ自他動的精査作用ニヨリテ益、精選セラレ、病弱者ノ淘汰常時盛ニ行ハル、ト共ニ在山者就中永年勤続者ハ比較的健康者ニヨリテ構成セラル、ニ至ルモノニシテ、此関係ハ今猶移住民気分ノ濃厚ナル北海道炭礦ニ於テ殊ニ著シキヲ看ル。又彼等ノ生計ハ比較的惠マレタルモノニシテ労働者トシテハ相当美食ス。然レドモ不良ナル家屋、摂度ナキ生活、過労就中坑内ノ非衛生的事情―暗黒、不良空気、高温高湿、飛塵等ハ産業疲労ヲ惹起スルコト夥シク、為メニ彼等ノ健康度ヲ低下セシメ、罹患率ヲ高メ、廃朽ニ陥ラシムルコト他労働階級ニ比シテ速カナルガ如シ。而シテ坑内ノ非衛生的因子ハ大体金属山坑内ノ夫レニ似タリト雖モ独リ粉塵ノ害毒ニ至リテハ硅塵ノ微量、炭塵ノ特殊作用等ニヨリテ彼ニ比シ著シク軽微ナルヲ看ル。

元来炭鉱夫ノ素質及環境就中其労働条件ノ良否ハ其職種即作業ノ種類ニヨリテ著シク相違ナルモノニシテ、従ツテ産業疲労ノ影響モ亦之レニ準ジテ自ラ相違スルコト言ヲ俟タザルニ拘ラズ、従来ノ学者ハ皆炭鉱夫(坑内外夫)又ハ炭坑夫(主トシテ坑内夫)ヲ一括トシテ之レヲ論ジ、更ニ其職別的観察ヲ試ミタルモノナカリシハ炭鉱夫ノ肺結核及一般保健考察上大ナル矛盾ト謂ハザルベカラズ。余ハ寧口此種別コソ重大視ス可キモノニシテ、此点ヲ顧慮セザレバ其真相ヲ開明シ能ハザルヲ信ジルモノナリ。」

(二) 「炭鉱における鑿岩機使用状況調査報告」日本鉱山協会資料三三〜三八輯(昭和八年、甲第七〇号証)

日本鉱山協会が、四四炭鉱について使用さく岩機の実態調査を実施した結果をまとめて報告したもの。調査は、昭和三年一一月末現在のものである。

鹿町炭鉱の使用さく岩機は、インガーソルランドBCRW(湿式)が五台である。

(三) 「硅肺と肺結核」石炭時報八巻一二号(昭和八年一二月、甲第七二号証)

一九二七年から二八年にかけて、米国で七、七二二人という多数の鉱夫につき、九六六二回の健康診断を行つた結果を基礎とした報告。一、六四七人(21.3%)に硅肺の症状を認めている。

なお、炭塵は無害である許りでなく硅肺を防ぐに有効という説を批判して次のように述べている。

「検査した七、七二二人の中五九九人は炭鉱で稼働した事のある者である。此五九九人と云ふ元炭鉱夫の中で一三九人(23.15%)は硅肺の三症状中の何れかを示し、一九人(3.45%)は硅肺と肺結核とを併有し、九人(1.69%)は純然たる肺結核の患者であつた」

「之等の鉱夫を検査した結果、以前炭塵を吸入していたと云ふ事に何の利益も見出せなかつた」

(四) 難波驥逸「炭肺と結核」日本内科雑誌二一巻一一号(昭和九年二月、甲第七三号証)

炭粉吸入によつて炭肺が発生することおよび炭粉が結核に対し有害であることを動物実験により証明した文献。

家兎を使つての動物実験の結果について、著者は、「炭末ハ肺組織ヲ障碍シ其抵抗力ヲ減弱セシメ、以テ結核ノ発生ヲ促進シ或ハ之ヲ増悪セシムルニ至ルモノト考ヘラル」と結論づける。

(五) 石川知福「鉱肺に就て」労働科学研究四巻一一号(昭和九年五月、甲第七四号証)

著者は、「産業場にして塵埃を発生しないものとてはなく、塵埃にして有害でないものはない」とのアーリッジ(一八九二年)の言葉を冒頭に引用する。

また、英国のけい肺患者に対する賠償法(一九二五年)を紹介し、一九二九年から三二年までの三年間の補償件数を表示しているが、これによれば、炭山での補償件数の割合は七五三分の九一で、12.1%の多くにのぼつていることがわかる。

以下、本文献は「鉱粉の物理化学的症状」、「吸入された粉塵の運命」、「鉱粉摂取による生体反応」、「鉱肺発生に関係ある生物学的条件」(労働者の年令・性別、体質、労働劇度・労働時間、姿勢、栄養、環境条件、衛生的教養―マスクの選択・作業場掃除法等の教育―)についてそれぞれ論じているが、特にニューヨーク州の恕限度(粉じん許容量)について触れ、一m3中三五〇万粒(350粒/cm3)と極めて厳しい恕限度基準を紹介している点が注目される。

(六) 「岩粉鎮静法」石炭時報一〇巻一〇号(昭和一〇年一〇月、甲第七五号証)

発破時の粉じん飛散防止法を紹介した外報である。

本文献は、南アにおいて発破前散水が義務づけられていることを紹介したうえ、より効果的な粉じん飛散防止法として、

○発破面の坑道前面に打柱してカーテンを張り、発破時の粉じん飛散を抑制するとともに、

○そのカーテン側から発破面に向けて油噴霧を行い、油の雲務帯を設け、発じんそのものを押える。

という方法を紹介する。この方法について、本文献は、「此岩粉鎮正法は頗る有効で将来は広く用いられ、硅肺防止法に大に役立つものと思われる」と、その有効性を強調している。

(七) 日本鉱山協会「鉱山衛生講習会講演集」日本鉱山協会資料第四五〜四九輯(昭和一〇年、甲第七六号証)

本講演集は、同協会が昭和九年に札幌・東京・仙台・福岡・大阪で順次行つた鉱山衛生講習会の講演内容をまとめた報告集で、その講習会の要旨として次のように述べている。

「昭和九年五月、商工省に開かれたる鉱山監督局長会議に際して催されたる日本鉱山協会地方常務委員長打合会に於て、各地方に鉱山衛生講習会を開催するの件議決せられ、商工省鉱山局及内務省社会局の後援により講師として関係各官庁在勤衛生技術官の派遣を得、併せて主催地所在各帝国大学教授其の他の講師を委嘱し、札幌、東京、仙台、福岡及大阪の各地に各地方常務委員会主催にて各鉱山監督局各位の斡旋により順次之を開催したり。

講習会開催の主旨は、最近鉱業界漸く殷盛ならんとするに際し、過去の実情に鑑みるも、鉱山に於ける衛生施設は屡々事業の伸展に併行せざる憾み少なからず且つ災害犠牲者の扶助に粉糾を来す場合稀ならざるを以て、豫め衛生施設の向上改善を図り法規施行の円滑を期するため、鉱山衛生関係職員(鉱山医、鉱山衛生係員及労務係職員)竝に鉱山及鉱業会社関係の希望者を聴講生として専門的講演を為したるものにして、且つ各地とも鉱山監督局職員及各講師と聴講者との間に鉱業警察規則及鉱夫労役扶助規則の施行に関する協議会を催し質疑応答竝に懇談を為せり。」

(1) 原田彦輔「鉱山衛生概論」

著者は、本講演の冒頭で「鉱山事業は地底深く埋蔵せる有用鉱物を掘採し製錬するもので、地下坑内作業を主体として居る関係から、一般の産業に比して危険率高く健康障害の原因となるもの甚だ多い事は、鉱業の実務に従事せらるる諸君の熟知せられている所である。……最近に於ける鉱業界の振興に伴ふて著しく鉱夫数を増加し、災害死傷者竝に罹病者も亦累増せんとする傾向を示して居る際、鉱山衛生施設の刷進を図る必要があると信ずる。鉱業警察規則は鉱山事業の経営に随伴して生ずる危険性に対して、従業者の被ることあるべき災害の発生及び衛生上の欠陥を防止するに必要なる施設の最小限度を規定したものであつて、……」と指摘する。そして、そのあと鉱山衛生確保について詳しく論じているが、特に坑内通気の衛生の問題の一として、粉じんの排除をあげている。その中で、著者は、次のとおり述べる。

「粉塵、就中硅石塵の吸入が硅肺の原因であるのは周知の事実であるが、その予防対策の実行が十分実施せられぬを遺憾とする。

鉱警規第六三条 著シク粉塵ヲ飛散スル坑内作業ヲ為ス場合ニ於テハ注水其ノ他粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ但シ已ムヲ得ザル場合ニ於テ適当ナル防塵具ヲ備ヘ鉱夫ヲシテ之ヲ使用セシムルトキハ此ノ限ニ在ラズ

右の規定は鑿岩機、截炭機等の作業を主とせるも、其の他の浮遊粉塵多量なる場所の作業にも適用せられねばならぬ。今日多数の圧縮空気鑿岩機には注水設備あるも、尚其の施設なきものもある。此の様な鑿岩機に対して粉塵除去装置(日本鉱山協会資料第十輯参照)が速かに研究完成せられて其の実施の普遍せん事を望んで止まぬ」

「衛生的立場からは入気坑道以外は粉じん著しきものとして防塵具の使用を希望する」

(2) 西島龍「坑内粉塵に就て」

著者は、冒頭で次のように述べる。

「凡そ、鉱山(金鉱、炭鉱)の坑内塵、竝にこれに基く呼吸器疾患に関する業績ほど古い歴史を持ち古今東西に亘る医学者、臨床家、専門家が研究論議している問題はあまり見当らないようである。」

「由来、鉱山の坑内には多数の鉱塵が浮遊していることは既知の事実で、今更事新しく問題にする必要もあるまいと思はれる。だがしかし、近年鉱業界においても、産業の合理化とか能率増進をはかる目的で、採掘・運搬等の作業にも機械力を利用する趨勢になつてきたのである。したがつて、坑内に飛散する粉塵の密度は昔日の手掘時代の比ではない」

「炭鉱においては、従来硅肺患者の発生は殆んどなきものといはれていたが、数年このかた、偶然にも東西時を同ふして発見されるに至つたやうな次第であるから、今更ながらではあるが、坑内塵について、鉱山衛生の見地から再吟味の必要が起るといふものであらう。」

著者は、続いて「粉塵の概念」について論ずるが、そこで、「炭鉱では炭塵が大部分を占め、岩石塵が混在している」と指摘する。

そして都市の浮遊塵についても触れ、「いかに都市の塵埃度が大であつても、それは短時日、短時間の問題であるから、直接塵埃による影響も少いことは言うまでもない。しかるに、鉱山坑内夫、特に採炭夫採鉱夫及び岩石掘進夫の如きは、終日、狭隘な作業場で激甚なる粉塵中に汚染曝露されている。したがつてその呼吸器に被害を蒙むることは、けだし当然の帰結でなければならない」と指摘する。

さらに著者は、「鉱山従業者の呼吸器病」に話しを進め、「一般に、金鉱や炭鉱の坑内夫には坑外夫に比較して呼吸器病の罹病率及至死亡率が多い」と述べる。そして、次のように総括する。

「次に坑内従業者と呼吸器病とに就て概括すると

一 一般に金鉱の坑内夫の呼吸器病は、炭礦坑内夫よりも低率である。されど慢性で、且つ重症のものが多い。また容易に肺結核を誘発して死亡するものも尠くない。此等のことは係員にも同様である。

その一例を掲げて見ると左表の通りである。〔中略〕

(△) 即ち炭礦では、採炭夫(掘進夫)一千人中70.5人の呼吸器病患者があるが、金鉱では採鉱夫155.3人となつて、炭鉱に比し約二倍多い。そのうち、肺結核の罹病率は、金鉱の採鉱夫に甚しく多数であつて、炭礦の採炭夫(掘進夫)に比べて、約十倍にのぼつている。肺炎も同様である。助膜炎においては約四倍強となる。

二 坑内夫のうちでも、採炭夫(或は岩石掘進夫)及び採鉱夫の如く、特に鉱塵中に作業するものは呼吸器の罹病率が他の坑内夫よりも高くかつ重症であり、慢性に経過する。

三 機械力によつて採掘する坑内夫は、手掘夫よりも呼吸器障碍を惹起するものが多い。

四 塵肺(硅肺)に罹患するものは、金鉱の採鉱夫(機械力採鉱)最も高率で、次は手掘採鉱夫である、また炭鉱の岩石掘進夫にも少くない。採炭夫の塵肺(炭肺)も水年勤続者には発見される。

五 塵肺(硅肺)の成因は次のやうにいわれている。

(イ)硅酸塵(特ニ結晶性遊離硅酸)及び硅酸塩類塵を多量に継続して吸入するために起る。

(ロ)粉塵の粒子の大きさは、五ミクロンより十ミクロン程度のものが危険である。

(ハ)小量の硅酸塵でも、長期間に亘り連続吸入するときには硅肺を起す。

以上縷述したやうに、坑内塵の意義は、洵に重要性があるものであつて、坑内従業者には慢性乃至重症の呼吸器病、特に塵肺(炭肺、硅肺)に罹り、またはこれらに誘発され易い肺結核等のために、終生労働不能に陥り、または悲惨な暗い生涯を送るやうな人々も尠くないのである。なほ、炭礦では炭塵爆発の原因となつて、不慮の大災害を惹起することも、往々あり得るのであるから、吾人は以上の諸点に深甚の関心を持つて、疾病乃至災害を未然に防止し得るやうに、対策を講じ善処することに努めなければならぬ。

このことは、独り、坑内衛生乃至坑内保安のみに限られた問題ではないと、信ずるからである。」

以上を前提として、著者は、じん肺予防のため、次のような措置をとるよう指摘する。

① 粉じんの発生防止

○ 坑内じんの量と質の測定、平均塵埃度の決定、恕限度目標の設定

○ 防じん装置の設置(ピー・エス・ヘーの集塵装置、マイエルの塵埃無害装置、大津の収塵装置、水洗式鑿岩機)

○ 作業前清掃、散水、換気、あがり発破

② 粉じんの飛散防止

○ 散水、換気

③ 粉じんの吸入防止

○ マスク使用

○ 発塵のない休憩所、交替所の設置

○ 労働時間の短縮(吸入時間制限)

○ 賃金の増額、交代勤務化

④ 発病予防

○ 坑内の一般衛生施設の改善

○ 毎年定期の健康診断、健康相談

○ 職務の転換

○ 健康増進法

⑤ じん肺教育、啓発

(3) 有馬英二「硅肺のレントゲン診断」

著者は、硅肺の病理学的所見の冒頭に炭肺を取り上げ、「炭粉の吸入によりて起る肺の黒変は一般に炭肺として知らるる所にして都会生活者殊に成人の肺が、多少に拘はらず肺組織殊に肋膜下組織に黒色斑点を示す。純炭塵に因るものは質軟靱なるを常とす、但し仔細に験するときは諸所に極めて小なる硬き結節あるを知る。炭鉱労働者にして特に石塵を吸入せざる者には、剖見上斯の如き所見に遭遇するを普通とす。此の小結節は即ち硅肺のものと実際に於ては同一のものなり、遊離硅酸を含有する石塵を吸入せる場合の肺の変化は斯の如き小結節の発生を特有とするものにして、遊離硅酸の量と時間的関係によりて結節の数量に差を生ずるものなり、而して同時に吸入せらるる炭粉の量によりて、結節は或は黒色を呈し或は暗色を呈す」と紹介する。以下、炭肺の病理学的所見を詳しく紹介し、肺気腫との関係については、「斯の如き大結節ある肺に於ても、其の他に大小種々の小結節を見る。此等の硬結は肺の表面より指触によりて硬結として触知し得るは勿論なり。同時に硬結以外の組織は甚だしく含気量を増し膨張し(肺気腫)居り、高度の場合に肺の基底部は甚だ深き陥入を示し其の状天幕を張りし如し」と指摘し、炭肺において特に肺気腫が多くともなう状況について説明を加えている。

(4) 黒田静「硅肺の診断」

筆者は、一九二九年頃のドイツの事情を紹介して、「今迄でに無視された炭坑地方に沢山の硅肺が出た。金属山は勿論、金属研磨、陶工芸其他の各種産業に硅肺の頻々たる発生を認めた」「独逸学派は同国の硅肺発生例が既往に少く、近年頻発するに至りしは一九〇六年以来、採炭方法を機械化したる為、坑内に浮遊する粉塵の量を増加したるが故なりと弁じつつある」と指摘する。また、「従来研究者の報告に基きて粉塵の危害を認められた主なる産業の種類は次の通りである。1、鉱業、金鉱、銅鉱、亜鉛鉱、錫鉱、炭坑」と、炭坑の危険性を指摘しているが、硅肺、石綿肺を重篤とし、その他は症状が軽いとする。

次いで著者は、レントゲン上の症状について触れたあと、体力的診断、臨床的診断(自覚的症状、他覚的症状)を紹介する。

なお、症状経過の中で、次のように述べている。

「硅肺症は業務上粉塵吸入を開始した最初から長き潜伏期を経て後発病す。之により発病に至る迄の在職年限は潜伏期である。患者は発病の初めに於て断然業務を離るれば、病勢を停止せしめ得るも、後に至れば進行已むことなく、心臓衰弱、肺結核其他の偶発症にて不帰となる。多数の塵肺研究者の説に従へば硅肺の結核罹患率は硅肺症の経過の長短に比例し、経過長きに従ひて結核罹患数を増加すると云はる。予の場合に於ても硅肺の末期に肺結核を発したる者甚だ多い。」

その上、扶助について述べている。

(5) 白川玖治「北海道の炭肺に就て」

後記、久保山雄三編「炭礦工学」に「白川夕張病院長の説」として紹介されていると同旨の論説を試みている。

(八) 黒田静「某耐火煉瓦工場に於ける硅肺症発生の状況及その対策」労働科学研究一三巻三号(昭和一一年五月、甲第七七号証)

煉瓦工場においての硅肺予防方法について論じたもので、予防のための基本的な考え方を明らかにしている。

予防方法については、物的予防法としてまず機械設備の改善があげられている。防じん対策として発じん作業密閉化が論じられ、除じん機械として推進式風車、吸引管やコツトレル電機沈殿装置が紹介されている。乾式作業に完全な除じんが行われるようになつてからは湿式作業の方が危険が大となつたとも述べられている。また、マスクの支給や粉じん検査の重要性も強調されている。人的予防法としては、入職者の身体検査、勤続者の健康診断(年二回以上実施、必要に応じてレントゲン撮影)が論じられ、発症者に対しては休業、転職の措置及び衛生教育が必要であるとしている。

(九) 石川知福「鉱肺罹患の勤続年数別曲線に就ての一考察」日本産業衛生会会報七三号(昭和一二年二月、甲第七九号証)

愛知県瀬戸市の窯業労働者に対する調査をもとに、窯業労働者のじん肺罹患(30.3%の罹患率)を明らかにするとともに、勤続年数別の発生状況を調べたもの。

(一〇) 「水圧石炭破砕器―発破に代るもの―」石炭時報一二巻六号(昭和一二年六月、甲第八〇号証)

粉じんを大量に発生させる発破採炭をやめて、粉じんを発生させない採炭法として、「水圧石炭破砕法」を確立させ、そのための器具を紹介した英国の文献の外報。

同文献によると、「ニウデイゲート炭坑に於ては切羽に於ける発破を全廃し、石炭の採掘には水圧による破砕器を使用している……水圧破砕器を同坑の切羽に試用したのは一九三六年三月であつた」「水圧破砕器は下透、上透、竪透の何れの場合にも使用することが出来、使用場所は発破の場合と全く同一である。水圧破砕器による石炭破砕状態を発破の破砕状態に較べると著しく緩慢である。水圧器による破砕は緩慢であるが力が広く大きく及ぶので発破の場合よりも穿孔数は少くて宜しい」とされている。そして、その利点の一つとして、「炭塵の発生することや炭塵の飛散することが非常に少い。従つて又切羽の衛生は極上々の状態となる」「炭塵が少くなり切羽に岩粉を散布する必要が無くなる」の点があげられている。

(一一) 石川知福「発塵性作業場に発生する職業性疾患“硅肺”の発生状況に就て」日本学術協会報告一二巻三号(昭和一二年七月、甲第八一号証)

採石鉱山、耐火煉瓦原料粉砕作業場、ガラス原料粉砕作業場、タイル製造工程、匣鉢製造工場における硅肺の発生状況が報告されている。また、南ア、米国、オーストラリアの一般的な恕限度の基準について一立方センチ当り三五五個が適当とみなされていると紹介している。そして、労働の劇度並びに労働時間と硅肺発生との関係、良質のマスクの使用による防じんにふれている。

(一二) 加藤鉄夫「世界主要産炭国に於ける炭坑保安取締規定の現状」石炭時報一二巻八号(昭和一二年八月、甲第八二号証)

論文は、主として各国の保安規定の概要を紹介するもの。

(一三) 黒田静「硅肺症の概説」治療学雑誌七巻二〇号(昭和一二年一二月、甲第八三号証)

筆者が九大で行つた講演をまとめた文献。

筆者は、「人間も動物も粉塵と瓦斯の吸入を忌避するのは、天賦の性能であるから粉塵予防の方法は既に Hypo-crates時代から明らかに講ぜられております」と冒頭で指摘する。また、「由来鉱山病のこと、工業中毒のこと等は夙に中世紀の頃から知られて居たが解剖上で塵肺と云ふものを独立疾患としたのはStratton(1838)の炭肺が濫觴であり」と指摘して、最初に独立疾患として確認されたじん肺が炭肺であることを明らかにしている。そして、じん肺については、その職名を冠し、「石工肺、陶工肺、磨工肺、鉱夫肺、炭坑夫病とも呼ばれています」と説明する。

次いで筆者は、「塵肺症の惨害」として、じん肺による患者や家族の被る犠牲を強く指摘し、「町に寡婦と孤児が多く、従業員としては孫を見ることなしと云はれ、Dr, Grayは英国の炭坑地方に於て稼する毎に、夫の病歿に会する七回に及べる不幸な一婦人の身上に就て報告して居る。此等の事実は正しく社会の犠牲であり、人類の大問題である」と強調する。

また、「塵肺研究の世界的趨勢」の項では、「ルール炭坑地方でも亦、多数の硅肺を見る様になり」と指摘し、「塵肺が発見せらる可き各種産業」の項では、「第一に鉱山業で、金銀山と銅山に多く、又炭坑にも、其の外、粘土山、鉛山、錫山にも起る」と指摘する。

そのほか、肺内変化の病理、レントゲン像、自覚的症状等についても詳しく触れられているが、予防方法についても、「人的方面には入職者の身体素質を厳選すること、勤続者に定期の健康診査を施して早期に塵肺の検出に努むること、塵肺症発症の恐れある者は速かに粉塵少き他の業務に転職せしむること……衛生教育……マスクの着用……。

物的方面の予防法は、機械設備、建造物、作業方法の改善、防塵具の着用、衛生施設、粉塵検査の実施等であります。此の中でも最も重要なのは、作業場に防塵及除塵を行ふことで、防塵法とは発塵す可き機械に被蓋を施すこと、除塵法とは作業部位から粉塵を除去すること……散水して湿式作業……マスクを着用」と詳しい指摘を行つている

又、補償問題について次のように述べている。

「塵肺の補償問題各種産業に於て業務上発生する塵肺は職業性疾患であり、事業主は当然補償の義務がある。之に関する規程の公布あつたのは、南阿一九一一年、英国一九一八年、独逸一九二九年で、我が国にては昭和五年六月以来、同様の取扱を命ぜられて居る。

扶助は法規による恩典なるも、その及ぼす所の影響は至つて大きいからその診断には医人として充分に慎重なるを要す。

法の精神は真に労働保護に在るを以て、珪肺重症は当然補償に値す可きも、未だ労働能力の低下なき者には、単に塵肺症を将来するの故を以て、補償に浴せしむるを得ず、此の時にレントゲン像検査其の他、綜合診断の結果に待ち、業務上疾患の決定は軽々しく放言す可きものでない。」

(一四) 「坑内浮遊粉塵調査報告(其の一)」日本鉱山協会資料第六六輯(昭和一三年三月、甲第八四号証の一ないし三)

吉井友秀、山本芳松「坑内岩粉調査報告」。

金属山である生野鉱山の技師をしている著者がじん肺防止の観点から同鉱山での岩粉の量を計測したもの。コニメーターを用い五ミクロン以上の岩粉の個数を数え作業別、坑道別にまとめている。また、防じん措置をとつた場合の効果も明らかにされている。著者自ら計測方法に不備があり結果に誤謬のあろうことは認めているが、生野鉱山のじん肺防止に対する熱意が示されている報告である。

まず、さく岩機(ドリフター、ストーパー、シンカー)を用いてさつ孔作業を行う際の岩粉量が計測されている。湿式と乾式の比較(但、該鉱山ではドリフターは湿式のみ。シンカーも原則として湿式となつている。)、通気量や湿度による岩粉量のちがいについても報告されている。湿式での発じんが乾式に比べ五分の二(ストーパー)、二分の一(シンカー)となつているのが注目され、著者もストーパーの湿式化の必要を強調している。

また、運搬の各作業の発じん量を計測した結果切羽や坑道に浮遊する岩粉量は想像以上多数で、運搬夫の衛生に関しても大いに注意の必要ありと結論を出している。

さらに、マスクによる濾過効果を濾過体別に計測し、カーゼ一二枚あるいは海綿とガーゼ八枚を用いれば吸引岩粉は一六〜一七パーセントに減り、海綿とガーゼのマスクを一時間装置しても呼吸困難はなかつたとしている。

以上をふまえ、著者は一般注意事項として、適当な撒水や吸じんの設備を備えるとともに、この改良普及に努めること、さく岩機の湿式化、撒水やマスクはさく岩のみでなく運搬にも適用されるべきこと、労務者に対する教育の必要性等をあげる。

次いで「鉱内岩粉発生の最大原因たる発破による岩粉」につき、防止対策の紹介とその効果についての実験研究がなされている。防じん設備としては撒水装置とファンによる集じん装置があげられ、このうちより実用的な撒水装置のインジェクター(バルブとノズル)の図示がある。効果については「発破後空気のみを吹かした場合」「一五分間撒水をした後空気のみを吹かした場合」「一五分間水と空気を共に吹かした後空気のみを吹かした場合」それぞれについて除じん効果が計測され、詳しく比較検討されている。また、各場合の経費についても計算がされている。結論的には空気と水を吹かした後空気のみを吹かすのが保健上も経済的にも合理的となつている。

付録として佐渡鉱山においての同種実験も報告されている。

(一五) 今村荒男「塵肺症」大阪医事新誌九巻七号(昭和一三年七月、甲第八五号証)

著者の患者である四二歳、石工歴二二年の男を例としながら、じん肺について論じたもの。咳嗽、胸痛を主訴とするが、他覚的所見が外に特に認められない患者について、肺門像の濃大、繊維様増殖、浸潤陰影のレントゲン所見から「塵粉に基因するものと考ふ。」と診断している。

また、金属鉱山に約一〇年以上勤続する者八七名にレントゲン検査を行つたところ、三七名に硅肺症が認められたが、その大体は自覚症状や労働能力の低下はなかつたとしている。

治療法はなく、従つて予防が先決問題であるとし、予防法としてはマスクも微細塵粉を防止できないから、むしろ坑内のさく岩法、通風衛生設備の改善や、労働者自身の衛生教育によるべきであるとしている。

(一六) 中本誠一「塵肺ニ就テ」顕微鏡学会雑誌四五巻六号(昭和一三年一一月、甲第八六号)

じん肺について、職業病であること、不可逆のものであることを前提に、原因、症状、経過、予後、療法、予防を概説した論文。原因によつて、炭肺、鉱肺、石肺、有機性塵埃に分類し、炭肺を発症する者として坑夫とともに石炭運搬人もあげられている。

患者のレントゲン像に対する系統的研究が近年多く、疾患を(1)肺門部淋巴線陰影の増強 (2)索状陰影の増強 (3)小円形陰影の出現 (4)雲恕様陰影 (5)末梢部陰影 (6)末梢部陰影の増強の六段階に分類できるようになつたと、じん肺に対する研究の深化を報告している。

経過、予後については患者個人の素質等によつて様々で、一年間で発症する場合もあること、重篤な症状を出現するようになれば平均二年の寿命であること等が述べられている。

治療法は対症療法しかなく、早期発見によつて職業を転換させることがよいとされている。

他方、炭肺が比較的軽いとして、経過、予後について次のように述べる。

(△)「患者各個人ニ素質或ハ塵埃ノ種類及多少等ニヨツテ経過甚ダ種々デ、一年間デ症状ヲ発スルモアリ、数十年後始メテ病感ヲ訴フル者モアル。然シ重篤ナル症状ヲ出現スルニ至レバ平均二年ノ寿命デアル。概ネ炭夫ハ良性デアルガ、砂石殊ニ硅石粉等ハ危険デアル。」

又、筆者は予後及び療法として次のように述べる。

「既ニ肺胞内ニ沈着セル塵埃ヲ除去シタリ、萎縮セル肺臓ヲ治ス可キ良法モナイ、治療法トシテハ全ク対症的デアル。

サレバ、早期ニ之ヲ診断シテ其ノ職業ヲ転換サセルガ良イノデアルガ、コレハ仲々困難ノ事デアル。

既ニ発病セバ換気ニ注意シ心力ノ衰弱ニ備ヘ、其ノ症状ニヨリテ或ハ気管枝炎ノ如キ、或ハ肺気腫ノ如キ、或ハ結核ニ対スル如キ対症療法ヲ行フガヨイ。

予防ノ為メニハ予防『マスク』ヲ用ヒ、従業時ノ姿勢ニ注意シ、作業場ノ換気、湿潤等ニ留意シ労働ニ際シ一定ノ休養ヲ与フル等考慮ス可キデアル。」

(一七) 久保山雄三編「炭礦工学」(昭和一四年一二月、甲第八七号証)

炭鉱技術・工学全般に関するきわめて詳細な教科書的文献の抜粋。

空気鑿岩機の沿革の項では、一八九八年(明治三一年)に湿式衝撃型さく岩機(ライナー式さく岩機)が発明され大いに発達し、四年後の明治三五年にはすでにウォーター・ライナーが小坂鉱山、足尾鉱山に導入され、三七年には別子、日立の各鉱山や炭鉱方面で使用されるに至つたことを報告している。

筆者は、こうしたさく岩機の沿革も踏まえ、さく岩機の必要性能として、「繰粉を飛散せしめざること、即ち湿式となすが最も有効である」と指摘する。

また、各種のジャックハンマーが紹介されているが、足尾式二五番、二〇番、インガーソルR三九を比較した表の備考には「湿式、ブローア式、乾式の三種あり」として、湿式の存在を明記しており、また、日鑿ジャックハンマー機能表、日鑿ドリフター機能表に紹介された一三種のさく岩機についても、水ホースの存在が明記されていて、これらがいずれも湿式さく岩機であることがわかる。

なお、筆者は、湿式さく岩機に対する給水法についても詳しく触れている。給水関係についての知識・経験も知られていなかつたとする被告の主張・立証も、この文献によつて明らかなように、虚偽である。

同書は、さらに粉塵の排除についても論及している。「粉塵中最も有害なるは硅石塵にしてこれが呼吸珪肺の原因となる。然して炭坑内の粉塵即ち頁岩粉及び炭塵は肺内にて自然に排泄せられて累積的悪影響はなきも多年吸入するときは炭肺となるは周知のことである。」として、防塵のための、湿式さく岩機、噴霧式鑿岩繰粉飛散防止装置、圧縮気ジェットによる収塵装置、防塵マスクを紹介する。

また、採炭関係についても、截炭機(カッター)についての散水の必要を指摘するほか、「切羽運搬器の漏斗口(戸樋口)も亦炭塵飛散の夥多なる所なれば、一般に噴霧器を設置して沈定せしむるが常である」「炭車の表面より飛散する炭塵の防止には、運搬坑道の適当なる場所に自動的(又は手動にて)撒水装置を設備し炭車の通行毎にその表面に撒水せしむ」と指摘し、さらに「この浮遊炭塵の発生を防ぐため漏斗口を外被し、圧縮空気のジェットにて負圧を生ぜしめて吸引し、水タンクに捕集する吸塵装置も考案せられている」とし、戸樋口の密閉と収塵装置に関する図面および実物写真を示している。

又、鉱山病の項では、炭肺について次のように述べている。

「炭肺 鉱塵の吸入が鉱肺を発する如く長年月間の炭坑労働により吸入したる炭塵は漸次肺実質に侵入し、沈着して炭肺を生ず。

症状 軽度の場合には自覚的症状を欠除するのが普通にして炭塵の沈着が或る程度にまで進みたる時は咳嗽、墨汁咯痰、呼吸困難、貧血等の諸症状現はれ漸次肺気腫に移行すること多く、又炭塵の沈着過度となれば終に肺に空洞を生ずるに至ることあり。

診断 炭肺も又鉱肺同様何等特異の臨床的症状を有せざるが故に其の診断は困難とさる。

予防 通気を良好ならしめ切羽撒水を充分に行ひ、特に鑿岩機、截炭機、コンベヤ漏斗口使用の際には、噴霧撒水せしめることが必要である。個人的には防塵『マスク』の使用を第一となすが坑夫は其の使用を好まざる傾向あるが故に訓練の必要がある。

(△)北海道に於ける炭肺 白川夕張病院長の説によれば、学術上又は実験室での炭肺と実際坑夫の冒さるゝ炭肺とは相違し、前者は純粋の炭末吸入によるが実際坑内に於ては夾石等の石塵も混入するが故に吸入塵の成分により影響を異にす。純粋の炭末吸入によつては塵肺を起し得ざるものなることに学説は一致す。

然して北海道の炭坑夫は従来その前身に東北の金山鉱夫多く多年石塵を吸入したる者が炭礦に移稼の結果、仮令石塵の少い炭塵を吸入するも石塵を交ふるからには量の差こそあれ質的には同一である。即ち炭塵又は石塵中に含まるる石英分即ち珪酸分によりて惹起せられたる結締織増殖(Fibrose)なる肺の変化が炭肺にして、成因上鉱業法に於て取締まるゝ鉱肺の中に一括さるべきものである。

然して炭山に於てはその病症の比較的軽症なるは炭山塵中には珪酸の含有量が僅少なることが主因とされるが、ハルデン博士及びマブロゴルダトによりて唱道された『珪酸の如き有害塵も炭塵と共に吸入すれば塵の肺内除去が迅速容易ならしむる』と云う炭礦衛生上の非常なる福音にも一部帰因するものである。

然れども白川院長の調査による鉱夫の呼吸器病率を坑内外に就き比較するに、勤続一ケ年位迄はその健康度は一般に体質弱き坑外夫は頑強なる坑内夫に比し著しく劣るも、勤続三ケ年頃より漸次坑内の悪影響が現はれ坑内夫の罹病率が増進し、勤続十年以上に及べば益々其の差が著しくなり、実に坑内夫は坑外夫の二乃至三倍以上の高率を示す(自大正一〇年至一二年北海道内十ケ炭礦在籍数一六、九八五人につき)と云はるゝが、田代医師が九州の炭礦にて得たる結論とは相反する結果となるが、何れにせよ粉塵飛散の吸入の防止は等閑に附すべからざるものである。」

4 昭和一四年(被告設立時)から同二〇年(終戦)までの文献

(一) 畑中健三「岩石掘鑿法」(昭和一七年九月、甲第一二四号証)

昭和一七年当時のさく岩機について説明する。その中で、インガソル・ランドとガドナー・デンバーの各さく岩機の性能及び寸法を紹介している。これによるとドリフター(主として横型運転を目的としたもの)はすべて湿式、ストッパー(主として上向さつ孔を目的としたもの)は湿式、乾式各機種、シンカー(主として下向さつ孔を目的としたもの)はすべて湿式使用可能であつた。又、トーヨーさく岩機のドリフターはすべて湿式であり、シンカー(ジャック・ハンマー。重さは六〇ポンドと四六ポンド)には風式、乾式のほか湿式もあつた。

さく岩機の「乾式と湿式」に触れ、前者は「極めて軽便であるも岩粉の四周に飛散する憂がある。」と評し、これに対し湿式が注水によるものとして紹介している。

ただし、以上のさく岩機が金属鉱山用か炭礦用かについては記載がない。

(二) 暉峻義等「炭礦作業図説」(昭和一八年九月、甲第八八号証)

労働科学研究所長の著者らが炭礦作業をより正しい、無駄のないものにしたいとの目的から一二週間にわたり炭礦内に入つて実地に調査研究した副産物として、「戦時下の炭鉱の労働の状況を出来る限り正しく順序よく、世の多くの人に理解して貰ひたいと思ふ。」との目的で出版された書である。

その調査の対象となつた炭礦には九州、常盤、北海道などの内地のほか北支、満洲といつた外地における炭礦も含まれている。

「仕事中の切羽には、炭塵が乱れ飛ぶ。」発破後「切羽に石炭が崩れ落ちる。煙がまだうづまいている切羽に、採炭作業が始まる。坑夫達はもとの切羽の部署に飛んでかへる。……」「発破の跡には、炭塵の飛散を防止するために水をまく。炭塵が多いと爆発の危険があるから、水をうつてこれを静めるのである。」切羽内に「給水管」が圧さく空気用の管と共に敷設されている、という。ストーパーで天井孔穿りをするときの状況について「この際、白い岩粉が一面にとび散る。坑夫達はストーパーを使つて鑿岩し発破する時には、マスクを使つて作業をし、岩粉を吸ひ込まないやうにする。」「ストーパには、その尖端についたキリを廻転させるため圧搾空気の管と岩粉が飛散しないやうに、孔をくりながらその部分に水をふきかけるための導水管との二つがついている。」「空気管もなくてはならず、また水管も坑夫達の健康と体力の保持のためには、是非とも必要なものである。坑夫達は二本も重い管がついていると面倒だから、つい、水の管の方を使はない。岩粉の散るのを我慢して仕事をやる。彼等はたゞ手拭ひのマスクで岩粉の吸入を防いでいるが、是非とも、水管を使つて、岩粉の飛散を防禦し、健康を護ることにつとめたいものである。」などの説明がなされている。

(三) 井上善十郎「新衛生学」(昭和一九年八月、乙第二〇一号証の一)

「産業衛生」の一つとして「塵肺」の項を設けて内外の学説を紹介しながら説く。

「労働に伴つて飛散する各種の粉塵は、我々の健康に極めて有害なる作用を及ぼすものであるという見解は、随分古くから抱かれていた。」とし「炭塵」による「アントラコーゼ(炭肺)」も一例として掲げるが、石炭は「遙かに低い危険度である如くである。」と述べる。

5 昭和二〇年(終戦)から同二七年(けい肺症患者取扱内規作成の前年)までの文献

(一) 武谷止孝外「炭鉱用岩粉の呼吸器に及ぼし得る影響(1)」医学と生物学一一巻四号(昭和二二年一〇月、甲第一二九号証)

三井産業医学研究所病理研究室の研究員の研究。昭和一九年一一月投稿分である。実験使用岩粉は石灰岩、動物は成熟家兎である。坑内の「最悪の可能性」として実験したもの。生存期間は比較的短い。吸入された炭粉は肺内に沈着しない。所謂塵埃細胞も発生しない。

呼吸器における病変の主なものは、肺の充血、鬱血、水腫、出血、気管枝肺炎、無気症、気管の充血、鬱血、水腫、上皮剥脱、喉頭の充血、鬱血、水腫、上皮壊死等であつた。

(二) 労働科学研究所「珪肺特集号」労働科学二四巻四・五号(昭和二三年七月、甲第一三〇号証)

金属鉱山復興会議珪肺対策委員会が昭和二三年四月七日「鉱山労働者珪肺対策に関する建議」を作成して議会に提出したが、その経緯、その根拠となつた資料などを紹介している。

(三) 労働科学研究所「珪肺特集号Ⅱ」労働科学二五巻一号(昭和二四年二月、甲第一三一号証)

前項と同じく、本来金属鉱山に関するが、資料中に炭鉱の統計も含まれている。

イギリスで一九三〇年から一九三四年までの炭鉱における珪肺による労務不能及び死亡に至つた人数及びこれらに対する補償額その他が示されている。最も多いのが一九三四年労務不能三四七人、死亡三八人となつている。

(四) 黒田芳夫「炭鉱労働衛生の実態」公衆衛生学雑誌五巻七号(昭和二四年五月、甲第一二六号証)

労働基準監督官として昭和二三年度労働省が行なつた事業場労働衛生実態調査の主な成績を紹介したものである。「炭鉱の珪肺」について福岡、長崎、佐賀の炭鉱が調査されている。某炭鉱(福岡)の患者は昭和一四年から報告されており、昭和二二年にも調査されている。右炭鉱における珪肺発生の推移をみると、昭和一四年二名、同一五年六名、同一六年三名、同一七年二名、同一八年一名ほか他金属山又は炭山からの転職者八名、同一九年一名、同二〇年二名、同二一年六名ほか右同転職者一名、同二二年八名ほか右同転職者一名、同二三年二七名ほか右同転職者二名、同二四年二名、以上合計六〇名ほか右同転職者一二名となつている。調査対象炭鉱一般における珪肺発生率は昭和二四年一月現在で2.9ないし20.7%である。

(五) 中村隆外「常盤炭鉱に於ける公衆衛生学的研究」東北医学雑誌四一巻一〜六号(昭和二四年七月、甲第一四四号証)

東北大学医学部大里内科教室が昭和一七年から二一年にかけて調査した結果報告である。

(△)「炭肺」についてこの五年の病院統計により、炭肺は僅か一例で(礦山労務者一〇〇〇人につき0.02、呼吸器疾患の0.009%)炭山に「ヨロケ」なしと云われる所以である、と述べ、さらに次のように論じる。

「今日塵肺の成因に関し炭末そのもののみの吸入では炭塵の累積は示すが、繊維増殖症の発生即ち真の塵肺は示さないとされて居る。然し乍ら石炭はその成因上成分として多少の珪酸を含む以上微量とは云へ之を永く持続吸入する時、例へ軽度乍ら珪肺発生は考へ得、殊に炭塵以外砂岩、頁岩等の粉塵吸入の機会あるに於ては尚更である。

(△)金属山鉱夫の珪肺が其の症状就中呼吸促進及び全身衰弱等実に惨たるものあるに拘らず、炭礦に於ける塵肺が其の軽重の差実に一驚に値する所以も茲に在りと考える。」

(六) 楢崎久夫「鑿岩機穿孔粉塵防止器」九州炭礦技術連盟会誌三巻一〇号(昭和二五年八月、甲第一三二号証)

筆者は三菱高島鉱業所技師で、三菱高島において開発した乾式さく岩機用の簡易な粉じん防止装置(収塵袋)について報じたもの。

筆者は、「本器を使用する事により穿孔中或は孔中掃除の粉塵が防止出来るので発破直後適宜の撒水を施し、全面粉塵防止を行い作業員の健康保持と能率増進の一助となる、と確信す」と述べている。

(七) 杉本芳彦「選炭場及び検炭場における吸入塵埃粒子数について」労働科学二六巻一〇号(昭和二五年一〇月、甲第九三号証)

筆者は、三菱美唄炭鉱研究所の所員であり、「炭鉱に就ては炭塵が肺胞内に沈着して炭肺を形成することが古くより知られて居り、その作業場としては坑内は勿論坑外に於ても選炭場検炭場等の発塵度の高い作業場が多く而も女子従業員が多数従事して居る」との認識のもとに、選炭場および検炭場等の吸入塵埃粒子について調査を行つた。その結果として、筆者は衛生学上一CC中四〇〇個を粉じん恕限濃度とし、チップラー操作場と選炭場は、これを超えるとの結論を出している。

(八) 石館文雄「我国に於ける珪肺問題の現況と展望」総合医学八巻一三号(昭和二六年一二月、甲第一三三号証)

労働省労働衛生課長の筆者が、労働省の実施した珪肺巡回検診の結果についての報告である。

労働省の全国巡回検診の範囲は、「殆んど全国に亘り、金属鉱山をはじめ珪肺発生のおそれあると考えらる多数の事業場、即ち炭鉱、窯業、鋳物工場、採石場等その数は約百五十事業場に及」んでいる。

本報告の第二表によると、炭鉱におけるけい肺患者数は一三六名、じん肺患者数は八八七名、けい肺結核患者数は一一名、じん肺結核患者数は五名、結核のみの患者が七五名で、けい肺・じん肺の罹患率が15.6%に達していることを示している。

第一表によると昭和二四年内に実施された検診により炭肺(多くは炭珪肺)が発見されていることが解る。

(九) 中込泉外「珪酸の生体に及ぼす影響に関する研究」東北医学雑誌四六巻五号(昭和二七年三月、甲第九五号証)

東北大学医学部中村内科教室が常盤炭鉱における発塵と採炭夫の血液及び尿珪酸について研究した結果の報告である。

総括並びに考察として次のように述べる。

(△)「Sayerによると一九三一年より一九三七年の間に珪肺による英国の総死亡数八七%はSouth Walesの炭坑に発生したと云う、又一九三三年The United States Public Health Serviceが研究したところによると三無煙炭炭坑会社の二七一一名の二三%は炭肺にかゝつていたという、本邦に於ける炭肺の研究には白川氏以来かなりの業績が見られ当礦山に於ては中村教授の炭肺に関する研究がある。炭坑においては炭塵が沈着して炭肺をおこすことはかなり古くより知られているが、佐野氏によると純炭粉は各種難溶性物質中組織に対する作用は最も弱いとされている。石炭粉自体には灰分中に珪酸分を含んで居り前報において金属山の発塵中に含まれる珪酸が血中に移行し、尿に排泄される事を知つたので、更に炭肺の発生の参考資料とするために炭山の発塵及び発塵中の珪酸について調査し、それが血中にどの位移行し尿に排泄されるか調査して見た。血中及び尿中珪酸量を測定した採炭夫の作業した切羽の発塵は発破より一〇〇〇〇/CC以上になり、発破後一時間は三二〇〜九二〇/CCの発塵で、穿孔により九〇〇/CC内外の発塵を示し発破及び穿孔による発塵は恕限量をはるかに越えるものと考えられるが、之等の発塵中の珪酸量は8.9〜13.6%で金属山における発塵中の珪酸量よりもかなり低い。」

(一〇) 黒沢翠「炭鉱従業者の塵肺」常磐技報五巻三・四号(昭和二七年四月、甲第九六号証)

筆者は鉱業技術試験所の研究員である。

「炭鉱の坑内に於ては諸外国共採炭切羽石炭面で作業する鉱夫は、徐々ではあるが疾患が進む事が立証されている」と述べ、その事実を示すものとして、「北海道における一例として夕張炭鉱では最近同一現場に一〇年以上の坑内夫二〇五名の内、第一期症状27.8%、二期12.1%、三期1.1%で罹患者のうち46.1%は、採炭掘進に従事したもの」「英国ではサウスウエールスのみで、坑内外で一二〇、〇〇〇人の従業員のうち一九四三年には一六〇八名の塵肺が証明されている」「スコットランドでは八〇、〇〇〇人の従業員であるが、一九四八年一月から七月迄に一七五名が証明され中七名が死亡している」と炭鉱夫じん肺の発生を指摘している。

粉じんの発生防止としては、①発破孔に圧力水、②蒸気の注入、③カッターのピックに噴水、④発生後の噴霧、⑤湿式穿孔、ピックにも水、⑥コンベアー移送点へ噴霧、⑦通気のない坑道掘進に霧鉄砲、⑧食塩で地固め、⑨五ミクロン以下の小粒を出さぬ様な機械を作ること等、を指摘している。

6 昭和二八年(けい肺症患者取扱内規作成)から同三五年(旧じん肺法制定)までの文献

(一) 不破佐知子「長期炭鉱労務者の健康状態について」熊本女子大学学術紀要五巻一号(昭和二八年二月、甲第一三四号証)

労働省が実施した全国珪肺巡回検診に参加した筆者が、観察の結果を独自に発表したもの。長期間炭鉱で稼働した労働者の健康状態を明らかにしている。

労働者の自覚症状としては、「息切れ、動悸、胸痛、たん、咳、だるい、やせる、寝汁、めまい等」がある。

さらに本文献は、肺能力、呼吸保留、胸囲拡縮差、循環器系、消化器系、栄養状態等についての調査結果を示したあと、肺賍の胸部X線所見の結果としてけい肺罹患状況について示している。それによると「検査人員二二六名中、珪肺に罹患していると診断されるものが七三名、三二%であつた」とされている。また、けい肺発生作業について、次のように述べる。

「坑内における職種……と珪肺の関係を眺めてみると、掘進、採炭、仕繰に従事するものに珪肺が多くみられる。これは高度発塵環境において労務に従事するためと思われる。防塵設備の強化徹底を痛感させられる」

(二) 房村信雄「珪肺の予防について」石炭評論四巻一一号(昭和二八年一一月、甲第九八号証)

筆者は早大教授である。「珪肺が最も多く発生しているのは言うまでもなく金属鉱山であるが、炭鉱においてもかなり多くの罹患者が発生しているので、ここにも強力な珪肺予防対策が実施せられなければならない。」と述べ、労働者のじん肺巡回検診の結果によると七炭鉱において、被検者一〇一二五名に対し珪肺又は塵肺者一二四〇名を発見し、被検者の12.4%が罹患している、と紹介する。

又、珪肺の恐しさについてふれて次のように指摘する。

「珪肺が単に鉱山界や窯業界のみならず、大きな社会問題として取上げられているのは、珪肺が他の疾病に対して次のような特異性があるからである。

(一) 珪肺の診断、予防、補償等には多額の費用と資材を必要とし、珪肺患者一名に対する療養治療等に関連した費用だけでも平均して約二〇〇万円と推定されている。

(二) 珪肺の病的変化はいかなる方法をもつてしても不治であり、一度これに罹患すれば職場を離れても多少とも進行する。……従つて珪肺に関しては予防が最良の対策である。

(三) 珪肺に罹患すると労働能力の喪失が激しく、予後が不良の場合が多い。特に肺結核を併発しやすく労働不能になると数年以内に肺結核で死亡するものが多い。

(四) 珪肺は有害粉塵を吸引しはじめてから二年乃至十年以内に第一期になり、五年乃至数十年で第三期まで達する。現在の患者は昔の粉塵の影響でなつたものであり、現状が危険だつたか否かは将来でなければわからない。」

又、珪肺の原因について次のように述べる。

「金属鉱山の坑内岩粉中には二〇〜八〇%程度の遊離珪酸が含まれているが、炭鉱の炭塵中では多くとも二〜五%程度である。しかし岩石坑道掘進の場合は岩粉中に三〇%近く遊離珪酸を含むことがある。また防爆用に撒布する岩粉も粘土や頁岩粉を用いるときは遊離珪酸を三〇〜四〇%含有することがある。従つて従来は炭塵は珪肺に対する危険はほとんどないと考えられていた。最近の研究によれば、純粋の炭塵―純石炭分の微粉末の意味で―は珪肺に対する危険はほとんどないが、これが上下盤や夾みから生じた遊離珪酸を含む岩粉と混合した状態で吸引されると、珪肺に対する危険性が倍加されるという説が唱えられている。特に正長石から変化した絹雲母と炭塵が肺組織中に達すると、炭塵が組織中で固着して絹雲母が分解して生じた珪酸を取かこんで、これが排泄されるのを阻止するために毒作用が激しくなると説明している。これが事実とすれば炭塵は従来と異つた意味できわめて危険と言わなければならない。」

さらに筆者は、炭鉱における粉じん発生防止法として次の点を掲げる。

① 炭壁注水法

② 切羽の散水と水洗

③ 湿式さつ孔

④ 湿潤剤等の利用

⑤ 乾式集塵法

⑥ 採炭時対策(カッター用散水、湿式ピック等)

⑦ 坑道の粉じん対策(湿潤帯の設置、水棚法、炭車散水、戸樋口散水、散塩帯と散水の組み合わせ)

⑧ 充てんの粉塵対策(ウォーターカーテン設置、散水、作業の無人化)

⑨ 防爆用岩粉対策

⑩ 防塵マスク

(三) 松永豊太外「長崎・佐賀両県下における炭鉱岩石、防爆粉及び窯業陶土に関する分析成績」長崎医学会雑誌二八巻一一号(昭和二八年一一月、甲第九九号証)

長崎大学医学部と佐世保市民病院および三菱造船所病院の医師が、炭鉱および窯業地区のけい肺を研究する一環として行つたけい酸分析の共同研究報告。

本報告は、調査結果に基づいて次のように述べる。

「長崎、佐賀両県下における各炭鉱及び窯業地区から採集せられた岩石、陶土のSiO2含有量は比較的に多量である。したがつてまた、現在までは比較的に低率であるといわれていた炭鉱労務者における珪肺症が案外高率に発生しつつある、もしくは発生する可能性を推知することができる。」

被告の炭鉱について、SiO2が伊王島岩坑頁岩上添61.82%、同炭坑頁岩本卸63.22%、同炭坑砂岩上添戻54.24%、同炭坑砂岩頁岩上添戻49.96%、鹿町炭坑矢岳鉱石五尺鉱道77.78%、同炭坑61.82%、神田穿岩粉61.70%含まれている旨の調査結果を示している。

又、長崎県における炭坑防塞粉につきSiO2が0.60〜3.83%含まれているとしている。

(四) 「鑿岩機操業の理論と実際」(昭和二八年六月、甲第一二五号証)

さく岩機の発達、種類、構造等について詳論する。

「さく岩機としての必要性能」の一つとして、繰粉を飛散させないために水又は水と空気との混合物がビットを通じて射出されることを掲げ、湿式であることを必要性能としている。

又、「岩粉と珪肺」について述べ、岩粉の被害防止法として、送水法、岩粉吸出法、送液法、マスク法、孔外における除去法の五種を掲げ、送水法が最も広く採用される方法という。

ただし、本書は炭鉱のみに関するものではない。

(五) 「鉱山医学特輯号」東北医学雑誌四九巻四号(昭和二九年、甲第一三五号証)

(1) 滝沢敬夫外「珪肺の病理解剖学的研究補遺」東北大学医学部における共同研究である。

特に気腫の成因に就て研究したものである。

その結論として次のように述べる。

①珪肺に伴う気腫は呼吸困難の根底として重要な意義をもつ。その成因について粉塵性気管支炎が汎発性の閉塞性気腫を招来するものと推論した。②気腫成因の副要素として、激しい呼吸、咳嗽、弾力線維の消耗や閉塞性動脈炎による肺循環の少が気腫を増強せしめる。

(2) 関谷光彦「炭山における所謂炭珪肺症―第一報 某炭山における炭珪肺症の疫学的研究」

東北大学医学部内科に属し、兼ねて常盤炭礦々業所病院に所属する筆者が、福島県における某炭礦労務者につき疫学的調査を行つた結果報告である。

まず、はじがきに次のように述べている。

「金属礦山に発生する珪肺症については我が国においても殊に戦後幾多の報告を見るが、炭山における塵肺症はこれが古くから知られ、既に一八三七年Stratton以来特にAnthracsisと呼称されているに拘らず、この方面の知見は極めて少く、僅かに有馬、白川、中村らの報告を見るに過ぎない、一九〇九年Oliverは炭肺症成立の機転はその粉塵中に含まれる石塵の作用に基づくことを指摘し、Cummius & Slad-denは糖塵中に含まれる珪酸が先ず肺淋巴系の流通を阻碍し、これと同時的或いは暫時して吸入せられた炭粉の蓄積を惹起するものと見做しており、Senもまたこの見解を支持している。これらに従うとAnthracosisはAnth-raco―Silicosis炭珪肺症とも考えられるが、近年Heppelstoneは粉塵蓄積による機械的因子を重視し、“Coal workers' Pneumoconiosis”なる呼称を提唱した。何れにせよ炭山において珪肺類似の繊維症を惹起することは疑いなく、この方面の研究者に今日新たな関心を喚起しつゝあるやに見受けられる。

このような問題意識のもとで調査結果を報告し、そのまとめとして「考按」の項の中で次のように述べる。

「炭珪肺症においても珪肺類似の線維症を招来するが、金属礦山珪肺症に比するならばその発症率と経過において著しい相異が認められ、有馬、白川らのレ線的検索からしても、炭肺症患者には二期、三期のものが極めて僅かであつたことが注目せられ、中村らの報告もまたこれに一致するものであつた。

著者らの成績においても本炭礦坑内労務者の2.0%に明らかに珪肺類似の肺における有所見者が認められ、これを中村らに準拠して分類すると前期64.28%、一期19.64%、二期8.92%、三期1.51%、更に結核を合併する者二期に二名(3.56%)三期に一名(1.51%)を示した。而して先に中村の指摘したように坑内労務者は移動性に富む故に、本炭礦のみに稼働したものについてのみ検討すると、その発症率は著しく低下し、0.85%を示すに過ぎず、また一期三名(有所見者の12.5%)二期僅かに一名(有所見者の1.16%)をみるに過ぎない。即ち有馬、白川らおよび中村らの報告と全く一致し、金属礦山に比較して著しくその発症率低いのみならず、その進行度も極めて緩慢なることが知られた。」

(六) 大津大次「炭坑岩粉による実験的珪肺症の病理学的研究」長崎医学会雑誌三〇巻一号(昭和三〇年一月、甲第一三六号証)

昭和二六年一一月日本病理学会西部地方会に発表せられた論文で、筆者は長崎大学医学部病理学教室所属、三菱崎戸礦業所病院長である。

崎戸炭坑坑内岩粉分析の結果によると、SiO2は砂岩81.08%、頁岩60.46%、防爆用石灰岩1.18%含まれている。

結論として、「炭坑坑内から採取された二種の岩石粉塵(砂岩並びに頁岩)によつて、実験病理学的に珪酸性変化の発生及び珪症結節の形成を考察して、炭坑における珪肺症発生の危険性が存在することを確証することができた。

しかし、防爆用石灰岩粉塵によつては、実験的にも珪症性変化及び珪症結節の形成をみとめ得なかつた。」と述べる。

(七) 古谷敏夫外「鉱山の坑内作業における発生粉じんについて」採鉱と保安八号(昭和三〇年八月、甲第一〇〇号証)

資源技術試験所所属の筆者らの共同研究の報告であり、標題に関する結論として、次のように述べる。

「発じんの多い作業は、発破、穿孔作業(乾式穿孔は勿論、湿式穿岩ピック等の廻転式穿岩機をも含めて)、ローダ等による積込作業の順で、また鉱石の積換え場所等においても相当の発じんを見ている。しかも多くの鉱山ではこれらの作業はそれぞれの組合せによつて休むことなく操業されていて、その何れを取つても注意を要する浮游粉じん量が検出された」。

つぎに問題となるのは、発じん箇所を通つた気流に乗つた微粒子が容易に沈降しないために通気方向に対し深い注意を要することである。

(八) 関健一外「坑内浮游粉じんの噴霧散水による抑制」採鉱と保安 一九五七年二・三月号(昭和三二年二月、甲第一〇三号証)

資源技術試研所に所属する筆者らの共同研究である。

噴霧散水を主題としているが、その前提として粉じん抑制除去に用いられる原理を次のように分類して紹介している。

(1) 重力による沈降法

a 自重による沈降

b 水滴等による粒子自重増大による所謂加速沈降

c 静電現象による重力の増大を計る加速沈降

d 超音波利用による加速沈降

(2) 遠心力または求心力等の利用法

a サイクロン方式等によるもの

b しや閉板等の方式によるもの等

(3) ろ過法

a 紙、綿、布、スポンジ等のろ材を通してろ過する方法

b 含じん気流を水中等へ導き洗滌ろ過する方法等

(4) 電気収じん法

高圧電極間に岩じん気流を通し、一方の極へ収じんさせる方法

(5) 通気による方法

a 清浄な空気を多量に送りその濃度を稀薄にする方法

b 含じん空気を安全域まで導き放出する方法等

(九) 浜里欣一郎「珪肺検診の成績について」長崎医学会雑誌三二巻二号(昭和三二年二月、甲第一三八号証)

長崎市民病院の医師である筆者が長崎、佐賀県下六炭鉱の労務者(珪肺特別保護法所定の粉塵作業者)三、五五一名について珪肺自生状況をX線像のみにより分析した結果の報告である。発生率二二%、大体五年以上、三〇才になると発生率が増加する。珪肺発生の原因は粉塵職歴に加えて個人的素因も影響している。粉塵作業休止期間を三年以上おくことは発生率を低下させるので、予防上有効である。採炭掘進に最も多く、且掘進作業者に高度の病変がある者が多い。

(一〇) 資源技術試験所監修「鉱山用品詳解」(昭和三三年三月、甲第一〇六号証)

鉱山用品に関する昭和三三年当時の紹介を内容とする。防じんマスク、湿式さく岩機の紹介を含む。

(一一) 小池昭外「肺結核を伴つた所謂炭珪肺症の臨床的観察」日本外科学会北海道地方会誌三号(昭和三三年五月、甲第一三九号証)

北海道大学医学部第一外科学教室所属小池昭、三菱鉱業手稲療養所所属小山昌正、石山司浪が行つた共同研究の報告で、美唄炭鉱外三炭鉱の従業員及びその家族で肺結核に罹患し、右療養所に収容され肺切除を受けた患者七四名について検討したものである。

右炭鉱の「砂岩、頁岩中には六三〜七二%の珪酸を含有し、石炭は主に瀝青炭にして、平均一〇〜一四%の灰分を有し、その中約五〇%の珪酸分を含有するものであるから炭塵中にも約五〜七%の珪酸分を含有する。これより見ても炭鉱坑内塵の珪酸含量は仲々大なるもので、採炭夫、掘進夫の如き切羽稼働者は明らかに珪肺発生の恐れのあることが充分証明される。」と述べる。

又、結論として次のように述べている。

「1 炭鉱のみに勤務する坑内夫もまた珪肺罹患のおそれがある。珪肺予防は今後炭鉱における重要な職業病対策に加えられねばならぬ。

2 岩珪肺結核においても珪肺結核と同じくⅡ期以後となれば心肺機能の低下を来すものである。」

(一二) 牧山喜代美・医学研究二八巻一〇号(昭和三三年一〇月、甲第一四〇号証)

(1) 「珪酸含有岩粉吸入の動物実験的研究」

筆者は、九州大学医学部衛生学教室、大島鉱業所病院所属する者である。珪肺が全身性疾患であることに注目し、「珪肺症における病変は肺臓にのみ限局するものでなく、一次的或いは二次的に肝臓、脾臓、骨髄、腎臓、中枢神経系、内分泌系(特に生殖腺、腎上体)等にも病変が招来されて、近時この方面への研究が慚次進歩し、所謂全身変調を起こし早老現象を起す事に関係があることが注目されるようになつた」との前提に立つて、炭鉱内の岩粉を用いて動物実験を行い、珪肺の全身病変を調べた。その結論は次のとおりである。

「以上の様に生殖腺の障害、腎上体皮質機能減退の傾向を認めており、これ等内分泌臓器の障害がホルモン分泌の平衡に破綻を来し、珪肺発生を助長する一方、全身変調をおこし所謂早老現象にまで進展するものと想像する。」

(2) 「M炭鉱於ける坑内長期稼働者の珪肺罹患率並びに血液、尿所見に就いて」

(1)の論文と同じ筆者が、炭坑での珪肺罹患率を調べるとともに、前記全身病変性に注目して、患者の血液、尿の検査を行つた調査の報告。

筆者は、結論として、珪肺について、次のように述べる。

「M炭鉱に於ける稼働年数7.2〜34.5年の三〇名につき調査した結果は、七三%との高率に珪肺罹患者を認めた。」

(一三) 田原康外「某石炭山におけるけい肺の実態について」医学研究二八巻一三号(昭和三三年一二月、甲第一四二号証)

三井鉱山田川鉱業所病院所属の筆者らが筑豊炭田の一炭山におけるけい肺の実態を調査した結果の報告である。

全産業、全石炭(昭和三〇、三一、三二年労働省廻回検診結果)のそれと比較検討すれば、第三、第四症度は0.3%で全産業の第三症度0.53%、第四症度0.38%、全石炭の第三症度0.4%、第四症度0.3%に大差なく同一レベルにあり、第一、第二症度においては全産業の第一症度9.42%、第二症度1.10%及び全石炭の第一症度10.5%、第二症度0.9%に比してはるかに低率を示している。旨報告している。

(一四) 田中重雄外「某炭山の坑内粉塵と珪肺の発生」熊本医学会雑誌三三巻三号(昭和三四年三月、甲第一〇九号証)

三井三池鉱業所病院所属の筆者らの共同研究である。

結論の中で次のように述べている。

「以上を総合すると遊離珪酸量五〇%以上の掘進作業に従事している者では六年以上で珪肺の発生は急速に増加し高度珪肺にまで進展する危険が大であり、採炭切羽では堆積塵中の遊離珪酸量は三%余の僅かであるがこれは炭塵の比率が極めて多い結果によることも考へられ、充填作業面の粉塵条件はもつと厳しいものであることは当然であつて、こゝに作業する人では九年以上に珪肺の発生は少数宛認められ一五年以上で明らかに増加し、少数ながらS2、S3にまで進展する者もある。但し採炭夫のみの職歴では高度珪肺にまで進展する者はいない。運搬坑道の堆積塵は遊離珪酸量一五%程度で採炭切羽の約四倍の遊離珪酸量を示す成績となつているが、珪肺の発生は全般に少く、個所によつては珪肺の発生も認められるが個所によつては珪肺罹患の危険は殆んどないことが考へられる。結局採炭切羽と運搬坑道における珪肺発生の差は遊離珪酸量よりむしろ発塵作業の有無と労働量に伴う呼吸量の差が大きな役割を果しているのではないかと考えられる。」

(一五) 御厨潔人「炭鉱における防じん対策の研究」民族衛生二五巻三号(昭和三四年五月、甲第一一〇号証、乙第一九五号証の二)

三菱鉱業勤務の筆者が論題について研究した結果報告である。

結論として次のように述べる。

「(1) 現在炭鉱で実施しているかまたは実施しうる防じん対策は、岩石掘進では湿式穿孔、水充塞発破、散水積込、切羽壁枠床の散水等である。この他穿孔機の小径ノミを用いると発じんも減少し能率も増加する。昇坑発破を行えばさらに効果が挙る。沿層掘進も同様であるがオーガードリルの湿式化ができない欠点がある。湿式穿孔できないばあい収じん器使用の必要がある。

(2) 採炭坑は炭壁注水、水充塞発破、坑内散水、樋口散水、肩坑道噴務の徹底により効果が挙げられるが、炭壁注水はどの山でも行ない難いのでその他の防じん措置の徹底化が望まれる。将来はどうしても炭壁注水しなければならないと考えられる。

(3) 運搬積換地点では噴霧散水を徹底することで充分と考えられる。

(4) 通気計画は最も大切な措置で、直列通気の廃止、適切な風量、風速の確保、漏風の防止、掘進切羽と風管先の距離を常に七m以内に保つこと等が必要である。

(5) 以上の措置が徹底的に実施されれば恕限度の第一水準以下に到達できる。じん肺発見率は二〜三%以下に抑制できるものと推定される。」

(一六) 田尻昭英(一部ほか一名)「鉱山坑内作業に伴う粉じんの発生量(1)(3)(4)」採鉱と保安、五巻四号、八号、一〇号(昭和三四年、甲第一一二号証の一、二、三)

資源技術試験所主任研究員の筆者が、「じん肺症」を惹起する炭鉱を含む鉱山坑内作業に伴う粉じんについて各作業場毎に検討したものである。

なお、じん肺症の進行性、不可逆性についての認識を示している。

(一七) 田尻昭英(一部ほか一ないし二名)「浮遊粉じんの抑制に関する研究第一〜七、九報」採鉱と保安五巻一二号、六巻二号、五号、七号、一〇号、七巻四号、七号、八巻八号(昭和三四年〜三七年、甲第一一三号証の一ないし八)

資源技術試験所所属の筆者らが論題について具体的に検討した研究の報告である。

噴霧散水、風管処理法、TJ簡易収じん器などについて現場において検討されている。

(一八) 昭和三五年以降はじん肺法制定後に当るので、筆者と論題、雑誌名のみを掲げることとする。

1 関為蔵「B炭鉱に於ける坑内粉塵の分布とその測定法についての考察」北方産業衛生二四号(昭和三五年一月、甲第一一四号)

2 北海道鉱山学会誌一六巻六号(昭和三五年一一月〜一二月、甲第一一五号証の一ないし四)

(1) 鈴木俊夫外「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」

(2) 相馬寛「防じん対策上マスクの使用がけい肺症におよぼす意義について」

(3) 高桑健外「粉じんに関する研究懇談会議事録」

3 田尻昭英「粉じん抑制法について」採鉱と保安七巻九号(昭和三六年九月、甲第一一六号証)

別紙11

石炭鉱山における粉じん防止に関する法的規制の主な経緯(被告設立時から被告の本件各坑の最終の閉山時までに限る)

一 被告設立時(昭和一四年五月二〇日)から鉱警則の廃止の日(昭和二四年八月一二日―通商産業省令同日付第三一号により廃止)まで

1 鉱警則(昭和四年一二月一六日商工省令第二一号)

「衛生」の項の中に次の規定がある。

第六十三条 著シク粉塵ヲ飛散スル坑内作業ヲ為ス場合ニ於テハ注水其ノ他粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ但シ已ムヲ得ザル場合ニ於テ適当ナル防塵具ヲ備へ鉱夫ヲシテ之ヲ使用セシムルトキハ此ノ限ニ在ラズ

第六十六条 選鉱場、焼鉱場、製錬場其ノ他ノ坑外作業場ニシテ著シク粉塵ヲ飛散スル場所ニ於テハ左ノ各号ノ規定ニ依ルベシ

一 粉塵ノ飛散ヲ防止スル為撒水、粉塵ノ排出、規定又ハ装置ノ密閉其ノ他適当ナル方法ヲ講ズルコト

二 飲料水ヲ備置キ且粉塵ノ混入ヲ防グ施設ヲ為スコト

三 洗面所及食事所ヲ設クルコト但シ作業場内ニ之ヲ設クル場合ニ於テハ粉塵防止ノ施設ヲ為スベシ

有害ナル粉塵ヲ飛散シ又ハ有害ナル瓦斯若ハ蒸気ヲ発散スル坑外作業場ニ於テハ前項ノ施設ヲ為ス外洗面所ニハ石鹸又ハ其ノ代用品ヲ用フベシ

前項ノ場合ニ於テ鉱山監督局長必要アリト認ムルトキハ鉱業権者ニ対シ更衣所又は浴場ノ設置ヲ命ズルコトヲ得

二 炭則の施行日(昭和二四年八月一二日)より被告の本件各坑の最終の閉山時(昭和四七年三月)まで

1 炭則(昭和二十四年八月十二日号外通商産業省令第三十四号)

「第十章坑内の通路および就業箇所」

「第三節就業箇所」の中に次の規定がある。

(粉じん防止)

第二百八十四条 衝撃式さく岩機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならない。ただし、防じんマスクを備えたときは、この限りでない。

「第十二章坑外施設」

「第八節一般機械装置」の中に次の規定がある。

(粉じんの防止)

第三百四十七条 屋内作業場において、いちじるしく粉じんを飛散するときは、そのじん雲により危険を生じないように、当該箇所における粉じんの吸引もしくは排水または機械もしくは装置の密閉等適当な措置を講じなければならない。

2 昭和二五年八月二六日通商産業省令第七一号(金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令二条による改正)

炭則を次のとおり改正する。

第二百八十四条の次に次の二条を加える。

第二百八十四条の二 掘採作業場の岩ばん中に遊離硅酸分を多量に含有し、通商産業大臣が指定する区域においては、左の各号の規定によらなければならない。

一せん孔するときは、せん孔前に岩ばん等にさん水すること

二 衝撃式さく岩機を使用するときは、湿式型とし、かつ、これに適当に給水すること

2 前項の指定があつたとき現に存する坑内施設について、特別の事由があり、六箇月以内の期間を定めて通商産業大臣の許可を受けたときは、その期間、前項の規定を適用しない。

第二百八十四条の三 前条第一項の区域においては、当該発破係員は、発破後、発破による粉じんが適当に薄められたのちでなければ、発破をした箇所に近寄らず、かつ、他の者を近寄らせてはならない。

2 第百八十四条の二第二項の規定により発破係有資格者が発破に関する作業を行うときは、前項の規定は、発破係有資格者に適用する。

3 昭和二八年四月一日号外通商産業省令第九号〔金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令二条による改正〕

炭則を次のとおり改正する。

第二百八十四条の二を次のように改める。

(けい酸質区域)

第二百八十四条の二 掘採作業場の岩ばん中に遊離けい酸分を多量に含有し、通商産業大臣が指定する区域(以下「けい酸質区域」という。)において、せん孔するときは、せん孔前に周囲の岩ばん等に散水しなければならない。

2けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するときは、これを湿式型とし、かつ、粉じんを防止するためこれに必要な給水をしなければならない。

3 左の各号の一に該当する場合であつて、鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、前二項の規定によらないことができる。

一ゆう水等によりせん孔面が常に水でおおわれており、粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機を使用する場合と同等以上の効果があると認められるとき

二 粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械、器具または装置を使用するとき

第二百八十四条の三第一項中「前条第一項の区域」を「けい酸質区域」に改め、同条の次に次の一条を加える。

(適用猶予)

第二百八十四条の四 鉱業権者は、第二百八十四条の二第一項の規定によるけい酸質区域の指定があつたとき現に存する坑内施設または、坑内の保安の状況について、同条第一項および第二項の規定により難い事由があるときは、その指定の日から三十日以内に、鉱山保安監督部長にその適用除外を申請することができる。

2 前項の場合において、鉱山保安監督部長は、実地を調査し、その申請を正当と認めたときは、条件および期間を定めて、これを許可することができる。

3 前項の許可または不許可の処分があるまでは、第一項の申請に係る規定は、適用しない。

4 昭和二九年一月一四日通商産業省令第一号〔金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令二条による改正〕

炭則を次のとおり改正する。

第二百八十四条但書中「ただし、」の下に「日本工業規格九九〇一(防じんマスク)に適合する」を加える。

第二百八十四条の二第二項を次のように改める。

2けい酸区域において、衝撃式さく岩機を使用するときは、これを湿式型としなければならない。

第二百八十四条の二第三項中「前二項」を「第一項および第二項」に改め、同項を第四項とし、第二項の次に次の一項を加える。

3 前項のさく岩機には、飛散する粉じんの量を別に告示する限度まで減少させるため必要な給水をしなければならない。ただし、特別の事由があつて、鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、告示の限度によらないことができる。

「附則」として、次の規定をおく。

7 金属鉱山等保安規則第二百二十条の二第三項および石炭鉱山保安規則第二百三十四条の二第三項の改正規定により飛散する粉じんの量を減少させるため湿式型の衝撃式さく岩機にする必要な給水については、これらの規定に基く告示のある日まで、なお従前の例によるものとする。

5 昭和二九年八月三〇日通商産業省令第四八号〔金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令二条による改正〕

炭則を次のとおり改正する。

第二百八十四条中「(防じんマスク)」を「(一九五三)」に改める。

6 昭和三〇年一〇月三一日通商産業省令第五六号〔金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令二条による改正〕

炭則を次のように改正する。

「第四章 炭じんおよび岩粉法」

「第一節通則」の中の規定として次のように定める。

第百三十七条の次に次の一条を加える。

(岩粉中の遊離けい酸分)

第百三十七条の二 多量の遊離けい酸分を含有する岩粉は、散布し、または岩粉だなに積載してはならない。

第二百八十四条本文を次のように改める。

岩石の掘進、運搬、破砕等を行う坑内作業場において、岩石の掘進、運搬、破砕等によりいちぢるしく粉じんを飛散するときは、粉じんの飛散を防止するため、粉じん防止装置の設置、散水等適当な措置を講じなければならない。

第二百八十四条の二中第三項を削り、第四項中「第一項および第二項」を「前二項」に改め、同項を第三項とし、改正後の第三項の次の二項を加える。

4けい酸質区域において衝撃式さく岩機を使用するとき(前項の規定により鉱山保安監督部長の許可を受けて湿式型以外の型式の衝撃式さく岩機を使用するときを除く。)は、当該さく岩機には、飛散する粉じんの量を別に告示する限度まで減少させるため必要な給水をしなければならない。ただし、特別の事由があつて、鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、告示の限度によらないことができる。

5けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するとき(第三項の規定により、鉱山保安監督部長の許可を受けて湿式型以外の型式の衝撃式さく岩機を使用するときを除く。)は、当該さく岩機に必要な給水をするため、配水管を設けなければならない。ただし、配水管を設けることがいちぢるしく困難な場合であつて、粉じん防止上必要な水を当該さく岩機に供給するため適当な措置を講じたときにおいて鉱山保安監督部長の許可を受けたときは、この限りでない。

第二百八十四条の四第一項中「第一項および第二項」を「第一項、第二項、第四項および第五項」に改め、同条を第二百八十四条の五とし、第二百八十四条の三の次に次の一条を加える。

第二百八十四条の四けい酸質区域において、衝撃式さく岩機を使用するとき(第二百八十四条の二第三項の規定により鉱山保安監督部長の許可を受けて湿式型以外の型式の衝撃式さく岩機を使用するときを除く。)は、鉱山労働者は、注水しながらせん孔しなければならない。

7 昭和三二年七月一〇日通商産業省令第二五号〔金属鉱山等保安規則等の一部を改正する省令二条による改正〕

炭則を次のとおり改正する。

第二百八十四条ただし書中「日本工業規格B九九〇一(一九五三)」を「別に告示する規格」に改める。

8 昭和三七年四月一日号外通商産業省令第四一号〔通商産業省設置法の一部を改正する法律の施行に伴う鉱業代理人の保安に関する代理権限等に関する省令等の整理に関する省令三条による改正〕

炭則を次のとおり改正する。

第二百八十四条の二第三項 第四項および第五項、第二百八十四条の四、第二百八十四条の五第一項および第二項……中「鉱山保安監督部長」を「鉱山保安監督局長または鉱山保安監督部長」に改める。

9 昭和三九年一一月一六日号外通商産業省令第一二三号(第四次改正)

炭則を次のとおり改正する。

目次中「炭じんおよび岩粉法」を「炭じん」に「(第百三十五条―第百三十八条)」を「(第百三十五条―第百三十八条の二」に……改める。

第百三十七条の二に次のただし書を加える。

ただし、ビニル袋入り岩粉等取扱い中に岩粉が飛散するおそれが少ないものを岩粉だなに積載するときは、この限りでない。

別紙12

一 昭和二四年八月四日基発第八一二号

珪肺措置要綱

珪肺対策要綱により実施した珪肺検診の結果の取扱いについては左の要領によられたい。尚本措置要綱については、本人の希望をも考慮して実施せられたい。

一 胸部X線直接撮影の結果極めて微小なものから二乃至三粍に及ぶ粒状陰影が認められるが、呼吸器等の異常及び労働能力の減退が認められない程度の者については左の措置を講ずること。

(1) 保護具を必ず使用せしめ、要領五の(1)にいう猶予期間中でも保護具なしに珪酸粉じんを著しく飛散する場所における業務に従事させないこと。

(2) 健康管理を実施して健康状態に留意すること。

(3) 能ふ限り労働時間を短縮し労働強度を軽減するか、又は粉じんの少い軽作業に従事せしめること。

二 胸部X線直接撮影の結果明らかなる粒状陰影が肺野の大部分に散布され、時に融合の像が認められ臨床的に呼吸器系の異状所見が明らかで作業の際に呼吸困難があり、労働能力の減退が認められる者については左の措置を講ずること。

(1) 珪酸粉じんの著しく飛散する場所における業務に従事することを禁止し粉じんの少い軽作業に配置転換を行うこと。

(2) 健康管理を特に厳重に実施して健康状況に留意すること。

三 二の中療養を要すると認められる者、胸部X線直接撮影の結果、粒状陰影の融合又は塊状化が認められ呼吸困難の症状が加わり、その他呼吸器系の症状が自覚的にも、他覚的にも顕著となり、労働能力を著しく減退せりと認められる者及び珪肺結核に罹病した者については業務上の疾病として治療せしめること。尚珪肺症並に珪肺に伴う肺結核に関する労働基準法施行規則第三十五条七号の取扱いについては別途通牒すること。

四 胸部X線撮影の結果、珪肺の疑いあるものについてはできるだけ早期に直接撮影を実施すること。

五 右の措置を容易ならしめるため左の措置を講ずること。

(1) 保護具に関しては、必要な資材の優先配給、その他の措置を講ずること。但し現在保護具不足のため備えつけることのできない事業場については規則第二二五条により一定期間の猶予を認めること。

(2) 珪酸粉じんを著しく飛散する場所における業務に従事する労働者については原則として毎年二回胸部X線直接撮影を実施するように規則第五十条第一項第四号の法的措置を講ずると共に同項第一号の臨床医学的検査の内容として、この場合は、肺活量、呼吸保留能、血圧等の測定を実施せしむること。

(3) 使用者が胸部X線撮影を容易に実施し得るよう国立病院、国立療養所、保健所、指定病院をして協力せしめるため必要な措置を講ずること。

(4) 療養を要する者については右施設の利用その他必要なベット数を確保するための措置を講ずること。

(5) 保護具の性能検査施設を早急に整備すること。

(6) 鉱山その他珪肺の発生のおそれある事業所の医師である衛生管理者、又は医師に対し珪肺に対する講習を行うこと。

二 昭和二六年一二月一五日基発第八二六号

珪肺措置要綱の改正について

珪肺にかかつている者に対する保護措置については、昭和二四年八月四日付基発八一二号通牒による珪肺措置要綱に基き、従来これが取扱いをなして来たが、今般別紙の通り珪肺対策審議会及び中央労働基準審議会の議を経てこれを改正したから、特に左記の点に留意の上、爾今珪肺者に対する保護措置については左によつて取扱われたい。

なお、新要綱は、珪肺にかかつている者に対する取扱いに関するものであり、その予防対策については、珪肺対策審議会においても現在考慮中であるが、貴局においても珪酸粉塵を著しくする場所における業務については、労働安全衛生規則第百七十二条……(中略)……等に規定する義務を労使双方に履行せしめ、毎年二回以上実施する定期の健康診断に際しては、当該事業場の診療施設をはじめ、国立病院、保健所又は指定病院等を利用して、できるだけ胸部X線直接撮影を実施するとともに臨床医学的検査及び肺活量、呼吸保留能及び血圧等の心肺系機能検査を実施せしめるよう指導する等、珪肺予防措置に特段の御留意を願いたい。

一 新要綱前文但書の「やむを得ない事由」とは、職場の配置転換等を実施する場合において労働者の経済的事情等によりその措置を講ずることが困難である場合等をいうものであるが可能な限り本要綱に定める措置を講ぜしめるよう指導勧告すること。

二 新要領之但書の「休業させる必要を認めない者」とは、珪肺結核が軽度のものであつて就業しながら療養することができる者及び珪肺第三度第二度の者であつて療養の結果心肺機能が恢復し、就業のため病勢増悪のおそれがないと認められるもの等を指すものである。

三 新要綱に示す健康管理のうちには、労働基準法に基く健康診断を行う際にX線直接撮影及び機能検査等を併せて実施することを含むものである。

珪肺措置要綱

珪肺にかかつている者に対する取扱いについては、次の要領によること。なお、やむを得ない事由のある場合には、本人の希望をも考慮するものとする。

要領 一

珪肺第一度の者(胸部X線直接撮影の結果、肺血管辺縁に棘状の突出像を認め、珪肺結節と認められる粟粒大の結節像が全肺野に一様に散布し、X線写真上珪肺第一度の像を示す者)で心肺系の異常又は労働能力の減退が認められないか、又はあつてもそれが珪肺によるものであると認められない者については、左の措置を講ずること。

(1) 保護具(防塵マスク)を必ず使用させること。

(2) 健康管理を実施して健康状況に留意すること。

(3) 可能な限り労働時間の短縮、労働強度の軽減、作業方法の改善等により、粉塵吸入量の減少をはかること。

要領二

(一) 胸部X線写真上けい肺第一度の者であつても心肺系の異状又は労働能力の減退が珪肺によるものであると認められる者。

(二) けい肺二度の者(胸部X線直接撮影の結果、珪肺結節による班点が珪肺第一度の場合よりも大又は密となつて全肺野に明らかに認められ、肺血管は継続し、線影として追求不能となり、X線写真上珪肺第二度の像を示す者)で心肺系の異常又は労働能力の減退が認められないか或いは著明でない者、又はあつてもそれが珪肺によるものであると認められない者。

右のいづれかに該当する者については、左の措置を講ずること。

(1) 珪酸粉塵を著しく飛散する場所における業務に従事することを禁止するとともに粉塵の少い軽作業に配置転換させること。

(2) 配置転換後においても住康管理を特に厳重に実施して健康状況に留意すること。

要領三

(一) 胸部X線写真上けい肺第二度の者で、心肺系の異常又は心肺機能検査の結果等により労働能力が普通人に比して著しく減退し、それが珪肺によるものであると認められる者。

(二) 珪肺第三度の者(胸部X線直接撮影の結果、珪肺結節は大となり、数を増し、融合像を示し、融合の大小大同が起こり、最後には、くるみ大又は小児手掌大の結節融合或いは重畳像を現わし、肺血管はほとんど識別できず肺門陰影もその形態がほとんど不明となり、X線写真上、珪肺第三度の像を示す者)

(三) 胸部X線写真上、珪肺第一度、第二度、及び第三度の者で、且つ、浸潤性或いは結節性肺結核の像を認め、活動性と診定され療養の必要あると認められる者。

右のいづれかに該当する者については、療養のため休業させること。但し、休業させる必要を認めない者については、療養させると同時に要領二に示す措置を講ずること。

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